第37話「春の予感」
37話「春の予感」
目が覚めると、カーテンが明るく光っている。
太陽の高さを見ると、きっとお昼前ぐらいだろうと千春は思った。
気だるさを感じるけれど、これは幸せな苦痛であって、千春は全く嫌な気分にならなかった。
隣には愛しい彼がいる。
そう思って横を向くと、そこには誰もいなかった。
千春は一気に焦ってしまい、ベットから飛び起きた。
昨日のは夢だったのだろうか?
それとも、秋文は本当はイヤで部屋を出ていってしまったんじゃないか。
そんな悪い思いが頭をよぎったのだ。
急いで寝室を出て、リビングに向かう。
「秋文っ!」
「あぁ、千春。起きたの…………っ千春。その格好は。」
「あれ?出だ………。」
リビングに秋文がいると思ったけれど、そこには秋文ではなく出がソファに座っていた。
一瞬こちらを見てから、顔を赤くして視線を窓へと向けてしまう。
「あれ?………秋文は………。」
「やっと起きたか、って、おまえ何て格好してんだよ!出いるだろ。」
「……あ、きゃぁ!!」
自分の服装を見ると、寝る前に秋文に着せてもらったブカブカのセーターに下は自分の下着のみだった。
長めのセーターで、下着はギリギリ隠れるか隠れないかぐらいであり、とてもじゃないが人前で見せれるものではなかった。
小さく悲鳴を上ながら寝室に戻って、千春は真っ赤になった顔を冷ましながら着替えをしたのだった。
「お騒がせしました。」
着替えを終えて恥ずかしがりながらリビングに行くと、出がコーヒーの飲みながら微笑んで出迎えてくれた。
「秋文と仲直りしたみたいでよかったよ。」
「………いろいろと、すみませんでした。それで、秋文は?」
「なんか病院から電話みたいだよ。これからのリハビリの日程の説明かな。」
そう言いながら、千春にコーヒーを渡してくれる。千春はお礼を言い、出の隣に座った。
「ねぇ、出。聞きたいことがあるの。」
「なんだ?」
「出って、秋文の事よく見てるし、いろいろお世話にもしてくれてるし、心配もしてるでしょ?私が秋文と会える日が少なくて相談したときも、出が秋文に話してくれたんだよね?」
「なんだ、それバレてたのか。」
苦笑しながら、そう返事をする出。
千春はそれを見て、本当に彼が秋文を大切にしているのが伝わってきた。
幼馴染みとして大切なのは千春も、気持ちはよくわかる。それでも、出は本当によく秋文を見守っていると感じたのだ。
それには、何か理由があるのではないか。
そう思ったのだ。
「何か秋文にしてあげたいことでもあるの?」
「千春は本当に鋭いな。よく見ているよ。」
「……そんな事ないよ。秋文とのこと、3年もかかっちゃったし。」
「それでも、秋文は幸せそうなんだ。良かったとおもうよ。」
千春を慰めるように、微笑みながら話をしてくれる出。千春は彼の優しさに何度助けられただろうと、改めて思う。幼馴染みであり兄のような彼をとても尊敬していた。
そんな出がまっすぐ前を向いて、遠くを見つめた。
そして、昔の話をしてくれてのだ。千春が知らない出と秋文の小さい頃の話を。
「まぁ、よくある昔の話なんだけどな。中学の頃に両親にサッカーやめて勉強をするようにって言われたことがあって。それを秋文に話したら、その日のうちに俺のうちまで来て、両親に話をしてくれたんだ。」
「え……もしかして、怒った、とか?」
千春がハラハラしながらそう聞くと、出は笑って「千春もそう思うだろ?」と、懐かしそうに目を細めていた。
「俺もそう思ったんだ。けど、秋文は真剣に「出はGWとして優秀だから絶対にプロになれる。だから止めさせないでください。」って頭下げたんだ。さすがのうちの両親もビックリしてたよ。」
「秋文がそんな事を……。」
「まぁ、それでも両親は納得してくれなくて、結局条件付きで中学でのサッカーを許してくれたんだ。」
「条件?」
「あぁ、卒業までにユースに入る事。選抜メンバーに選ばれる事だった。かなり無謀だったけど、サッカーが出来るか出来ないかだったから、俺たち2人は死ぬもの狂いでやったよ。それこそ、中学の頃はサッカーしかしてなかったな。」
初めて聞く2人の話。
条件の結果はもちろん聞くまでもない。
秋文と出は、必死な思いで大好きなサッカーを続けてきたから、今のプロ選手であり代表選手に選ばれたのだろう。
「じゃあ、出が秋文の事をいろいろお世話するのって……。」
「あぁ。あいつがいなかったら、俺はサッカー止めてた。秋文には感謝してるんだ。そのお礼に、恋のキューピットぐらいはやる。まだ足りないぐらいだけどな。」
きっと出は誰にも話すつもりはなかったのだろう。
恥ずかしそうにそう言いながら、鼻をかきながら頬を赤く染めていた。
「そういうのいいね。男の友情ってやつかな?かっこいいと思う。」
「…………秋文には内緒だぞ。」
「……うん!」
秋文は、絶対に話してくれないだろう昔の青春の話。千春は、ますます幼馴染みの2人が大切になったし、秋文を好きになった。
心がポカポカした気持ちになったときだった。
「何が俺には内緒だって?」
電話を終えたのか、廊下から秋文が少し不機嫌そうな表情をしてやってくる。
そして、テーブルに置いてあったコーヒーを一口飲んで、床に座った。
「内緒だから話せないよねー、出ー?」
「あぁ、そうだな。千春の下着がピンクだったって話だもんな。」
「「出っっ!!」」
千春が真っ赤になり、そして秋文が怒った顔で同時に立ち上がり、叫ぶと出は楽しそうに笑ったのだった。
出が帰った後、二人は遅めのブランチを食べた。
2人で食べ終わった食器を洗っていると、終わった頃に不意に秋文に後ろからぎゅっと抱きしめられた。そして、千春の肩に顔を埋めて「あぁー……落ち着く。」と、吐き出すようにそう言葉を洩らしていた。
こうやって甘えてくる事は、以前もあまりなかったので千春はドキドキしてしまう。
冷静を装いながら、千春は最後の皿を置いて、秋文の髪をそっと撫でた。
「どうしたの?秋文、疲れた?」
「いや………おまえさ、いつアメリカに帰るんだ?」
「あと5日ぐらいかな。」
「そんなに短いのか。」
千春は一時帰国しただけで、あと数日したらまたアメリカに戻ることになっている。
それに秋文も治療が終わったらスペインに戻るのだ。
お互いの気持ちを確かめ合って、それぞれの仕事を認め合ったのだから、すこしの別れを受け入れなければいけない。それはよくわかっていた。
けれど、大好きな人と離れてしまうのは、どうしたって辛いことだった。
秋文だけではない。千春も秋文とまた離れてアメリカに戻るのが寂しくて仕方がなかった。
自分達の選らんだ道。だけれど、迷うことだってある。
「寂しいね………。」
「……実はな、俺、春にはスペインのチームから抜ける予定なんだ。」
「え!?そうなの?」
「あぁ。契約の期間も終わるから更新しないつもりなんだ。日本代表に選ばれて思ったよ。やっぱり日本でプレイしたいって。スペインではいろいろ学べたし、いい思い出になった。」
「そっか………。じゃあ、帰国の時期は同じになるかもしれないね。」
「え……。」
千春の言葉を聞いて、秋文は千春の肩に置いていた顔を上げて、驚いた声を上げた。
それを見て、千春はくすくすの笑ってしまう。
秋文が嬉しそうな顔になっているのを、見なくてもわかってしまったのだ。
「私も赴任は長くて2年だったから。そろそろ日本に戻ることになると思うんだ。まだ、正式に決まったわけじゃないけど。」
「そうか。ならまた、日本で会えるかもしれないんだな。」
「そうだね。」
千春は、笑顔でそう言いながら、抱きしめてくれている彼の寄りかかり、今度は千春から甘えるように体を預けた。
すると、秋文は千春の体をくるりと変えて、向き合うように立たせた。
そして、「千春?」と、優しく名前を呼んでくれる。千春が見上げると、微笑んだまま話を続けた。
「もし春に千春が帰ってくることになったら、この部屋に一緒に住まないか?」
「え………。」
「おまえの部屋はもうないだろ。家事も千春だけに任せないで俺がやるし、また忙しくなっても会えなく事はなくなるだろ?だから、一緒に住んで欲しいんだ。」
秋文は、告白したときのように真剣で、でも少し照れながらそう言ってくれた。
少し先の未来を、自分とのことを考えてくれているのが千春は嬉しかった。
帰国したら、彼と一緒に暮らせる。
それは、とても幸せなことで、特別なご褒美のようだった。
「うん。私も秋文と一緒に住みたい。秋文の事、精一杯サポートするから。お邪魔したいです。」
秋文につられて、千春も照れながらそう返事をすると、秋文はホッとした表情を見せた後、にっこりと微笑んで、「ありがとう。」と言ってくれた。
そのあと2人でリビングのソファに座り、手を握り寄り添いながら会えなかった分の話をお互いに伝えあった。真剣に仕事の話をしたり、笑いあったり、そして、嫉妬をして不貞腐れたり。
それでも最後は2人で暮らす春を思うのだ。
「春になるのが楽しみだね。」
「あぁ。今度は離れないで2人で暮らそう。」
出会ってから10年も経ってからの恋。
そして、すれ違いからの別れ。
それでも2人はこうして手を繋いで未来を想像しているのだ。
「秋文、好きになってくれてありがとう。」
「これからは離れた3年分も、今まで以上に愛してやるから、覚悟しておけよ。」
ニヤリと笑う愛しい人の甘い言葉。
その返事の変わりに、千春は秋文にキスをした。
これからも、こんな幸せな時間が続くことを願いながら。
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