第8話「呼び出しと待ち合わせ」





   8話「呼び出しと待ち合わせ」




 秋文は、とてもマメに連絡をくれた。

 普段、四季組での連絡では「了解。」や「今回は行けない。」など、短い言葉のみでのやり取りが多かった。

 千春とも、長い言葉はほんどなかったけれど、朝と夜には必ず連絡が来てていた。「おはよう。」「おやすみ。」のメッセージが入るだけで、恋人同士になったのだと思えた。



 昨日の夜は、珍しく電話がきたので少しだけ話すことが出来た。付き合い初めて、2週間あまり。告白してもらった日以外には2回ぐらい会ったけれど、電話は初めてだった。



 「明日、四人に会うだろ。俺たちのこと話していいだろ?」

 「うん、もちろん。私も伝えたいと思ったし。」

 「じゃあ、明日職場まで迎えに行く。」

 「え、いいの?」

 「あぁ。練習だけだから、会いに行ける。」

 「あ、ありがとう。」



 明日の夜は、四季組のメンバーでご飯を食べに行く予定だった。

 その場所に行く前に、わざわざ会いに来てくれる。その気持ちが嬉しくて電話口でにやついてしまう。



 そんな事があり、今日は朝から上機嫌だった。

 朝も「おはよう。18時ぐらいに迎えに行くから。」と秋文から連絡が入っていた。

 優しいな、そんな事を思いながら出勤して、いつも以上に仕事に力が入っていた。

 千春の職場は基本的に何を着てもよく、女性社員はOLらしい格好をしていた。と、言っても男性の方が多い職場なので、男の人のスーツ姿が目立っていた。

 今日は四季組で会うし、秋文とも会うのでデートでも着ていけるワンピースを着ていた。パーマかかった髪は少しアレンジをして結んでおり、同僚から「今日の髪型かわいいね。」と褒められて、またにやにやとしてしまっていた。



 「世良さん、お願いがあるんだけど。」

 「はい。」



 上司に呼び止められて、千春は振り向く。お願いとは、会議資料のまとめだった。今は仕事に余裕があったので、引き受けると「助かるよ。」と言って上司は笑顔でデスクに戻った。


 受け取った書類を見て、過去の資料が必要だとわかると、千春はすぐに資料室へと向かった。


 資料室は階が違っていたのでエレベーターに乗って移動した。そして、降りる時だった。



 「あれ……。千春ちゃん。」

 「あ、駿先輩……。」



 そこには、少し前に別れた元彼氏の先輩がいた。

 背が高くて、優しくて、子どもように無邪気に笑う先輩。その笑顔を近くで見たくて、付き合っていた時は、たくさん笑ってもらえるように頑張っていた。



 「今日は打ち合わせがあってね。お邪魔してたんだ。」

 「そうなんですね。」



 せっかく来たエレベーターなのに、駿はそれには乗らずに、千春と話すために廊下で立ったままだった。


 千春は、先輩の顔が緊張で見れなかった。

 ずっと会いたかった、声が聞きたかったはずなのに、いざ会うとドキドキしてしまうのだ。



 「ごめん…気軽に話し掛けすぎたかな?」

 「いえ。仕事で会ってしまうことは、仕方がないので。私も、いい加減諦めなきゃいけないので。大丈夫です。」



 一瞬、彼の顔を見たけれど優しそうに微笑む先輩と目が合うと、頬を赤くして下を向いてしまう。

 これでは、まだ未練があると彼にバレてしまうとわかっているけれど、我慢はできなかった。



 「……可愛いね。今日の服も髪型も、それに千春ちゃんも。」

 「………え。」



 耳元でこっそりと囁くように先輩に言われて、思わず顔をあげてしまう。

 すると、先輩の顔が間近にあり、そしてしっかりと目が合う。



 「……今日の夜さ、時間ある?」

 「えっと、今日は予定が……。」

 「じゃあ、話だけでいいから。少しだけ時間くれないかな。会社で話そう。」

 「………でも。」

 「すぐに終わるから、ね。」



 先輩は、千春が弱い耳元で囁いてくる。ずるい、と思いながらも体が震えるのがわかる。

 そんな様子を見て、先輩はクスクスと笑っている。



 「わかり、ました。」

 「ありがとう。じゃあ、また連絡するね。」



 先輩は、そう言うと颯爽と歩き出し、エレベーターに乗り去っていく。

 千春は、罪悪感とちょっとした期待感を感じてしまい、自分の気持ちの弱さに悲しみを感じてしまった。



 心の中では、わかっている。先輩に会ってはいけないんだと。


 自分は秋文の彼女になったのだから。



 それなのに、会うと約束してしまった。

 秋文への甘えが見えてきて、止めたいのに止められない自分が悔しくて仕方がなかった。






 それからというもの、頼まれた仕事もミスをしてしまったり、ボーッとして注意をされてしまった。



 それでも、彼に会うために急いで仕事終わらせるた。

 その彼というのは、誰なのか。


 秋文?先輩?どちらなのか、千春にはわからなかった。




 急いで化粧室に駆け込んで、メイクを軽く直してスマホを見ると先輩からのメッセージと、秋文からのメッセージの両方が入っていた。

 秋文からは、「少し遅れる。」だった。先輩からは会議室の名前だけが入っていた。

 先輩たちが使っていた今日の打ち合わせで使っていた部屋だった。

 急いで部屋に向かうと、電気がついていたのでノックをして周りにバレないように急いで部屋にはいった。



 「千春ちゃん。来てくれたんだ。」

 「……はい。駿先輩……あの、お話と言うのは?」



 自分は先輩とまた付き合い直したいわけではない。先輩の話を聞くために来たのだと、自分に言い聞かせてながら彼にそう言うと、先輩は全てわかっているかのように、余裕のある笑みを浮かべた。



 「この会社の知り合いに聞いたよ。千春ちゃん、凹んでたって。大丈夫?」

 「ええ……もう時間も経ちましたし。」



 先輩が私をふったのに何でそんな事を言っているのだろうか。先輩が何を話したかったのか、全く検討もつかなかった。けれども、いい話ではないような気がしてならなかった。

 それでも、少し期待をしてしまう。バカな自分がいる。



 「千春ちゃんは、やっぱり可愛いよね。今日会った時に、すごくドキドキしたんだよ。俺の好きなタイプの子なんだなぁーって。」

 「そうなんですか………それで………。」



 先輩は、千春を褒めながらゆっくりと近づき、千春の頬をそっと撫でた。

 彼の冷たい手が触れられ、体が震えてしまう。

 けれども、千春はそこから逃げられなかった。



 「でも、俺は中身も女の子らしい子が好きだから、ゲーム好きとかお酒好きとかは合わなかったんだ。ごめんね。」

 「いえ。もう、大丈夫です。……あの用件は……?」



 緊張で震えそうになる声を我慢しながら言葉を発すると、先輩は更に近づいて、耳に唇が当たるぐらに接近してきた。そして、色気を含んだら声で、囁いた。


 

 「君が寂しいなら、体の相性は良かったし、そういう関係になってあげようか?」



 驚きのあまり、目を大きく開いたまま動けなくなる。返事をせずに迷っていると思ったのか、そのまま先輩に優しく抱き締められて、「会える日は優しくしてあげるから。もちろん、彼女みたいに。」と言われてしまう。



 千春は、「やめてください。」と言いながら、先輩の体を軽く押して、少しずつ後退りをして離れている。


 手を伸ばしても触れられない距離になってか、千春は、彼を恐る恐る見つめながら、小さな声で先輩に返事をした。 



 「あの、彼氏が出来たので、そう言うことは出来ません。」 



 そう言うと、先輩は驚いた顔を見せた後、少し顔を歪ませた笑みを浮かべた。



 「あぁ……千春ちゃんは顔とか見た目は良いからすぐに彼氏できるよね。でも、付き合うと頑張って女らしく演じているのがすぐにバレるんだよ。」

 「先輩…………。」

 「それで、すぐに別れるんだから、猫被るのやめたら?だまされる男が可哀想だよ。」




 先輩の言葉が頭の中を巡り、意味を理解する頃には、千春は顔はカッと赤くなり、目には涙が溜まっていた。

 先輩の顔がぼやけて見える。笑っているのか、怒っているのか、呆れているのか。表情がわからなかったが、今はそれが調度よかった。

 先輩の顔を見るのが怖かったのだ。



 「………ごめんなさい。」



 千春は、吐き出すように小さな声で先輩に言った後、小さく頭を下げて部屋を小走りで飛び出した。

 早く彼の前から逃げたかった。



 憧れて、大好きだった駿先輩。



 彼は自分の外側しか見ていなかった。そして、彼女ではない、体の関係を求めていたのだ。

 そして、それに気づかずに、また彼女として求められるのではないかと勘違いをした自分がとてもみじめで、そして、愚かだと気づいた。



 泣くことだけは我慢して、早足で会社から出た。俯いたまま、押し潰されそうな心を抱えて歩いていると、「千春っ!」と、聞き覚えのある男の声が聞こえた。



 振り向かなくてもわかる。秋文の声だ。




 「おい……どうしたんだよ。待ち合わせの場所、連絡しただろ。」

 「………ごめんなさい。」

 「おまえ、泣いてるのか?……何かあったのか?」



 俯いたままの千春を心配して、秋文は顔を覗き込み、千春の表情を見て、更に不安そうに声をかけてくれた。ちらりと秋文を見ると、周りにバレないように、黒ぶちのだて眼鏡をかけていた。

 


 「ちょっと、仕事でミスしちゃって、落ち込んでただけだよ。ぼーっとして、ごめんなさい。」

 「………本当に?」

 「………大丈夫だから。そんなに心配しないで。」



 必死に作り笑いをするけれど、うまく笑えてないと千春自身わかっていた。

 秋文の顔が見れないまま、千春はゆっくりと歩き出す。


 すると、片手に温かい感触を感じて、隣を見上げてしまう。

 秋文が、心配そうに微笑みかけながら、千春の手を握って歩いてくれていた。




 その優しい温かさが、とても辛くて。

 千春はこっそりも一粒の涙を流してしまった。

 



 夜の闇で、彼にはバレていないと願いながら。








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