第35話「2人の呼吸」






   35話「2人の呼吸」





 大好きな人の声を約3年ぶりに聞いた日の夜は、寝られるはずもなかった。

 寝付けたのは夜明けだったので、かなりの短い時間だった。けれども、すぐに起きれたのは彼に会いたいからだろう。

 

 フラフラになりながらも準備をして、秋文の自宅に向かった。その間、千春はコートの中に忍ばせていた、秋文の部屋の鍵をずっと握りしめていた。

 アメリカに行った時も、いつも寝る前に眺めていたものだった。

 これを持っていれば、また秋文に会える。あの部屋に行けるのだ、と夢見るように過ごしていた。

 それがやっと叶うのだとおもうと、少し怖い未来があったとしても、彼に会うのが嬉しくて仕方がなかった。


 恋人として会うのはもしかしたら最後なのかもしれない。

 そう考えてしまうと足がすくんでしまう。

 秋文とは友達としてでもずっと繋がっていける。片想いをするのは自由なのだ。そんな事を考えて、必死に不安をなくそうとしながら、電車に乗った。




 外の寒い空気から一転。

 温かい車内。そして、心地いい揺れで、千春はうとうとしてしまいそうになる。

 けれど、彼に会うためにそんな事はしてられないのだ。寝ないように、椅子から立ち上がり立ったまま目的地まで過ごすことにした。


 そのお陰で、寝過ごす事もなく秋文のマンションに到着することが出来た。

 やはりここに来ると緊張してしまう。




 エントランスで秋文の部屋を呼び出すけれど、返事はなかった。今は12時を過ぎた頃の時間だ。もしかしたら、秋文は遅れてくるのかもしれない。

 そう思うと、秋文の言葉を思い出して、握りしめていた鍵をポケットから取り出した。

 それを差し込むと、エントランスからエレベーターへ向かうドアが開いた。


 ホッと安心してエレベーターに乗り込む。

 すると指定された階にしか止まらない仕組みになっているので、すぐに秋文の部屋の階に止まった。

 

 秋文の部屋の前で、軽く息を吐いてからドアを開けた。


 玄関から懐かしい雰囲気、そして香りがして千春はジーンと感動してしまう。



 

 「お邪魔します……。」



 数年前は、秋文がいない部屋に何回も入っていたのに、やはり緊張してしまう。

 

 乱雑に置かれた靴、リビングに置きっぱなしになっている飲みかけのペットボトル、リビングのソファに置いてある部屋着。

 全てが秋文を感じさせるものばかりで、千春はうるうるしてしまう。懐かしさから、ゆっくりと部屋を見て回る。寝室のとなりにある部屋は千春の私物が置かれていた。今は、何か置いてあるのだろうか。今の彼女の部屋になっているのか……それを考えると、その部屋を開けることは出来なかった。



 寝室は、ドアが開いていた。覗き込むと、秋文が起きたままのベットになっていた。

 カーテンは半分だけ開いていた。



 「秋文………寝坊したのかな。」


 

 部屋の様子から千春は、そう思ってしまいクスリと微笑んだ。

 家主がいない寝室に入るのは申し訳なかったが、千春はこっそりと部屋の中に入った。

 ベットの布団を整えてからベットの脇に座る。

 すると、サイドテーブルに置かれているものに気づいた。それは、見覚えがあるものだった。


 

 「………これって、私が書いた手紙………。」



 千春はおそるおそる小さなメッセージカードと、少しくしゃくしゃになった手紙を手に取った。



 3年前、泣きながら書いた手紙。


 今、見返して見ると、自分勝手だなと思ってしまう。秋文の夢だと勝手に決めつけて勝手に好きな人から離れてしまったのだ。

 秋文が新しい彼女を作ったとしても不思議ではない。


 それなのに。



 「なんで、こんな手紙………まだ持ってるの?こんなところに置いて……。」



 ベットはいつも使うところ。毎日目に入るもの。

 大切そうに置いてある手紙を見て、秋文の気持ちが伝わってくるようだった。


 

 「わかんないよ……。どうして、こんなことしてるの?」



 他に彼女がいるとしたら、そんなところに置いておくはずがない。

 けれど、この部屋には女の人がいた。

 頭の中が混乱してしまう。



 ギュッと手紙を抱きながら体を丸めると、ふんわりと秋文の香りがした。

 その香りはベットからだと気づく。


 ゆっくりとベットに横になると、彼が隣にいるような気がするほどに、懐かしい匂いがした。

 この香りが大好きで、安心するのだ。


 手紙を手にしたまま、目を瞑る。

 こんなことをしている暇はないのに、体の力が抜けてしまった。

 千春は寝不足と時差ボケのせいで、うとうととしてしまう。



 「秋文………待ってなきゃ………。」



 気持ちはそう思っているのに、頭は働かず、瞼も閉じていく。体が言うことをきかないのだ。


 千春は、そのまま久しぶりに彼の香りに包まれてすぐに眠りについてしまった。

 彼に抱き締められているような感覚を覚えながら。












 ★☆★





 秋文は、車から出ると早足で歩いた。

 走るのは良くないと東に止められていたので、それは我慢をする。

 


 「検査だけで、リハビリするとは聞いてなかったぞ。」



 今日は総合病院での検査だけと聞いていた。が、検査が終わった後は簡単なリハビリが待っていた。

 断ろうとしたけれど、さすがにそれも出来ずにしてもらうと、終わる頃にはお昼を優に過ぎていた。


 エレベーターに乗りながら、秋文は一人で焦っていた。



 きっと千春は待っているだろう。

 不安になっていないか。もう帰ってしまってはいないか。

 不安になりながらスマホを見つめるが、そこには何も連絡が来ていない。

 千春から連絡が来るはずもないのは、もうわかりきっている事なのに、どうしても気にしてみてしまうのだ。



 

 鍵を開けて部屋に入ると、玄関に見慣れないパンプスが置いてある。

 千春はまだ部屋にいるのだと安心して、秋文は息を吐いた。

 久しぶりに会う千春。同じ部屋にいると思うと、緊張し胸が高鳴ってくる。



 「悪い……、遅くなった………。千春?」



 リビングにいると思い、冷静を装って声を掛けたが、返事もなければ彼女の姿も見当たらなかった。



 「どこにいったんだ?」



 玄関に靴があったので、部屋の中にいるのはわかっていた。

 けれども、彼女がいないのだ。

 少し不安になりながら、キッチンや奥の部屋を見るがいなかった。

 残ったのは寝室だけだった。


 そこにゆっくりと足を踏み入れる。



 すると、ベットで丸くなってスヤスヤと眠る千春の姿があった。

 近づくと、ずっと会いたかった彼女の顔があり、秋文は嬉しくなってしまう。

 そして、今でも安心してここで寝てくれる事さえもいとおしかった。


 手には千春が置いていった手紙やカードがあった。これを見ながら寝てしまったのだろうか。


 

 「千春………。会いたかったんだ。ずっとずっと。」



 秋文は顔を寄せて、千春の頬にキスをした。

 ふんわりと優しい千春の香りがして、鼻がジンッとして泣きそうになってしまう。

 顔を近づけてわかったのは、彼女の顔には涙を流した後があった。


 それを優しく指でなぞる。

 


 「俺はお前を泣かせてばかりなんだろうな。寂しい思いはさせないって誓ったはずなのに。」



 秋文は、千春の横に体を倒して起こさないようにギュッの体を抱き締めた。

 柔らかくて、温かい………ずっと感じたかった千春の感触は、秋文を安心させた。


 彼女の静かな寝息と、鼓動を聞きながら、秋文はしばらく穏やかで幸せな時間を堪能した。




 そのうちに彼女に誘われるように、共に目を瞑った。




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