第25話「朝日を浴びて」






   25話「朝日を浴びて」






 千春のいない四季組での食事。

 秋文の話しも終わると、立夏は持ってきた酒を秋文にすすめた。

 普段は千春を送っていくために、秋文は酒を飲まないようにしていた。けれど、今日は千春もいないし、自分の家だ。立夏がすすめた酒を秋文は、浴びるように飲んだ。


 サッカー仲間との飲み会や仕事の接待で飲む事も多かったが、滅多に酒に酔うことはなかったので、進められるがままに飲んでいくうちに、感じたことのない高揚感が出てきた。



 「立夏、あんまり秋文に酒すすめるな。」

 「なんでよー!秋文だって、普段飲めないから飲みたいわよね。」

 「千春がいないときぐらい、飲んでもいいだろ?」

 「そうだー!秋文、女は千春だけじゃないだからねー?」

 「俺には千春だけだ。」

 「…………さすが長年片思い!あ、もしかして今も?」

 「立夏っ!」




 出が止めるのも遅く、秋文の耳にその言葉は届いてしまった。

 その瞬間。秋文は、一気に酔いが覚めてしまう。



 千春は自分の目の前からいなくなってしまった。そして、居場所さえも秋文に教えてくれなかった。それが意味することを考えて、秋文は頭が真っ白になった。




 「俺は千春と別れたことになるのか?」




 俯きながら独り言のように、恐る恐る秋文がそう言う。


 すると、立夏は「今頃気づいたの?」とケラケラと笑い、出は「そういう訳ではないんじゃないか?」と必死にフォローをしている。


 同棲のように暮らしていたのに、荷物を全部持って出ていった。それはこの家に帰ってくるつもりはないという事なのか。けれど………。


 そこまで考え、秋文は持っていたグラスに入った酒を一気に飲んだ。



 今は何を考えてもわからないことだらけだ。

 けれど、決まったことはある。それをやるだけだ。


 そう思うと、秋文はその後も黙々も酒を飲み続けたのだった。











 夜中になると、出は立夏を送って帰っていった。

 片付けもしっかりやってから帰るのが、出のマメな所だ。

 今日はほとんど寝て過ごしたと言うのに、酒のせいか、秋文はまた眠くなってくる。

 いつも働きづめだったつけがまわってきたのかもしれない。


 シャワーを浴びてから、すぐに寝てしまおうとする。寝室に入ってすぐに、サイドテーブルに何か置いてあるのが目に入った。



 「………千春の。」

 


 秋文は、手を伸ばして小さな箱を手に取る。

 千春が置いていった、秋文への誕生日プレゼントだ。



 手紙をテーブルに置き、ゆっくりと包装を解いていく。


 中から出てきたのは、時計だった。


 ファッション用ではなくスポーツ用のもので、軽くて防水になっているようで、しかも心拍測定も可能なもののようだった。

 ブラックのシンプルでシックなデザインで、秋文がよく着用するモノトーンの服装にピッタリだった。


 千春は、普段でもトレーニングでも使えるようなものを選んでくれてのだろう。

 今まで千春からは、何度もプレゼントは貰ってきていた。けれど、恋人になって初めての誕生日プレゼントだ。

 秋文が嬉しくないわけがなかった。

 


 片思いをし続けた人が、恋人としてくれたプレゼント。それを手にして、秋文は夢を叶えるための決意が更に強くなった。



 目覚ましの時間を早めに設定して、すぐにベットに潜り目を閉じる。

 千春がこのベットで一緒に寝るようになってから、一人になると思う事があった。こんなにも、このベットは大きかっただろうか、と。

 大きすぎるベットで過ごした千春との日々は、甘すぎて幸せな時間だった。だからこそ、今が寂しくて切なくなってしまう。

 




 10年以上片思いをしていたじゃないか。

 その時は、ずっとひとりだった。家に付き合っている彼女を連れてくることはなかった。


 独りでも大丈夫なんだ。

 そう自分に言い聞かせて、秋文は無理矢理考えるのを止めた。その内に、すぐに睡魔が襲ってきたのだった。










 次の日は、驚くぐらいにすっきりと目が覚めた。

 お酒を飲んだ翌日とは思えないぐらい、頭が冴えていて、体も軽かった。


 秋文は身支度を整えてから、自分の会社のトレーニングウェアを着た。そして、最後に千春から貰った時計を腕につける。

 朝起きて1番に、時計のセッティングをしたのだ。


 クリスマスのプレゼントが楽しみで早起きをする子どものように、秋文は目覚ましよりも早くに起きていた。

 時計を身につけて、それを見るだけが少し顔がにやついてしまうのが自分でもわかった。



 「よしっ!」



 自分に気合いを入れるように、両手でパンッと頬を叩いてから家を出た。




 初夏の朝は早い。

 まだ暑さは感じないものの、少し体を動かせばすぐに体が熱くなるのを感じた。


 軽く走った後、公園で体を動かして準備体操をする。その後に、長い距離を走るのが秋文のいつもの日課だった。


 

 秋文の家の近くにある河川敷を走ると、気持ちいい風が頬を撫でる。



 秋文はトレーニングをしながらも、考えることは千春の事ばかりだった。


 千春は別れたつもりなのか。

 もう、彼女とは会えないのだろうか。

 千春は俺を嫌いになったのか。


 そんなことばかりを考えてしまう。

 けれど、朝の空気は秋文の頭を冷静にしてくれていた。



 千春がもし別れたと思っていたとしても、もう一度付き合ってはいけないわけではないのだ。何度でも、彼女に告白をしていいはずだ。

 千春が断ったとしても、諦められるわけがなかった。何度でも、気持ちを伝えていけばいい。秋文は、そう思った。


 千春の居場所がわからなければ、探せばいい。今は探すときではないし、スペインに行ってしまえば忙しくなるだろう。けれども、休みがないわけではない。時間は作るものだ。

 自分がやって来たことに自信が持てたから、秋文は千春の元へ行こうと思った。



 それに、そもそも千春が帰ってこないと決まったわけではない。

 千春は荷物をほとんど持っていったのだ。

 

 秋文の部屋の鍵も一緒に。



 鍵を持っていったという事は、あの部屋にいつか戻りたいと思ってくれているのではないか。

 秋文はそう思えてならなかった。



 あとは、秋文が千春を信じる事しか出来ないとわかると、気持ちがすっと楽になった。


 千春を信じるなんて、とても簡単な事だ。

 遠い場所からでも、彼女は迷い苦しみながらも、きっと見ていてくれると、秋文は強く信じている。



 左腕にある時計を見つめれば、千春の視線が感じられる。そんな気がして、秋文は走りながら微笑んでしまう。



 彼女が導いてくれた夢を叶えるために、秋文はまた足を早めたのだった。




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