第21話「甘えたい夜と甘い自分」
21話「甘えたい夜と甘い自分」
秋文がスペインチームから誘われている。
その事を千春が知らないと静哉が気づくのは、その後すぐだった。
食事を呆然と見つめて、ほとんど食べない姿を見ておかしいと思ったようだった。
「………静哉くん。それって本当のことなの?」
「ええ。それは本当です。僕も監督から内密に話をされて、どうしてだろうかと話したので。」
「そう、なんだね。」
「先輩……俺、言っちゃいけないこと話しちゃいましたよね。すみません。」
申し訳なさそうに頭を下げて、静哉は何回も謝罪してくれた。けれど、悪いのは静哉ではない。
静哉の様子を見て、こっそり話しを聞き出そうとした自分が悪いのだ。
「違うの。静哉くんは悪くないよ……。私、秋文のが何か内緒にしてるって気になってて、それを静哉君が知ってるのがわかったから話しを合わせて、聞き出そうとしたの。………私の方がよっぽど悪いことしてる。最悪なことしてるの。………ごめんなさい、静哉くん。」
「………千春先輩。」
自分がされて嫌な事を詮索のためにやってしまった。秋文の事がどんなに気になると言っても、静哉に悪いことをしてしまったと感じて、千春はゆっくりと頭を提げた。
すると、静哉は慌てて「先輩は謝らなくていいんですよぉー!」と、オドオドした声が聞こえてきた。顔をあげて彼の顔を見ると、とても困った顔をしている。
「先輩は悪くないですよ!悪いのは、秋文先輩です。大好きな人に内緒にしておくなんて……!秋文先輩何を考えているんですかね。」
「静哉くん、ありがとう。………私も秋文が何を考えているのかわからないの。彼女なのに。」
「……付き合ってるからって、全てがわかるわけじゃないですよ。」
「……そうだよ、ね。」
「秋文先輩に直接聞いてみたらいいんじゃないですか?どうして、移籍しないのかって。」
千春や秋文の事を、真剣に考えて心配してくれる。そんな可愛い後輩を見て、嬉しくなってしまい、ついつい微笑んでしまう。
「静哉くん、重要なことを忘れてるよ?」
「え、何ですかっ?」
「私が移籍の事を秋文に話したら、静哉くんが教えてくれたってバレちゃうよ?」
「あっ…………。それは、やばいですね……。」
すっかり忘れていたのか、静哉はあんぐりとした顔を見せた。けれど、すぐに笑顔を見せて千春を見た。
「でも別に怒られてもいいですよ。」
「え……?」
「俺、秋文先輩と千春先輩のやり取りとか見るの好きなんですよ。だから、二人が仲直りするなら、怒られてもいいです。」
「静哉くん。…………静哉くん、優しいね。」
「そうですよ!だから何かあったらまた相談してください。さ、ハンバーグ食べましょう!おいしいですから!」
元気付けるように笑顔でハンバーグを食べ始める静哉に心の中でもう一度感謝した。
「じゃあ、優しい静哉くんにさっそく1つお願いしてもいいかな?」
「いいですよ!なんですか?」
「静哉くんが、秋文の移籍の事を私に話したって内緒にしててくれる?」
「え………。」
静哉の性格だと、自分で秋文に話してしまったことを直接謝罪して、千春と話が出来るようにしてくれそうな気がした。
それをやめてほしいと言うと、図星だったのか彼は唖然とした顔を見せた。
「秋文との事は自分でなんとかするね。それに……彼から話してもらいたいの。我が儘だけどね。」
「そんなことないですよ。………わかりました。話しません。」
まだ、納得できていない様子だったけれど、静哉はきっと約束を守ってくれるだろう。
千春は秋文が話してくれるのつもりはないのは、わかっていた。もし相談してくれるなら起業の話を打ち明けてくれた時に、話してくれたと思うのだから。
彼に聞きたい。
どうして、話してくれないのか。
どうして、夢を諦めてしまうのか。
静哉に聞くと、移籍をすることで、その国のプレイスタイルを知れて視野が広がる事、そして日本代表にも選ばれやすくなるという事を話してくれた。
日本だけではない、他の国で戦った経験は大きいと話してくれた。
秋文の夢の1つに、「日本代表に復帰する。」というのがあった。
それなのに、その夢への近道を自分で切り捨てようとしている。
その理由を知りたかった。
静哉と別れた後、千春はすぐに家には帰らなかった。向かったのは、もちろん秋文の家だった。
突然会いに行った事に、秋文は驚いた様子だったけど、すぐに喜んで家にあげてくれた。
「どうしたんだ?会えないって話しだっただろ?」
「………ごめんなさい、その、秋文に会いたくなったから。」
「夜中に一人で歩くのは危ないから、今度から連絡してくれよ?」
「うん……。」
部屋に入ってすぐに秋文に抱き締められたまま、そんな会話を交わす。
緊張した気持ちでこの部屋に来たのに、秋文の体温と匂いを感じるだけで安心して力が抜けてしまう。
秋文に会いに来たのは、スペインへの移籍の話をするつもりではなかった。
彼の気持ちを少しでも知りたかったのだ。
それに、彼が遠くに感じてしまって寂しくなってしまったのも理由の1つだった。
「秋文、今日泊まってもいい?」
「……あぁ。もちろんだ。どうしたんだ、そんなに甘えて。珍しいな。」
「そうかな……。秋文に会いたくて、そうなったのかも。」
千春は、彼にキスをせがむように彼の顔に近づける。すると、秋文は嬉しそうに笑い、優しくキスを落としてくれる。
久しぶりの彼の家と、彼の感触に千春はここが玄関だというのを忘れて、キスを求め続けた。
彼が与えてくれる熱には、何か不思議なものがある。もっと彼が欲しくなって疼いてしまう。いつもは我慢しているのに、今日は何故だか違った。
「秋文………お風呂入りたい。」
「あぁ。一緒に入るか?」
「うん。入りたい………。」
いつもならば「恥ずかしいから。」と断る千春に、秋文が冗談で言った言葉だったが、千春が受け入れたのに、秋文は驚いた様子だった。
「ダメだった?」
「いや………そんな事ないけど。今日のお前、いつもと違いすぎるから。」
「……私だって、そんな気分になる事あるよ。」
「………あぁ。ったく、おまえには勝てないよ、本当に。」
秋文も我慢が出来なくなったのか、そのまままた強く抱き締められ、食べるように唇を奪われていく。
こうやって、彼に抱き締められているだけで安心するし、不安な事を忘れられる。
その熱と快楽に溺れていれば、幸せなのだ。
それだけではダメだとわかっていても、今だけは溺れていたいと、千春は秋文の与える優しさと気持ちよさを求めて目を瞑った。
「恥ずかしいけど、一緒に入るの嬉しいね……。」
「何で恥ずかしがるんだ?いつも裸なんて見てるのにな。」
「………こんな明るいところでは恥ずかしいの!!」
玄関先で彼に熱を与えられ、そのまま汗を流すために2人でお風呂に入る。2人で入るのは初めてでドキドキしていたけれど、後ろから彼に抱き締められるように入ると、いつもより気持ちよくて体の力が抜けてしまった。彼に寄りかかるようにお湯に浸かると、秋文は嬉しそうに笑いながらお湯の中でてを握ってくれた。
「でも、俺はおまえと入るの好きだけどな。」
「え………、そうなの。」
「なんか、いつもよりリラックスできてつかれが飛ぶ気がする。」
「………そっか。じゃあ、恥ずかしいけどまた入ろう?」
「あぁ。あぁー、やっぱりおまえといると安心するんだ。離れたくない。」
「うん………私も離れるの寂しいよ。」
「離さないけどな。ずっと、おまえは俺の近くにいるんだ。」
彼の言葉を聞いて心が温まるのと同時に、探していた答が見えた気がした。
答えはとても単純で、そして自分も同じ思いだったのだと気づいた。
秋文と離れたくない、会えない日は寂しくて会いたくなる。それは、秋文も同じでいつも会いに来てくれた。それが嬉しくて幸せすぎて、会えない日を考えるのが怖くなってしまった。
秋文が夢を諦めているのが、自分のせいだと気づいたのだ。
自分の拙い考えと行動に怒りと情けなさを覚え、そして切ない気持ちに襲われた。
私が秋文の夢を潰している。
それを理解して泣きそうになる顔を必死に隠すためにお風呂のお湯を手ですくって顔にかける。
温かいお湯と涙が混ざってお風呂に消えていくのを、千春は呆然と眺め、1つの考えが生まれたのだった。
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