第14話 ボス、現る

 の異常な副作用で一時は、一生このまま、よだれを垂れ流して生活をすることになってしまうのかと思われた。けれど自体はそれほど重篤なものではなかったようだった。

 数日は、4人部屋から出ることはできず、飯もベッドの上で食うことを余儀なくされた。その間こそ、よだれは垂れ流しだったし、言葉を話すこともできなかった。

 島本氏とも会わずに過ごした。部屋では向かいのオッサンが、一日中、自慰にふけっていた。「気持ちいい、気持ちいいーっ!」と叫んでいる向かいで、僕は本を読み続けていた。それも、なんと「ドグラ・マグラ」を。


 4人部屋はドアは開けっ放しだ。精神病院とはそういうものだと思う。ドアを締め切っていたら、患者が何をしているのかわからないだろうからだ。

 だから例の怪しい運動をやっている患者たちも横目で見ていた。時々島本氏が様子を見に来てくれることもあった。手を挙げるくらいのことはできたので、そういう挨拶を交わした。


 しばらくして、立ち上がれるようになった。

 それで僕がしようとしたことは、煙草を吸いに行くことだった。


 足元がふらついていたが、僕は壁に手をやりながら廊下を歩いていった。

「トーカ」


 僕を見つけて、声を掛けてくれたのはやはり島本氏だった。廊下に寄りかかり、文庫本を手に、片手をポケットに突っ込んで立っていた。目の前を通り過ぎるなぞウォーキングをする患者連中には目もくれていないようだった。そういう彼の姿は、どこか

 僕には、美しく、安心する象徴のように、見えたのだった。


「お前、もう大丈夫なのか。歩けてはいるようだな。話せるのか」


 僕はなるべく発する言葉を少なくするよう努め、答えた。

「な、んとか」


「そウか。無理をすることはない。煙草は吸えるか」

 僕は頷いた。


 僕は看護師に預けていたゴロワーズを受け取り、火を取った。島本氏も火をつけて、喫煙室に向かった。


「どうした」

 僕はナースステーションの方を向いていた。どうしてもやっておきたいことがあった。

「?」


 誰にともなく。とはいえ、あの薬を飲ませた看護婦と、主治医に。

 中指を思いっきり突き立ててやった。


「クソ、タレ」


 島本氏はそんな僕を見てふと笑みを浮かべた。


 しかし僕は喫煙室に入る瞬間、見た。見て、動けなかった。

「おい、どうした」


「だれ、あれ」


 強化プラスチック貼りで中が見える喫煙所に、

 

 ひと目見て、「やばい」と感じる男が、いた。


 ああ……。と、教えてくれた。

「前も話したことがあっただろう。看護婦が預けてた煙草をなくしたのを、文句を言って保護室に引っ張られてた人だ。ほとんど1か月近かった」


 その男は一言で言えばプロレスラー、二言で言えば、関取で横綱。とんでもないガタイだ。

 あの男が、僕が「あの言葉を投げかけた相手」だとするなら……、僕は殺されてしまうだろう。


「どうした。入らないのか。あの人にビビっているのか。悪い人ではない。敵対さえしなければ、な」


 僕は島本氏に、持っていた煙草を預けた。そして、一度引くことにした。

「おい。どうした。」


 僕は正直に話すことができず、喫煙室の前を後にして、4人部屋に戻った。










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