第9話 食堂は便臭でたちこめていた

 無論、食事は食堂で摂る。

 席は大体決まっているらしかった。10年、20年患者がいれば、自分の席がだいたい決まっていても不思議はないだろう。

 夕食時になると、がらがらと、タイヤ……というか、お椀が入った大きなケースが病棟の外から運び込まれてくる。


 これまで書いてこなかったけれど、病棟の出入り口は、病棟を「L」字と見た時の角の部分にある。強度の精神病患者がひしめく病棟である。看護師は一般と比べて、相当、ガタイは良い。そして、警戒感・緊張感を隠すことも緩めることもない。


 病棟の出入りの際は、腰に巻き付けている自分の腰縄から、鍵を外すことはない。

 腰縄から延びる紐に付いている鍵で、病棟を出入りする。内側から出る時、患者が近くにいる時は絶対に開錠することはない。脱走を警戒しているのだ。


 そして安全確認をして、開錠し、出ると即座に鍵を閉める。自動ロックではない。


 そんなやり方で、食事は運ばれてくる。


 この食事も、うんざりするようなものばかりである。

 どの病院も、「病院食」というのも、たいていまずいものと相場が決まっているのだが、その期待を一切裏切ることなく、まずかった。


 たいていはまずいにしろ、栄養分を考慮してとか、どうとか言い分がありそうなものだが、謎の山菜、草のおひたし、味のない漬け物、べとつくご飯。ため息が出たものだった。


 そして僕の座る席は、トイレに近い。


 いつも……。いつも、このトイレからは、


 下痢の匂いが漂っていた。


 詰まっているということではないようなのだが、患者が流さないのである。

 閉口してしまう、とはこのこと。


 僕はいつも下痢の臭いがする中で、夕食を食っていた。


 この食事にしても。

 たとえば、栄養がつくとか、バランスのとれた食事とか、言い訳があるのかもしれない。しかし、たまにはチャーシューがたくさん入った豚骨ラーメンとか、ビフテキとか、そういう「喜び」を与えることで、患者の気持ちや、精神面が向上することもあるのではないか、と僕は思っていた。


 それを一度、入院中、栄養士と話す機会があったので、「何も栄養だけがすべてじゃないと思うのですが」と話したことがある。すると「……」と、丁重に沈黙、無視された。そういうことは考えたことも言われたこともないらしかった。飼われている豚にごちそうを出してなんになるという気持ちが見えた気がした。


 さらに僕は驚くべき光景を見た。

 患者のひとりが、飯の入ったどんぶりを持って、僕の方へ走ってきたのである。

 僕は何事かと思った。その老人は、僕の横を素通りして、トイレへ入って行った。そいつはすぐに戻ってきた。僕はそいつが何をしたのかを、見た。

 

 飯の入ったどんぶりに、そいつは水を入れてきたのである。

 おいおい、冗談だろ……、と思いながら彼を見ると、そのどんぶりを箸でかきまぜると、水でぐちゃぐちゃになった飯を、すすり食い始めた。

 僕はもう吐き気がしてしまった。便の臭いもそうだが、いったい、僕はもう、なんという場所にいるのか。

 




※原作メールマガジン「精神病院の中」

http://melma.com/backnumber_147895_2412513/


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る