第8話 閉鎖病棟での喫煙

「だいぶ、脅かされたようだな」

 診察室のある詰め所を出た僕に島本サトシが声をかけてくれた。


「島本さんか。だいぶ脅かされましたよ。精神障害者なんだから、わきまえろとね」

「まあ、一服やろう。ナース、ライターを頼みます」


 彼がそう言うと、詰め所の、物を出し入れするスペースからチャッカマンが僕たちのいる詰め所の外に突き出された。そのチャッカマンには、鎖が付いており、僕たちが煙草を口にすると、火が着けられた。僕もそれに倣い、煙草に火をつけ、そのまま喫煙室へと向かった。


 銭湯のサウナを思わせるような喫煙室。病院だというのに、煙草が吸い放題とは……。つくづく、異世界のようだ。

「珍しい、煙草だ」

「ああ……、これはゴロワーズです。

「拘りがあるのか」

「ええ」

「ここでは、LARKとわかばしか手に入らない」

「……良かったら」

「いや、気にするな。それは貴重なものだ。大事にしたほうがいい」

「……確かに」


「兄ちゃん。今日出てきたのか、保護室から」

 喫煙室の隅にいた老人……と言ってもいいような歳の、禿頭の男性が声を掛けてきた。僕は頷いた。

「そか。だいぶ堪えたろう」

 昼も夜もわからない、窓もない部屋に比べればここは遥かにまし……と言ってもいい。

「少なくともここは、テレビがあって、煙草が吸えますからね」

 男性は笑ってみせた。悪い人ではなさそうだ。見た目で何がわかるわけでもないけれど。少なくとも、煙草を吸わない人よりは、僕には吸う人のほうが安心できる。


「でも、気をつけなよ。いつ戻されるかもしれねえからな」

「どういうことです?」

 男性は説明してくれた。

「あそこは保護室なんて名前だけどな、ここに来るとまず最低1週間、落ち着かせるためっつうか、一発精神的にくらわせるためにあそこに入れられるんだけどな。ここの職員の気に食わないことをすれば、すぐに引っ張られてまたあそこに送られるのさ。保護が必要だってことでな」


 


「気に、食わないこと、って」

「気分ひとつだよ。口答えするとか。規則を守らないとか。だから大人しくしとくのが一番だ」


 僕は島本サトシに「本当に?」と目配せをする。彼も黙って煙草を吸いながら、大きく頷いた。

「赤井の他にも、入れられてた人、いたのに気付いたか」

「……あ、ああ……」


 僕の隣の「房」で「すいません!!」と叫んでいた男のことだろうか。


「もう、3週間くらいになりますか、あの人がぶちこまれて」

 島本サトシが、禿頭の……おそらくは古株のような男性に聞いた。

「そうだなあ。そのくらいになるな。ひどいもんだよな」

「かなり狂暴な人ではあったが……、あの人が詰め所に預けてた煙草を、職員が無くしたのさ。あり得ないような話だが。それでふざけるなと詰め寄った。それで引っ張られちまったのさ」

 禿頭の男性――張本といった――も大きく頷いた。「ひでえな」

 僕はその「狂暴な男性」とのやりとり――気違い、扱いしたこと――は、黙って、静かにそれを聞いていた。


 張本、が言った。

「ここにいるのは、多かれ少なかれいろいろ事情がある。別に、無理にとは聞かんが、なんか、あったのか。あんたんだろうなあ」


「……そうですね。……ええ」

 僕はどう話していいかわからず、黙った。いっそ話してしまってもいい、とも思えたけれど、そういう時期なのか、わからなかった。

 

「……そか。まあ、仲良くやろう。気をつけてな。何かあったら言ってくれ」

「……どうもありがとう、ございます」

「うん」


 そう言って、張本は喫煙室を出た。


「火……、」

 島本サトシが言う。

「火って言っても……あ、そか」

 僕は吸っていた煙草の先を、彼のほうに向けた。その種火で、島本サトシは新しいLARKに火をつけた。


「あの人はもうここにいて10年になる」

「10年……」

「殺人、だよ」

「殺、人」

「詳しくは知らないがな……。この閉鎖病棟では、珍しくない。父親をバットで殴り殺したやつも入ればストーカーで女性を刺し殺した人も」

「……」


「母親を毒殺してここに来た者も」

「……!」


「……島本さん、あなたは」

「俺は、ドラッグさ。大麻とか、Sとか」


 島本サトシは僕の心を見透かすような目をしていた。



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