精神病院の中

赤キトーカ

第1話 絶対にあるべきものがない部屋で

 僕――いや、僕たちというべきか――。僕が、ここに記していることは、フィクションでもあり、ノンフィクションでもある。

 僕があの病院を出たときのことは、正直、もうよく覚えていない。

 それを懐かしがったり、することも、もうあまりない。


 けれど、僕たちは何度も脱出を試みた。そして成功した者もいた。

 成功しなかった者は、今でも、あの山奥の、薄暗い、病棟の中で、叫び、誰の助けを得ることも叶わず、泣くことも忘れ、笑うことも許されず、ただ、時間が過ぎるのを――死を――、ベッドの上で、待ち続ける。


これは、脱出を試みた、僕たちの記録である。






 俺はその日、その時、第二の産声をあげたと差し支えないだろう。

 俺はそこが、その場所が、地獄なんて仰々しいことは言うまいが、とてつもない恐ろしさを俺に与えてくれる場所なんだろうなということは、認識ができた。


 ああ。俺は部屋を、見渡す。それを部屋と呼んで良いのならば。

 普通、部屋というものは、火災や、なんや、のために窓があり、ドアがあり、非常階段があったりするものだ。しかし俺の目の前には鉄格子しか、なかった。これがまた見事に鉄格子鉄格子しているのだ。鉄格子としか言いようがない。鉄のパイプを両手でつかんで「俺をここから出してくれえ」と叫ぶ漫画か映画と同じ、鉄格子だ。絶対に、出ることはできない。

 

 天井は明かりがずっとついている。

 ここにぶちこまれたのが昨日なのだから、あの罵倒で目を覚まして以来、数時間が経ったかもしれないが、時計もなければ、窓もない。聞こえるのは隣の鉄格子の住人の狂った叫び声だけ。


 ある作品を思い出す。「人は時間の感覚を失ってから、まず自我を失っていく。今が昼か夜かもわからない。そしてゆっくり脳が閉じていく。出された食事を数えて、自分を保とうとするが、それもままならなくなる。人とは、周囲、他者との関係で自分を保っていられるのだ」。隣の「房」の男は、もう何年ここで暮らしているのか。


 俺を目覚め。それはおそらく、強力な鎮静剤の投与による昏睡からの目覚めだったのだろうが、目覚めから叩き起こしたのはこの言葉だった。


「うんこ!!!」

「うんこ!!!」

「うんこ!!!」


 2人の中年ばばあが、織の外から(内から?(どちらが内なの?(ほんとうは、あなたがいるのが、外なの?(それを決めるのは?(君が決めるんだ)))))、僕に向かって、驚きの呪いの言葉を投げかけるのだった。それが自分に向かって投げかけられた言葉だとわかり、ゆっくりとまぶたが開く。まぎれもなく老婆たちは僕に向かって「うんこ!!!」という言葉を叫び続けているのだった。


 これが現実なのか。あきれて何も言わず、その言葉をただ浴びせられ続けた。


 「ああ。」


 僕はふと、思いついたことを、ばばあに返答してみた。


 「い……1回」


まったく残念なことに、それが「正解」だったのだから、夢でも幻覚でもなかったのだから、ばばあたちは「回数」を記録して、次の房へと行って、またうんこうんこと叫ぶのだった。



 僕は、父やいろんな人の指示で、ここに入ることになった。


 この「部屋」には、驚くことがたくさんあるけれど、僕がいちばん愕然としたことがある。

 なければ不便とか、そういうこと以前に、愕然とすることだ。


 なんだと思うだろうか?


 刑務所や死刑囚が執行を待つ拘置所の房なら、同じように「ない」かもしれない。けれど僕たちはそうじゃない。


 たとえばトイレに入って、出ようとしてこれがなければ大変なことになる。


 その答えは、さて、なんでしょう?。

 


 部屋の片隅に、青い箱がいつの間にか、置いてあった。

 誰が置いたのかもしらない。

 幻覚かもしれない。


 それは、リボンが巻かれた、お菓子の、チョコレートの包みだった。


 開けて、ひとつチョコを取ってみると、ドラえもんで、ひとつひとつにコメントが記されていた。


「きょうは やさしい気持ちに なれるよ」


 終わりの見えない孤独と恐怖と不安が、ドラえもんの笑顔でほんの一瞬だけでも救われた気がして、涙がとめどなく流れた。



 これは、現代の、

 現実に存在する、

 ひとつ間違えばだれでも体験することになる、

 A県を舞台とした、


 精神病院の、閉鎖病棟の、物語である。


 僕は幸いだ。


 こうして、発表することが、できるのだから。

 いまでも、声を発することができず、鉄格子のなかにいる人が、


 僕こと、トーカには聞こえ、見えるのである。



続!!!!!



 




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