第10話 謎の薬で、意識を失う
「最初はこたえるだろうな」
と、サトシ氏は喫煙所で僕に同情した。
下痢の臭いのする食堂のことだ。
「最初も何もない……。なぜ誰も、糞の臭いのする食堂に慣れきってしまうのか。看護婦も看護婦だ。看護師か。気に、ならないのか!?」
僕は島本サトシ氏に詰め寄るように言った。
「だから、慣れたら、終わりだ。今はそれでいい。何も感じなくなったら、終わりだ。生涯ここの住人さ」
さらに、水ご飯を食う男についても話してみた。
「あいつは、いつもそうだ。歯が悪いだの、そういう理由なんだろうが、とてもまともな神経で食えるもんじゃない」
「ここは、化け物屋敷みたいだ」
僕は素直に思ったことを言った。
「ああ。だが忘れるな。俺も、貴様も、その化け物屋敷の中から出られない一人ということをな」
その時。
喫煙室の外から、食堂から、大きな物音がした。
信じられないことに、患者のひとりが椅子を、何もない空間、壁に2脚、投げつけて叫んでいるのだった。
すぐに「機動隊」が駆けつけてきた。それはこれまで見たことのない部隊だった。
機動隊だの、部隊だのという言葉は決して冗談ではない。看護師たちは事が起こるとすぐにナースステーション、詰め所に立てこもり、中から施錠したようだった。そしてどこからともなく、3人、4人の白衣を着た男が駆けつけてきた。その男たちを表現するなら、誰もが、こう表現するだろう。「屈強な」と。
他の看護師とは明らかに違う、「こういう時専門の」「屈強な男たち」が現れた。
「北朝鮮がああああ!!!!、北朝鮮が来る、ああああああ!!!!!!」
イスを投げる患者は明らかに幻覚を見ている。北朝鮮の兵士が襲ってくると叫び続けている。「はい、はい」「わかったから、こっち来ようね~」と、しっかりと両脇を抱えた男たちは、彼を、拘束した。
「引っ張るな……」
「え?」
「拘束部屋か、保護室か……。拘束だろうな」
男たちは詰め所の近くの部屋に患者を引っ張り、ぶち込んだ。
「たまに、やるのさ。」
「何を……」
「イスを、見境なく放り投げる」
「とんでもないことだ……」
「とんでもないこと、だらけだ。そうだろう?」
「……その通りだ」
「それに……、あの患者……廃人、使えるかもしれない」
「……何に?」
島本サトシはそれには答えなかったが、思いつめた表情で、何かを考えているのだった。その意味がわかるのは、もう少し先のことである。
その夜、寝る前になり、詰め所で薬を飲まされた。眠剤だという。
それは初めて飲む薬だったので、持ってきた看護婦に「これは、コンスタン?」と尋ねた。「詳しいわね。コンスタンと、もう少し強いお薬。早く飲みなさい」
どうせ飲むことを隠すこともできやしない。変に反抗して心証を害しても厄介だ。僕はその薬を飲んだ。
「口開けて、ベロ回して見せて」
そのようにして「はいOK」と、言われた。
すぐに異変は現れた。
「・・・あ、あれ?」
歩けない。
足に力が、全く入らない・・・?
僕は床に、倒れこんだ。身体に力が全く入らない。
なんだ、これ・・・。
「何してんだ、おい」
そう声が聞こえた。島本サトシだろうか。看護師だろうか。
もう、意識はほとんどなかった。
続
原作メールマガジン 「精神病院の中 ~誰も知らない社会」
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