第6話 入院して20年の人達。病棟の人達。
「どうだい、新人。不思議な光景だろう? まったく、こっちまで、おかしくなっちまいそうだ」
小柄な彼は、名前を島本と言った。島本サトシであると。僕も名乗った。「赤井です」と。
「ゾンビ、みたいだ」
僕は奇妙すぎる光景を見て、率直に思ったことを言った。言って、失礼だっただろうか、と一瞬後悔した。
「こいつはウォーキングだ。こんな場所、やることもない。身体を動かすことも、ない。だからこんなことでもするしかねえのさ」
……成る程。
「だからといって、赤井……トーカ。君はこの『一員』に交じって、この列に加わりたいと、思うか?こんな奇妙な行進をやりたいと、思うか?」
僕は即答した。
「思わない。」
「それでいい。」
続けて彼は言った。
「それが正しいとか、悪いとか、そういうことじゃねえ。健康にいいのか、悪いのかと言ったら、そりゃあやらねえよりはいいだろうさ。けどな、こんな場所に『長く』いると、そんな真っ当な感覚は、薄れ溶けきっちまうよ。ここのヤブや看護婦たちに言いくるめられてな。飲まれちまう。だから、その感覚を、『おかしいんじゃないか』って感覚を、忘れるな。それが先輩としてのアドバイスだ」
「島本さん、あなたはここに来てどのくらい経つんです?」
ふ、と笑いながら言った。
「まだ、4か月。ピカピカの1年生さ」
「4か月で『まだ』って」
「『まだ』も『まだ』、洟垂れ小僧さ。見ろよ、今通った老人、ほら、今歩いて通った、あのオッサンを」
「……彼らが、どうしたって」
「あのオッサンらは、『20年生』さ」
「20年生……?」
「ここにぶち込まれて、20年、ってことさ」
ぞわ。
「に……二十年?」
「ああ。間違いない。ここは病院だが、ああなったら、『治る』も『治らない』もないわけさ。彼らは生涯ここの住人。だから気をつけろ。医者には絶対に逆らうな。間違っても、もう治ったから早く出せなんてことは、言うな。ここから生きて出られるか出られないかは主治医の気分ひとつだ」
いつの間にか、「ウォーキング」奇妙な行進は終わり、それぞれが散開し、病室へと戻っているようだった。
僕は島本の言葉に心中、心底震えていた。
ここは闇だ。誰も報じない。誰も助けない。助けを求めることもできない社会の真の闇だ。こんな恐ろしい場所が本当にあるなんて。
あるなんて、なんて話じゃない。現にこうして、ある、のだから。
僕は僕に割り振られた4人部屋に戻って、窓際のベッドに座り、横になった。窓の外には当たり前のように鉄格子が嵌められていた。
部屋の中の他の三人は、眠っているようだった。ここでは、食堂のテレビを見るか、薬で寝るかするしかないように思えた。この三人は、どのくらいここにいるのだろう。何をして、ここに入れられたのだろう。
窓の外を眺めていた。雪が降る季節から、桜が咲く季節へと向かっていた。
「ああっ、あっ、おっ、あっ」
突然、僕の目の前のベッドで寝ていると思っていた患者が、声をあげたので僕は驚いてそちらを向いた。
「おっ、おっ、あっ、はあっあっっ」
驚き、見ていた。身体が震えているような動きをしている。
どうする?看護婦や、看護師を呼んだほうがいいのだろうか。僕はナースコールのボタンに手をかけて、押そうとした。しかし、彼はこう叫びはじめた。
「あっ、おっ、ああっ、気持ちいいっ、気持ちいいっ!」
僕は呆然とそれを見ていた。
……気持ちいい、のか?
やがて、大きく息を吐く音がして、叫び声は聞こえなくなり、大人しくなった。
「果てた」のか。
それはかなりの声の大きさだったが、廊下を歩いている者も、部屋の者も、誰も気にも留めていないのだった。島本が言った、「感覚を忘れるな」という言葉の意味を僕は深く理解した。
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