初めての感覚
リシュエルによって保健室に連れていかれたシルビアは、保健医の指示でその日は寮に帰されてしまった。
さらに早い帰宅に驚いたマリーが事情を聞き、大慌てで無理やりシルビアを寝かしつかせたのは言うまでもない。
そうして次の日、すっかり体調は回復したものの早く寝かされてしまった事で朝早くに目が覚めてしまい、仕方なくいつもより早い時間に登校する事にしたのである。
「……さすがにこの時間ではまだ誰も来ていませんね」
シーンと静まりかえっている教室の中を見回しながら苦笑いを浮かべたシルビアは、そのまますっかり定位置となってしまった一番前の席に向かった。
「……はぁ~」
シルビアは席に座ると机に肘を乗せて頬杖をつき、何も書かれていない黒板を眺めながら小さくため息を吐いたのだ。
(……あれは一体なんだったのでしょう?)
心の中で自問しながら、シルビアは昨日の出来事を思い返していたのである。
(あんなに激しい動悸……今まで経験した事ありませんでしたから。まあ確かにアルおじ様に稽古をつけて頂いている時も、何度か息は上がった事はありましたけど……あの感じとは明らかに違っていたと思います。ん~もしかして私……何かの病気なのでしょうか?)
自分の胸元に視線を向け、今はすっかりと平常に戻った心臓の鼓動を感じていたのだった。
そんな事をずっと考えていたシルビアは教室の扉が開いた事に気が付かず、難しい顔で考え事を続けていたのだ。
するとそんなシルビアに近付き隣の席に座った人物がいたのである。
「……シルビア」
「え? ……っ!」
声を掛けられた事に驚きながら横を向くと、そこには心配そうな顔でシルビアを見ているリシュエルがいたのだ。
その瞬間、シルビアの心臓が大きく跳ねた。
「リ、リシュエルさん!?」
「おはようシルビア。もう体の方は大丈夫なのかい?」
「お、おはようございます。も、もう大丈夫です!」
「そう? だけど……なんだか顔が赤いように見えるけど? 熱でもあるのでは?」
そう言ってリシュエルはシルビアの額に触れようと手を伸ばしてきたのである。
「っ!」
シルビアは声を詰まらせながら咄嗟に身を引き、リシュエルと距離を取ってしまった。
「……シルビア?」
「ご、ごめんなさい! で、でも本当に大丈夫ですから!」
距離を取られた事で怪訝な表情になったリシュエルを見て、シルビアはまだ収まらない動悸に困惑しながらも作り笑顔を浮かべて謝ったのだ。
しかしリシュエルは明らかにおかしいシルビアの様子に、もう一度確かめるように顔を近付けていった。
「リ、リ、リシュエルさん!?」
「シルビア、何かあったのかい? どうも様子がおかしいようだが?」
「い、いえ! 何もありません!」
自分でもよく分かっていない胸の動悸を、何故かリシュエルに悟られたくないと思ってしまったシルビアは、椅子から立ち上がり手を前に突き出して後退していったのである。
するとそのシルビアの背中に誰かが当たったのだ。
「……お前ら何やってるんだ?」
そんな呆れた声が聞こえてきたので、シルビアは慌てて後ろを振り向いた。
「セシル!? 一体いつ教室に入ってきたのですか!?」
「ついさっきだ。シルビア達が話し込んでいたから気が付かなかったんだろう」
「そ、そうだったのですか……」
「それよりもさっきから一体……ん? シルビア、なんか顔が赤いぞ? 熱でもあるんじゃないか?」
さきほどのリシュエルと同じようなセリフを言い、セシルはシルビアの額に手を伸ばしてきたのである。
しかし今度のシルビアはその手から避ける事はせず、そのままセシルの手を受け入れたのだ。
「ん~ちょっと熱い感じはするがそれほどじゃないな」
セシルは自分の額にも手を置きシルビアの体温と比べてみた。
シルビアはそんなセシルを見ながら、戸惑いの表情を浮かべていたのである。
(……何故でしょう? あれほどリシュエルさんに触れられるのが恥ずかしくて無理だと思っていたのですが、セシルに触れられるのは全く平気みたいです。むしろどんどん落ち着いてきました)
平常な鼓動音を感じながらじっとセシルの顔を見ていた。
するとセシルは何気にシルビアの後ろに視線を移し、ヒッと顔を引きつらせたのである。
何故ならそこには、とても冷たい眼差しでじっとセシルを見ているリシュエルが立っていたからだ。
さらにはその背中から何か黒いオーラが漂い出ているようにも見えたのである。
セシルはそんなリシュエルを見て本能的に危険を察知し、すぐさまシルビアの額から手を離したのだ。
「セシル? どうかされたのですか?」
「いや……なんか分からんが離した方がいいような気がした」
「?」
シルビアはセシルの様子を不思議がり小首を傾げた。
その時突然、シルビアの後ろから腰に腕が回り引き寄せられたのである。
「え?」
突然の出来事に驚き振り向くと、リシュエルがシルビアを後ろから抱きすくめていたのだ。
「リ、リシュエルさん!?」
何故抱きしめられているのか分からず、激しく動揺しながらもシルビアは慌ててリシュエルの腕から逃れようとした。
しかししっかりと腰を掴まれているため、抜け出す事が出来なかったのである。
「リシュエルさん、どうかされたのですか!? は、離してください!」
「……」
リシュエルはシルビアをじっと見つめたまま何も話そうとしなかったのだ。
「リシュエルさん!」
「……どうして私の手は避けたのに、セシルの手は受け入れた?」
「え?」
「シルビアは私の事が……嫌いなのか?」
真剣な表情でじっとシルビアを見つめてくるリシュエルに、シルビアの心臓は張り裂けそうになっていた。
シルビアは顔を真っ赤にさせながら、助けを求めるようにセシルの方に顔を向けたのだ。
だがセシルは困惑の表情で顔を横に振って無理だとアピールしてきたのである。
(一体この状況はなんなのですか!?)
そうシルビアは自分に問い掛けるが答えが出ず、とりあえずリシュエルの質問に返事を返さないとこの状況がどうにもならないと察したのだった。
「き、嫌いではないです……」
「……本当かい?」
「ええ」
「ではどうして私を避けた?」
「そ、それは……」
そこまで呟くとシルビアは再び自分に問い掛けたのだ。
(そもそも本当にどうして避けたのでしょう?)
もう一度考えてみたがやはりさっぱり分からなかったのである。
「分かりません」
「は?」
「どうしてリシュエルさんを避けてしまったのか考えてみたのですが、結局分かりませんでした。リシュエルさん、分かりますか?」
腕を胸の前で組んで難しい顔をしだしたシルビアは、抱きしめられている事も忘れ素直な疑問をリシュエルに投げ掛けたのだ。
それと同時に動悸もすっかり収まり、顔の赤みも消えてしまっていた。
そんなシルビアをリシュエルは呆けた表情で見つめ、次の瞬間吹き出してしまったのである。
「え? リシュエルさん? 私、何か変んな事聞きましたでしょうか?」
突然笑いだしてしまったリシュエルに、シルビアは困惑の表情を浮かべたのだった。
そしてリシュエルは楽しそうに口元を手で隠しながら、シルビアを離してくれたのだ。
ようやく解放された事で身軽になったシルビアは、いまだにクスクスと笑っているリシュエルを不思議そうに見ながらセシルに顔を向けた。
するとセシルは呆れた表情を浮かべていたのである。
「あの~セシル、何故リシュエルさんが笑っているのか分かりますか?」
「……シルビアが問い返したからだろ」
「え? どうしてそれで笑われるのでしょう?」
「お前って……魔法や剣術の腕は凄いのにそう言う所は抜けているんだな」
「へっ?」
セシルはため息をつくと困惑しているシルビアをその場に残し、今日は別の場所で座ると言って離れていってしまったのだ。
そんなセシルを呆然と見送っていたシルビアの頭にリシュエルが手を置き、くるりと自分の方に振り向かせた。
「とりあえず……顔色はよさそうだし、大丈夫だね」
「え、ええ。大丈夫です」
「じゃあもうそろそろエリス先生が来る頃だし席に着こう」
「あ、はい」
リシュエルに促されるままシルビアは席に座り直し、その隣に当たり前のようにリシュエルも座りシルビアに優しく微笑んできたのである。
その瞬間小さく心臓が跳ねたのだが、シルビアはもうそれを深く考えないようにしたのであった。
◆◆◆◆◆
学園生活にもすっかり慣れ数週間が過ぎたある日──。
「いけません!」
「マリー、お願い!」
「いくらシルビア様のお願いでもそれはお聞き出来ません!」
ここは寮の中のシルビアの自室。心地のよい日の光が射し込んでいるその中で、シルビアとマリーが言い合いをしていたのだ。
腕を胸の前で組んで目をつり上げているマリーに、シルビアは懇願の表情を向けている。
「……どうして駄目なのかしら?」
「休日だから街に一人で行ってみたいなどと……危険すぎます!」
「そんな遠い街に行くわけではないのですから平気よ。この学園からすぐ近くにある街ですし、ここの生徒もよく行かれる比較的治安のよい場所だと伺っているもの」
「ですがシルビア様は今まで一度も街に行かれた事がありませんので、場合によっては危険な場所に迷い込んでしまわれる可能性もございます。さらに街に出てご自分で買い物をされた事もございませんので、金銭感覚もないでしょうから、悪い店主に引っ掛かりお金を騙し取られてしまう事もあるでしょう」
「そ、そんな事……」
「ないと言えますか?」
「うっ……」
両手を腰に置き険しい表情でぐっと顔を近付けてきたマリーに、シルビアは言葉を詰まらせた。
しかしその時、ふといい考えがシルビアに浮かびにっこりと笑みを浮かべたのだ。
「でしたら、一人で行かなければいいのよね?」
「え? ええまあそうですが……どなたかご学友の方と行かれるのですか? その場合、お相手によります。シルビア様を守れるくらいの方でないとお認め出来ません」
「……学友ではありませんが、私を守ってくれる方という意味ではピッタリの方よ」
「その方は一体……」
シルビアはにこにこ笑いながら後ろを振り返り、天井付近に視線を向けたのである。
「クロードそこに居ますでしょ? 出てきてもらえますか?」
その瞬間、マリーの表情が固まりさらには何か空気が揺れたような気配がした。
しかしシルビアは特に表情を変えず、もう一度呼び掛けたのだ。
「クロード、お願いがあるので出てきてください。大丈夫ですよ。マリーは信用出来る方ですから」
その呼び掛けに、どこからともなくクロードが部屋の中に現れ出てきたのであった。
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