影の護り手
本日の授業を全て終えたシルビアは、ご機嫌な様子で学生寮に帰ってきた。
「シルビア様、お帰りなさいませ」
「ただいま、マリー!」
部屋に入ったシルビアを出迎えたのは、侍女の服をキッチリと着こなしている四十代ぐらいの女性であったのだ。
そのマリーと呼ばれた女性は、眼鏡の奥に見える切れ長の赤い瞳と茶色い髪をしっかりと頭の上で一つにまとめ、整った顔立ちをしていた。
実はこのミリドリア学園の学生寮に入る時、身の回りの世話をしてくれる者を一人だけ連れてきていい事になっていたのである。
だからシルビアは生まれた頃からずっと自分の世話をしてくれていた、まるでもう一人の母親のように慕っている侍女頭のマリーを一緒に連れてきたのだ。
「そのご様子ですと……初めての学園生活はとても楽しめたようですね」
「ええ、とっても!」
「それはよかったです」
明るい笑顔を浮かべているシルビアを見て、マリーは優しく微笑んだのだった。
「では今日はお疲れでしょうし、明日に備えてお早めにおやすみください」
「ん~寝れるかしら?」
「気分が高揚されているのは分かりますが、おやすみになられないと明日の授業に差し障りますよ?」
「うっ! それもそうね。……頑張って寝てみるわ」
「シルビア様がおやすみになられるまで、お側についておりますから」
「……手を握っててくれるかしら?」
「ふふ、構いませんよ」
躊躇いながらお願いしてきたシルビアを見て、マリーはクスクスと笑いながらも頷いてあげたのだ。
そうして夕食を食べたのち、就寝の身支度を整えてからシルビア達は寝室に移動したのだ。
ベッドに潜り込んだシルビアは右手をマリーの方に差し出した。
マリーはそのシルビアの手を握り、優しく頭を撫でてあげたのである。
その手の感触に満足したシルビアは、嬉しそうな顔で目を瞑りそしてすぐに規則正しい寝息が聞こえてきたのだ。
「おやすみなさい、シルビア様」
優しく微笑みながら囁くと、マリーは起こさないようにシルビアの手を離し布団の中に入れてあげた。
そのまま静かに寝室から出ていったマリーは、隣のリビングの窓際に立ちスッと表情を消したのである。
「……出てきていいわよ」
マリーがそう呟くと同時に、リビングの中央に一人の男性が現れたのだ。
「姫さんは寝たのか?」
「ええ、ぐっすりと気持ちよさそうに寝ているわ」
「まあそうだろう。今日はあんなにはしゃいでいたからな」
「……クロード、今日のシルビア様の様子を報告しなさい」
「御意」
クロードと呼ばれた男性は、肩まで伸びたウェーブの掛かった黒髪に黒い瞳と、艶のある顔立ちをしていた。年は二十三歳で全身黒い服を着ていたのである。
そのクロードは、マリーに促され学園でのシルビアの様子を報告したのだ。
「……本当にシルビア様が、そのような魔法を使われたの?」
クロードの報告を聞き、マリーは驚きに目を瞠ったのである。
「ああ、さすがのオレも初心者であんな威力の魔法を使う者は初めて見た」
「確かにシルビア様は、何か他の方とは違う所があるように感じてはいたけれど……そのような力があったとはね」
「だがさすがに炎の勢いが凄かったから、危ないと思い防御魔法を姫さんに掛けようとしたんだが……オレよりも先にあの王子が防御魔法を掛けて姫さんを守ってくれていた」
「さすがはリシュエル王子ですね」
「まあその後も色々姫さんの凄さが際立っていたが……相変わらず無自覚だったよ」
「……シルビア様らしいわ」
「それよりも問題だったのが……」
何かを思い出し不機嫌そうになりながらも、クロードは言うのを躊躇っていた。
「……何があったの?」
「……姫さんの従姉妹がちょっと、な」
「ああ、あのメリダ様ですか……今度は一体何をシルビア様にされたの?」
「まあ最初はいつもの一方的な絡みだったんだが……姫さんが相手にせず去って行こうとした背後からあの女、風の魔法を撃ち込もうとした」
「なっ!?」
「すぐさまオレが障壁魔法を発動させて防いだから、姫さんには被害は無かったが……あれはさすがにやりすぎだろう」
あのメリダが放った風の魔法を防いだのは、身を隠していたクロードであったのだ。
クロードはその時の事を思い出し、顔を歪めたのである。
そんなクロードを見ながらマリーは、大きなため息を吐き胡乱げな目で何かを思い出していたのだった。
「メリダ様は……シルビア様が表に出てこられない事をいい事に、夜会などの場所でまるでご自分がこの国の王女であるかのような振る舞いをされているのよ。正直、何度シルビア様をお連れして王女はこの方ですと言いたいと思った事か……」
「オレは基本、姫さんの身辺警護を担当しているから、他での状況を知らなかったが……そんな状況になっていたのか」
「ええ……何度闇に葬りたいと思った事か……」
「さすがにそれは、あんたが言うと冗談にならないから止めておいた方がいい」
「……分かっているわ」
危ない揺めきを瞳に宿していたマリーを、クロードが呆れた表情で諭したのである。
マリーは一度目を閉じ大きく深呼吸をしてから再び目を開けると、そこにはさきほど見えた危ない揺めきは無くなっていたのだった。
「それで、報告はそれだけ?」
「ああ、その後は特に問題は無かった」
「そう、ありがとう。引き続きシルビア様の身辺警護を頼むわよ」
「勿論だ。姫さんの警護は代々の国王直属で闇の部隊、オレ達『黒い雷鳥』が受けた勅命だからな。命にかえても姫さんを守るさ」
「頼んだわよ。……ただし、くれぐれもシルビア様のなさりたい事を邪魔しないように」
「分かっている。『黒い雷鳥』の首領マリー様に逆らう気なんて無いさ」
「……それを絶対にシルビア様の前で言わないように」
スッと目を細めクロードに鋭い眼差しを向けたマリーを見て、クロードはうっすらと背中に冷や汗をかいたのだった。
◆◆◆◆◆
学園生活が始まり数日が経ったある日。
シルビアはホクホクとした表情のまま、学園内にある裏庭に一人でやってきたのだ。
そして他に人がいない静かなその場所にあるベンチに腰掛けると、持っていた袋を開けて中から紙に包まれたサンドイッチを取り出したのである。
「うふふ。ようやく念願叶って、学食のお弁当を買えました! 一度こういうのをやってみたかったのですよね~。販売している軽食を買って外でのんびりと食べる事を! だって……お父様達が外で食べる事を禁止していたから。そもそも外で食べたからって、簡単に料理が悪くなるとはとても思えないのに、お腹を壊しては大変だと食べさせてもらえなかったのよね……」
幼い頃一度庭でピクニックがしたいとシルビアが言ったら、ランティウス達が猛反対をし止められてしまったのだ。
その時の事を思い出し苦笑いを浮かべたシルビアは気を取り直し、紙を膝の上で広げると様々な種類のサンドイッチの中から、潰した玉子がぎっしりと挟まっているサンドイッチを手に取り一口食べた。
「お、美味しいです!!」
片手で食べ掛けのサンドイッチを持ちながら、もう片方の手で頬を押さえ嬉しそうな笑顔を浮かべていたのである。
「こんなに素晴らしいサンドイッチ、初めて食べました!」
口の中に広がる玉子とマヨネーズのバランスのよさと、ブラックペッパーのアクセントがよく効いた味わいにシルビアは感動していたのだ。
そうして玉子のサンドイッチを食べきると、次はレタスとトマトとベーコンが挟まっているサンドイッチに手を伸ばしたのである。
「んん~! こちらも美味しいです! このベーコン、とてもよく燻製されていて香りが凄くいいですね!」
そう言ってペロリと食べきってしまったのだ。
しかしシルビアは、まだまだ沢山あるサンドイッチを見て少し困った表情になってしまった。
「……嬉しさのあまり沢山買いすぎてしまいました。さすがに全部は食べられませんね。ん~どうしましょう……あ、そうです!」
ポンと手を合わせ何かを思い付いたシルビアは、にっこりと微笑みながら目の前に広がる木々に向かって声を掛けたのだ。
「ねえ、よかったら一緒に食べて頂けませんか?」
しかしそこからの返事は無く、風で鳴る葉擦れの音だけが聞こえてきたのである。
シルビアはそれでも表情を変えず、再び同じ場所に向かって声を掛けた。
「大丈夫ですよ。ここには私以外誰もいませんから。姿を現してください」
端から見れば、誰もいない木々に向かって独り言を言っている奇妙な光景ではあったが、それでもシルビアはにこにこと微笑みながらじっと一点を見つめていたのだ。
すると草を踏みしめる音と同時に、クロードが姿を現したのである。
「姫さん……オレの事に気が付いていたのか?」
「ええ。ふふ、ようやく姿を見る事が出来ました」
「……いつから?」
「それよりも、そんな所に立っていないでここに座ってください」
シルビアは嬉しそうにしながら自分の隣を開けたのだ。
「いや、それは……」
「いいですから! 早くして頂かないとお昼休みが終わってしまいます」
「うっ! ……分かった。では少し失礼する」
渋々頷いたクロードは、若干緊張した面持ちで静かにシルビアの隣に腰掛けた。
「お名前をお聞きしていいですか?」
「……クロードだ」
「クロードさんですか! やっとお名前を知る事が出来ました」
「……敬称はいらない」
「そうですか? ではクロードとお呼びしますね。それではどうぞ、好きな物を食べてください」
「……では、これを一つ頂く」
そう言ってクロードは、蒸し鶏の入ったサンドイッチを手に取ったのである。
そしてそれを一口食べた。
「……確かに美味い」
「そうでしょ? 私の気持ち分かってくれて嬉しいです!」
クロードはあっという間にサンドイッチを食べきったのだ。
「まだまだありますからどうぞ!」
「いや、これ以上は遠慮する。ご馳走さま。……それよりも、いつからオレの事に気が付いていた?」
「え? クロードが私の警護をしてくれるようになってからですよ?」
「なっ!?」
予想外の言葉に、クロードは驚愕の表情で固まったのである。
しかしシルビアはそんなクロードを見て、キョトンとしていた。
「そ、それは十年以上前からって事か?」
「ええまあ、そうなりますね。それにしても……もうそんなになるのですね。いつも影ながら私を護ってくださりありがとうございます」
シルビアはなんて事無いように言い、にっこりと微笑みながらお礼を言ったのだ。
「まさか今まで誰にも気付かれた事のない、オレの隠密魔法が見破られていたとは……」
「隠密魔法? そんな魔法があるのですね!」
「……さすがに教えられない」
「そう、ですか……」
クロードの言葉に、シルビアはとても残念そうな顔で渋々頷いたのだ。
すると突然クロードが何かに気が付いた顔で立ち上がり、一気に跳躍して姿を消してしまった。
「クロードどうし……」
「シルビア、こんな所にいたんだね」
「あら、リシュエルさん? どうしてこちらに?」
「昼休みに入ってすぐにシルビアがどこかに行かれたので、気になって探していたんだよ」
「そうなのですか」
リシュエルはふとシルビアの膝の上に乗っているサンドイッチを見て、納得の表情を浮かべたのである。
「……どうやら、昼食を買いにいっていたんだね」
「ええ、どうしても食べてみたかったのです」
「ここの学食の味は、そこらの高級店より美味しいと評判だからね」
「それは知らなかったです! だからこんなに美味しいのですね!」
「しかし……こんな所で一人で食べていたの?」
「え、ええ。気兼ねなく食べたいと思いましたので。そう言えば、リシュエルさんはお昼はもう食べられたのですか?」
「いや、まだだね。貴女を探して学園内を歩いていたから、食べる時間が無くなってしまっていたよ」
苦笑いを浮かべたリシュエルを見て、シルビアは驚きの表情になった。
「まあ! それでしたらこれ一緒に食べませんか?」
「しかしそれは、貴女の昼食では? それにさっきまで、ここに誰かいたような?」
「いいえ、ずっと一人でした!」
「そう、ですか。まあシルビアがそう言うのだったら、そう言う事にしておくよ」
「……あとこれ、食べきれないほど買ってしまいましたので、どうぞ遠慮せず食べてください」
「分かった。では、せっかくのご厚意だし頂く事にするよ」
「あ、はい。どうぞ」
そうしてクロードと入れ替わって今度はリシュエルがシルビアの隣に座り、そのまま二人は一緒に昼食を食べたのであった。
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