幸せなひとときは……
「リ、リシュエルさん、何を言われるのですか? 私はドレッディア伯爵の娘です。王女などという大層な身分ではございません」
「……私の前では偽らなくていいんだよ。貴女のことは、初めて見た時から気がついていたから」
「え!?」
にっこりと微笑んで告げてくるリシュエルを見て、さらにシルビアは驚きの表情になる。
「大丈夫、ここには私と貴女しかいない。だから貴女は何も気にする必要はないんだよ」
「…………どうして気がつかれたのですか?」
「実は数年前、まだランティウス王が王太子であった頃に、私の国であるサザール王国に訪問されたことがあったんだよ」
「ああそう言えば、お兄様からそのようなお話をお聞きしたことが……。ただその時、私と暫く離れていたことを寂しがったお兄様からの過度すぎるスキンシップを受けていたため、正直あまりお話が頭に入ってこなかったのです」
「なんとなくその時のことが想像できるね」
クスッと笑ったリシュエルにシルビアはなんとも言えない顔を向けた。
「ああすまない。それで話を戻すけど、ある日ランティウス王を招いて私の部屋で話をしていたんだが、その時に偶然ランティウス王の懐から一枚の姿絵が落ちたんだ」
「そ、それってまさか……」
「幼いシルビアの姿絵だよ」
「やはりそうですか!!」
リシュエルの話を聞き、シルビアは頬を押さえながら恥ずかしがった。
その姿を見てリシュエルはふわりと微笑んだ。
「とても可愛らしかったよ」
「うう……お兄様には何度も持ち歩かないで欲しいとお願いしてましたのに! まさか他国に行かれた際もお持ちになられていただなんて……」
「ふふ、だけどその姿絵を見たことでその後ランティウス王から、何時間にも渡ってシルビアの自慢話を聞くことになったんだ」
「……なんだか申し訳ありませんでした」
「いや、気にしなくていいよ。私も聞いていて楽しかったからね」
「そう、なのですか……あれ? それにしてもいくら私の姿絵を見たと言いましても、確かその姿絵は私が二歳ぐらいの時のものだったはずでは? それなのにどうして今の私を見て同一人物だと気がつかれたのですか?」
「他の人はどうかわからないけど、私は見間違えなかったよ。そのきらめく白銀の髪と宝石のように美しい碧眼は忘れられなかったからね。一目見ただけですぐに貴女だと気がついたよ」
そう言いながらシルビアの手を取りその手のひらに口づけを落とした。
「っ!」
「……最初はただの興味本位からだった。あのランティウス王が溺愛し人前に一切出そうとしなかった妹姫が、何故学園に入学してきたのか。さらに身分を偽り王女であることを隠してまでいる。だけどそんなことよりも、貴女が楽しそうに学園生活を送っている姿を見ているうちに目が離せなくなっていたんだよ。そうしていつしか私の心には、シルビアへの恋心が芽生えていたんだ」
「リシュエルさん……」
リシュエルに抱きしめられたままシルビアは、じっとリシュエルの顔を見つめた。
そしてリシュエルもそんなシルビアを見つめ返していた。
するとリシュエルはシルビアの頬にそっと手を添えた。
「これで貴女の憂いはなくなったはずだね?」
「……はい」
「では、今から私達は恋人同士だ」
「っ! よ、よろしくお願いします。リシュエルさん」
「ふふ、もう貴女は私の彼女なのだから私のことはリシュエルとだけで呼んでほしい」
「え!?」
「どうか呼んでほしい」
愛しそうに見つめながら懇願してきたリシュエルに、シルビアは動悸を早くさせながら恥ずかしそうに口を開いた。
「……リシュエル」
「はい、シルビア」
名前を呼ばれたことでリシュエルは満面の笑みを浮かべたのだ。
その笑顔を間近で見てシルビアの心臓が飛び出しそうなほど大きく跳ねた。
さらにシルビアの顔が真っ赤に染まったのだ。
「可愛いよ、私のシルビア」
「わ、私のって……」
「約束しよう。私はあと数カ月で学園を卒業するが、卒業してからすぐに正式な手順を踏んで貴女に婚約を申し込むつもりだ」
「こ、婚約!?」
「本当はシルビアが卒業するまで待つべきなのだろうが……それまでとても我慢できそうにないのでね」
「なっ!!」
「ああ安心していい。正式に貴女が私の婚約者となったあとで、ちゃんと残りの学園生活を送らせてあげるから。婚姻は卒業まで待つよ」
にっこりと微笑んでくるリシュエルを見てシルビアは唖然とした。
するとそのシルビアの表情を見て、リシュエルは悲しそうな表情になる。
「シルビアは、私と結婚するのは嫌かい?」
「え!? い、嫌、ではないのですが……突然のことで頭がついていくことができず……」
「大丈夫。まだ私の卒業まで数カ月あるから、ゆっくりと気持ちを整えてくれればいいよ。それよりも今は、貴女の恋人になれた喜びを感じていたい」
「……私もです」
再び二人は見つめ合うと、リシュエルはゆっくりと顔を傾けながら目を細めシルビアの顔に近づいていった。
(……マキア先輩からお借りした恋愛小説の中でこのような場面がありました)
そう思い出しながらシルビアは、高鳴る心臓を感じつつ受け入れるような形で目を閉じた。
そうして二人の唇があと数センチで触れ合うところで、突然別の声がバルコニーに響き渡ったのだ。
「シルビア嬢~! どこにいるんだ~?」
それはランティウスの声であった。その瞬間、二人はギョッとし慌てて離れたのだ。
幸いなことにランティウスの場所からは二人の姿が見えなかったようで、キョロキョロと辺りを探しながらバルコニーの中を歩いていた。
そしてようやくシルビアの姿を見つけると嬉しそうな顔を浮かべた。
しかしすぐにシルビアの隣にリシュエルが立っていることに気がつき、さらに二人きりでいると知ると怪訝な表情に変わった。
「……リシュエル王子、シルビア嬢と二人だけで何をしていたんだ?」
「ランティウス王……」
「ことと次第によっては、いくらリシュエル王子であっても許せないのだが?」
黒い笑顔を浮かべながらランティウスは二人に近づいていったのである。
そのランティウスを見てシルビアは背中に冷や汗をかきながら、どうにかこの場を誤魔化さなくてはと必死に考えていた。
(私の本能がお兄様にこの場でリシュエルとの関係を伝えるのはまだ早いと訴えてます! まず間違いなく大反対され、最悪このまま城に閉じ込められてしまう可能性大です!)
内心焦りながらチラリとリシュエルの方を見ると、リシュエルもシルビアと同じことを考えていたのかどうしたものかと困った様子でシルビアを見てきた。
「何を二人で見つめ合っているんだい?」
さらに暗い笑みを深くしたランティウスを見て、シルビア達は体を硬直させたのである。
するとその時、さらに別の声がその場に響き渡ったのだ。
「も~! ランティウス様、せっかくいいところだったのに邪魔しないでほしいわ!」
ぷりぷりと怒った表情でランティウスとは別の方向からエリスが現れたのだ。
「エリス先生!?」
「シルビアちゃん、ごめんなさいね。あたしは邪魔しないように身を潜めていたんだけど……まさかここでランティウス様が乱入するとは思わなかったわ」
手を頬に添えて残念そうな顔でため息をついた。
「身を潜めてって……エリス先生! 一体いつから見てらっしゃったのですか!?」
「うふふ、かなり前からかしら」
「っ!!」
意味深にウインクを寄越してきたエリスを見て、シルビアの顔は真っ赤に染まったのである。
するとランティウスはエリスを見て険しい表情になる。
「エリス、何を見たんだ?」
「ん~ヒ・ミ・ツ」
エリスは悩んだ振りをしてから唇に人差し指を当てた。
「なんだそれは! ……そうだエリス、さっきメリダを私に押し付けていっただろう?」
「え~ちゃんとメリダちゃんとの約束は守って一回踊ってあげたわよ? ただその後、またリシュエルのもとに戻ろうとしたから、代わりにランティウス様の方に連れていってあげただけよ」
「それが全く意味がわからん! 何故リシュエル王子に行かせず私のもとに連れてくるんだ」
「それが最善だと思ったからよ。まあそのお陰でメリダちゃんとてもご機嫌だったみたいね」
「私の方は暫くメリダに付きまとわれて、全然シルビア嬢を探しに行けなかったんだからな」
その時のことを思い出したのか、ランティウスはうんざりした表情を浮かべた。
「とにかく、私はシルビア嬢に用事があるのだ。邪魔をしないでもらおうか」
そう言うなりランティウスはシルビアの方に向き直った。
「も~ちょっとは状況を察して…………くっ!」
呆れた表情を浮かべたエリスが突然苦痛の声をあげ、左胸を押さえながらその場にうずくまったのだ。
「エリス先生!!」
前にも見たことのあるエリスの苦しみように、シルビアはエリスのもとに急いで駆け寄った。
「エリス先生!! 大丈夫ですか!? また前のように辛いのですか!?」
シルビアは必死に呼び掛けるが、全くエリスは答えてくれず顔もあげてくれなかった。
その様子にシルビアは焦り、リシュエル達の方に振り返った。
「お医者様を呼んでください!」
シルビアの呼び声に呆然としていたリシュエル達はハッとした。
「わかった! 確か保健医が広間にいたはずだからすぐに呼んでくる」
「いや、私のお抱え侍医の方が腕は確かだからそちらを呼ぼう」
慌てて駆け出そうとしたリシュエルをランティウスが引き止め、代わりに向かおうとしていたのだ。
しかしそんな中、エリスが胸を押さえている方とは逆の手でシルビアの腕を掴んだ。
「エリス先生?」
「っ…………ふふ……どう、やら……時間切れ、の……ようね……わかったわ、やるわよ」
「どう、したのですか?」
なんだか様子のおかしいエリスを見てシルビアが戸惑いの声をだす。
そのシルビアの声を聞きランティウスが足を止めて振り返った。
すると突然エリスが立ち上がりシルビアを抱き寄せたのだ。
「え?」
思いもよらない行動にシルビアはエリスの胸に顔を埋めながら困惑する。
「エリス先生!? その顔は一体!?」
動揺している声のリシュエルを不思議に思いながら、シルビアは顔をあげそして瞠目した。
「そのお顔はどうされたのです!?」
シルビアの目に映ったのは首筋から左の頬にまで広がっている、黒い複数の蔦のようなアザがエリスの顔にできていたのである。
「まさかそのアザは!」
「あら、ランティウス様はこのアザが何か知っているのね」
「昔、城にあった書物で見たことが……だが何故エリスに?」
「ごめんなさい。もう答えてる時間はないの」
そう言うとエリスは呆然と見上げているシルビアを見て、悲しそうな笑みを浮かべた。
「シルビアちゃん、ごめんなさいね」
「え?」
シルビアが戸惑いの声をあげると同時に、エリスの足元に魔方陣が現れた。
そして魔方陣がゆっくりと上がっていくと、通過した部分からシルビアとエリスの体が消えていったのだ。
「「なっ!?」」
リシュエルとランティウスはその初めて見る魔法に驚く。
「エ、エリス先生!? この魔法は一体!?」
「転移魔法よ」
自分の足元で輝きを発しながら上がってくる魔方陣を見て動揺しているシルビアに、エリスは冷静に答えた。
「転移魔法だと!? 馬鹿な! 転移魔法はここ数百年使える者が現れず、伝説級の魔法とまで呼ばれていたものだぞ!?」
ランティウスが驚きの声をあげているがその間にもどんどんと魔方陣は上へと上がり、とうとう二人の腰の部分まで消えてしまったのだ。
その時、どこからともなく水の刃がエリスに向かって飛んできた。
しかしエリスに当たる直前、何か見えない壁に当たり消滅してしまった。
「くっ、防壁が張られているのか」
いつの間にか現れたクロードが、エリスに向かって魔方陣を展開している手をかざしていた。
「おいリシュエル王子、いつまでボーッとしているんだ! このままだと姫さんが攫われるぞ!」
「っ!」
クロードの言葉にようやくことの重大さに気がついたリシュエルは、険しい表情で急いでシルビアに向かって駆け出そうとした。
「シルビア!」
その声にシルビアは慌てて振り返りリシュエルの方に手を伸ばした。
「リシュエル!」
しかしその手もあっという間に消え、とうとうシルビアの姿は完全に消えてしまった。
「エリス!!」
「……リシュエル、ごめんなさいね」
まだ顔だけ残っていたエリスは、怒りの形相を露にして睨んでくるリシュエルに小さな声で謝ると、ランティウスの方に顔を向け表情を消しこう告げた。
「貴方の妹姫は人質として連れていく。要求内容はまた追って連絡する」
「なんだと!!」
エリスの言葉にランティウスは目をつり上げるが、その時にはもうエリスの姿も消えてしまっていたのだった。
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