第5話 替玉要員
メルチアはベッドの上から窓の外をぼんやりと眺めていた。誰かがシャワールームから出て来た音が聞こえた。
「メル」
上裸のままベッドの上に上がって来て、キスを落とすその誰かを珍しく、メルチアはキス仕返した。そんな彼女の様子に仕掛けようとしていた本人は驚きで硬直していた。
「シャルハ、私、明日だなんて……」
朝日が差し込むなか、メルチアはシャルハの鍛え上げられた胸に自分の額を押し付けていた。
「大丈夫だよ、メル。俺が約束を違えないって知ってるだろ?」
シャルハがメルチアを抱きしめながら、耳元に囁く。
「うん……」
暫くメルチアは黙ってそのままの状態を保っていたが、シャルハが不埒な動きを見せはじめたので、押しのけてベッドを脱出した。
「さあて、今日もいい朝ね」
「っち。いいところだったのに」
「何がいいところだったのかしら。朝は神聖なんですよ〜〜」
彼女はそう言って鼻歌を歌いながら部屋を出ていく。そんな彼女の様子を愛おしそうな目で見送っていたシャルハだった。
朝食を食べ終わり、夫婦で領内視察の予定のために身支度を整えていると、急に家令が走って来た。何事かと問えば「陛下がいらっしゃっています」と答えた。2人は慌てて玄関口へ向かった。そこには、簡素な服に身を包んだタルハが立っていた。
「タル、陛下!!なぜこんな辺鄙な土地までお一人で」
「危険を顧みてください」
2人があまりにも必死に言うものだから、タルハは張り詰めていた気を緩めた。
「お2人ともお久しぶりです。どうか今は弟とお思いください」
「じゃあ、タルハ、中へ入っておいで。今応接間に通すから」
メルチアが指示を出すとすぐに部屋の準備は整えられた。そこに3人は改めて座り直す。周りにはメイドとルトーがいる。
「で、タルハ、なんでこんな危険なことをしたんだ?帝都はどうして来たんだ」
「宰相のミクリアに任せて来た」
「要件は?」
「兄上がヤルカン王国に潜入されるという情報をお聞きいたしまして」
シャルハがルトーをすかさず見ると、彼は決まり悪そうに視線を外した。彼は一つため息をつくと、「そうだが、それが?」と言った。
「その役をぜひ僕に変わっていただきたい」
「は?」
「タルハ、何を言ってるの?」
流石に笑えない冗談よとメルチアが付け加える。
「メルチアお姉様、冗談ではありません。その方が良いと思ったのです」
「それはなぜだ?」
シャルハが食い気味に聞く。
「皇帝自らが他国のことを学びにいくのは別におかしな話じゃないでしょう。敵国ともなれば尚更」
「しかし、暗殺される可能性だって」
「心配ないですよ。僕の絵姿を販売することは禁じていますし、ヤルカン王国に至っては先日の即位の儀に来ていない。どうしたって僕の顔を知らないんです。バレる心配はありません」
シャルハはそこで唸るが、メルチアはさらに問う。
「でも、シャルハじゃなくて、タルハじゃなければならない理由は?」
「僕が皇帝だから、その一点に付きます」
その目は力強かった。
「この国はまだ不安定だ。ようやく10部族が纏まりつつあるが、まだ地図すらまともにできていない。どこに何があるのか早急にそれを知らなければならい。しかし、そのための技術がまだない。つまり、外部から取り入れなければならないということだ。長い間、ヤルカン王国と戦って来たサルヴァドール曰く、かの国はそうした技術を他国から積極的に取り入れようと試みて発展途中にあるらしい。それを知らなくて我々はどうやって今後も発展していくのか。そう、思っただけです。勿論、臣下から聞くこともできますが、百聞は一見に如かず。まずはこの目で見てみたいのです」
タルハが饒舌に喋るのを珍しく思いながら、メルチアは頷いた。
「タルハの考えはわかった。ここから先はシャルハとタルハの当人同士の問題だから、2人で決めてね。私は邪魔にならないように退室するわ。シャルハ、私は視察に行ってくる。予定を狂わせるわけにはいかないしね」
「わかった」
メルチアがシャルハの唇にキスを落とすと、退室していった。その際にルトー以外のメイドも伴っていった。
「お熱いことで」
タルハが白い目をしながら、シャルハを見ると彼はそれを笑い飛ばした。
「俺の妻は最高に可愛いんだ。羨ましいか」
「正直羨ましいですよ」
タルハは目を瞑って用意された冷めかけのお茶を飲んだ。
「全く、お前は何やってるんだ」
ルトーの方を見ずに、シャルハは言った。
彼は「申し訳ございません」と言った。
「別に謝って欲しかったわけじゃない。メルチアに借りを感じているタルハがそれを聞いてじっとしているわけがないと俺は考えていたからな。出来るだけ、タルハに聞かせたくなかった。事後報告にしようと思っていたんだ」
「兄上のことだからそんなことだろうと思っていました。ルトーから聞けて僕はよかったですよ」
タルハはそう言ってルトーにウィンクを送る。彼は少し照れたようだった。
「で、本当に行くのか?」
「はい」
「皇帝はどうするつもりだ?」
「それを兄上にお願いしにここまでやって参りました」
「本当にお前は馬鹿だな。早馬でも飛ばせば良いものを」
「それじゃ、遅いんです。僕はこのままかの国へ発つつもりですから」
「正気か?」
「はい」
断言するタルハにシャルハは頭を抱える。
「承認を各官僚から受けてるわけ……ないよな」
「なんのためにここに一人で来たと思ってるんです?」
ニコニコとタルハが答える。決定権は基本的に皇帝にあるが、実行するかどうかは各官僚から承認を得る形式を取ることで、皇帝の力が暴走するのを防いでいる。
「はあ、お前がそこまで本気ならお前を行かさざるを得ないな」
「ありがとうございます!!」
「但し」
シャルハはローテーブルの上に身を乗り出して、タルハの目を見据えた。
「必ず、生きて帰還すること。いいな?」
「はい、必ずや」
こうしてタルハがシャルハの代わりにヤルカン王国に潜入調査することが決まった。そして、シャルハは病気に臥せった皇帝として、仕事を肩代わりすることになった。
唯一、メルチアと会える日が格段に減ることに嘆いていたが、タルハが一人ほくそ笑んでいたことを誰も知らない。
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