第12話 優しい嘘
何の前触れもなくボロボロの姿で寝室にある秘密扉から現れた弟にシャルハが驚いたことは言うまでもない。事情を話すや否や、タルハとシャルハはすぐに元の立場に戻った。そして、タルハが皇帝に復帰してから初めて迎えた会議ですぐに海路を開くための航海技術向上に向けて産業に力を入れることを決定した。これまで鎖国状態にあったルーデン帝国だったが、対岸にある国と国交を結び、様々な技術を輸入し始めた。一方でルーデン帝国は工芸品等を輸出していた。全てが順調な折、ミクリアが慌てた様子で執務室に駆け込んできた。
「先程、ヤルカン王国から使者が参りまして、講和条約を結びたいとのこと」
タルハは立ち上がった。
「話を聞こう。応接間に使者を通せ」
「っは」
タルハがルーデン帝国に戻ってから3ヶ月が経過していた。
タルハがヤルカン王国の使節団と話してわかったことは、ヤルカン王国側はまだルーデン帝国の現状を把握し切れていないということ、だがそれと同時に焦りを感じているということだった。ヤルカン王国は鎖国状態なため、ルーデン帝国が他国と貿易をし始めたことは知っているようだが、具体的にどんな風に貿易を行い、航海技術にどれほど注力しているかまではわかっていないようだった。また、部族関係で国がまだ纏まっていないのだろうと少し馬鹿にした態度すら感じたほどだった。側に控えて使者たちの不遜な態度にミクリアは何か言いたげだったが、タルハはそれを抑えるように目線で訴えた。
「……というわけでして、ぜひ我が王は陛下と講和条約を結びたいと仰っています」
「なるほど、周りは脅威ですからね」
「ええ、仰る通りです」
「わかりました、今ここでお返事をお書きしましょう。紙とペンをここに」
ミクリアがその隙にすかさずタルハに耳打ちする。
「一体、どうなさるおつもりですか?講和条約と言いつつ姫を差し出し、向こうはそれを口実に政治に口を挟む気満々ですよ?しかも、あの態度。とてもやっていけるとは」
「何を言ってるんだ、ミクリア。姫はいただき、政治には一切介入させない。鼻から共にやっていく気なんてこちらにはない」
「と言うと?」
「何のために航海産業に力を入れてきたと思う?海を渡って貿易範囲を広げ、莫大な収益をあげる。そして、国を豊かにしていく。それはもちろんだ。しかし、それと同時に他国に介入する余地を与えぬくらい力を付ける目的もある。ヤルカン王国は奴隷商という闇ルートで潤っているが、闇は闇だ。派手な動きはできない。その分、こちらが有利だ。つまり、金の力でものを言わせようとしても無駄。寧ろ、こちらがそのやり方を乗っ取るというわけだ」
タルハの意地の悪い笑みに「やはり、陛下ですね」とミクリアは爽やかに笑うのだった。
タルハが姫と結婚することで講和条約を結ぶことに同意する旨を手紙に認めると、すぐに婚約式は3ヶ月後、結婚式は1年後と決まった。
「陛下、婚約式をなぜルーデンで執り行わず、ヤルカンで行うのですか?」
甲板でヤルカン王国の土地を見つめて立つタルハの側にサルヴァドールが立った。
「驚かせるためさ」
「ヤルカン王をですか?」
「それもあるが……」
タルハの頭に思い浮かんだ人は別の人だった。
***
ヤルカン王はルーデン皇帝が直々に船でヤルカン王国にやって来ると聞いた時のことを思い出し、声高らかに笑っていた。
「皇帝がこちらに自ら赴くなど、馬鹿を晒すも同然だな!!」
臣下たちと笑っていると、伝令が広間にやってきた。
「ルーデン帝国の船が遠方に見えました。王、ご準備を」
「ふん、わかった。おい、あれを連れてこい」
「御意」
「さてさて、見ものだな」
ヤルカン王はニヤニヤしながら、私室に戻って準備をし始めた。準備を終え、窓の外から海を見ると、見たこともないほどの豪勢な船がこちら側にやって来るのが見えた。
「ルーデン帝国以外の来訪など、聞いておらんぞ」
「王、あれがルーデン帝国の迎えの船でございます」
「ふざけるな!!」
真っ赤になって怒っていた王だったが、部屋のノック音が聞こえた。
「誰だ!?」
「私です」
扉越しから聞こえてきた声に「何だお前か、入っていいぞ」と言って扉が開かれた。そこには若草色に金糸で刺繍が施されつつも素朴な印象を与えるドレスに身を包んだセリーナが立っていた。王の背後に見える大きな窓からルーデン帝国の船が見え、セリーナも驚いたような顔を一瞬したが、すぐに無表情に戻った。
「最後の挨拶を。今までお世話になりました」
「まあ、馬子にも衣装といったところか……。私は気分が悪くなった。ここで別れだ」
「……失礼いたします」
セリーナは黙ってその場を後にした。そして、沈む心を隠したまま、船着場に立った。側にはレイが立っている。彼とはロイドが消えた後、過去を話す機会があり、和解していた。
船が到着し、ぞろぞろと人が船から降りてきた。そして、一際豪華な衣装に身を包んだ背の高い男が降りて来るのが見えた。セリーナは彼が皇帝か、と思った。まだ距離があり顔までは見えない。良い人だといい、とだけセリーナは願った。そして、皇帝らしき人物が階段を降りきり、セリーナの方へ、つまり正面に体を向けた瞬間に彼女は固まった。半年前に忽然と姿を消したロイドと瓜二つの男がそこにはいた。
「姫」
ロイドと瓜二つの男がセリーナの前に立ち、はっきりとそう言った。
「嘘……ロイド、あなたって」
「嘘をついていて申し訳ございません。しかし、私はルーデン帝国第2皇帝はタルハ・ドュ・ルーデンです」
彼女の頬には知らず知らずのうちに涙が伝っていた。タルハはそれを恭しげに拭った。そして、ゆっくりと彼女に近づき、幾分か痩せたその体を強く抱きしめた。セリーナはタルハの大きな背中にその腕を回した。暫し2人は抱き合った後、体を離して見つめ合った。そして、何の合図もなく同時に目蓋を閉じて口づけを交わした。
その後、婚約式をヤルカン王抜きで執り行ってすぐにタルハたちはヤルカン王国を発ち、ルーデン帝国に戻った。婚約期間の7ヶ月間、2人はとても幸せそうだった。その幸せそうな空気を纏ったまま、結婚式の日を迎えた。2人が婚約式で交わした口づけよりも熱い口づけを交わしているのを見てミクリアとレイは呆れていた。一方、昔からタルハを知るメルチアとシャルハは目を見合わせてその様子に驚いていたが、すぐに幸せそうに微笑む。
それから世界のどこよりも早く海路を開拓したルーデン帝国は栄華を極めることになる。ヤルカン王国の闇市が完全に閉じられることはなかったが、ルーデン帝国の圧倒的な財力の前にヤルカン王は為す術もなく属国と化した。
「嘘も時には必要ね」
白髪が混じったセリーナは新しく建造された船を見上げながらポツリと言った。それに対し、タルハは朗らかに笑うと「そこに愛は必要だけどね」と付け加え2人はクスクスと笑い合った。こうして、2人は帝国一、二を争う鴛鴦夫婦として後世に語り継がれた。勿論、彼らのライバルは言わずもがなメルチアとシャルハ夫妻であった。
第2部 fin.
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