第4話 回る歯車
皆が寝静まった頃、ルーデン帝国の北方領土にある邸宅の一室に明かりが灯っていた。
「例の件は上手くいった?」
「滞りなく」
「そうか」
蝋燭の明かりにぼんやりと照らされて浮き上がる影は2つ。片方は高価な生地で仕立てられた衣装に身を包み、椅子の上で足を組んで窓の外を眺めていた。もう一方は顔を含めた全身を黒で覆い隠し、椅子に座っている男に対して片膝をつき、ひれ伏していた。
「本当は僕、こんな手荒な真似はしたくなかったんだけどね。父上がうるさくって。なんでも土地と権力の拡大をしたいんだとか。挙げ句の果てに国家転覆だって!」
男は無邪気にケラケラと笑っているが、黒い男は黙って聞いている。
「それに妹もシャルハ皇子と結婚したいらしいし、色々都合がよかったんだよね。そう、都合が良かった」
窓から視線を黒い男へと移した男は冷酷さを讃えた深い青い目を細めた。明かりに照らされても変わらぬ漆黒の黒髪がサラサラと揺れる。
「まあ、兎にも角にも、シナリオ通り進行しているようで良かった。そろそろ僕自身も動かなくちゃね。……じゃあ、また。父上に報告しとくよ」
「御意」
黒い男は足音もなく男の前から消え去った。
「さあて、どんな物語が展開されるかな」
青い瞳には加虐的な色がありありと浮かんでいた。
最も賑わいを見せる帝都の中心に位置する大帝広場には人がごった返していた。シャルハは前方を物凄い勢いで駆けていく妹を見て、フードを目深く被っているもののウンザリした顔を隠しきれていなかった。護衛が「もう少し感情をお抑えください」と助言する程度には周囲にその不機嫌さが伝わっていた。
彼は今、妹のナルハを連れて『再会の宴』参加のためお忍びで城下に繰り出していた。というのも、このお祭りはあくまでも国民主体で行われるもので、国家は関与しないのが仕来りなため、皇族の姿は出来るだけ見せない方が良いとシャルハ自身が判断したのだ。
「兄上、次期国王として感情を御せぬのはいただけませんわ!!」
「ナルハ……!一体誰のせいで俺がこんな」
「あー!見て!あれ、マルガ族の文様よ!教科書以外で初めて見たわ!実物!!」
「ナルハ様!御身のことをもう少しお考えくださいませ……ほんと、あの人姫なんですか」
しかし、シャルハに苦言を呈しつつも多少なりとも彼に同意している護衛が少数ではない事実が何とも複雑な構図を作り上げていた。
「生まれる星、あいつ間違えたよな」
シャルハがぼそりと呟くと、笑いを堪えられなかった護衛たちが吹き出すように笑い出した。それに吊られてシャルハも笑い出したが、部族旗と呼ばれる強大な旗が青空にいくつも棚引いている様子を見てふと違和感を覚えた。
「なあ、ルトー」
側にいるシャルハ専属の護衛に耳打ちした。
「お前、今の所部族の旗、何旗見かけた?」
「えーと、マルガにセドに……9部族ですかね?」
「あと1部族はどこだ?」
「えーっと、レンデル族をそういえば見ていないかもしれません」
「そうか……」
「どうかされましたか?殿下」
顎先に手をあて、難しい顔をして考え込むシャルハにルトーは僅かな不安を覚えた。
「いや、通常、ここ……つまり帝都の中心である大帝広場には10部族の旗が掲げられるはずなんだ。だから、旗が欠けるってことはあり得ないんだよな。あの部族旗の下で自分の部族旗を振って再会を喜びあうんだから」
「確かに。それでは、レンデル族が再会の機会を放棄したということでしょうか」
「若しくは、管轄貴族に対する反発か。或いは……」
シャルハの顔はより一層険しくなった。
「或いは?」
「ナルハ!」
シャルハとルトーが同時に飛び上がった。
「背中を取られるとは、いつ死んでもおかしくないですよ?」
ナルハはニヤニヤと笑いながら2人の正面に回り込んだ。
「お前さっきまでマルガ族の旗の方にいたはずなのに」
「それ、いつの話してますの?」
彼女の後ろをついてきたのだろう、少し息を切らした護衛達はナルハの回答に「つい先刻ですよ」と心の中で深いため息を吐きながらも、口には出さずに黙っていた。
「まあいい。そうだ、ナルハ、少し聞きたいことがあるんだが」
「さっきの辛気臭いお話と何か関係が?」
「そうだ。この広場のどこかにレンデル族の旗を持っている者を見かけたか?」
ナルハは不思議そうに首を傾げる。
「なぜそんなことを?レンデル族は今年は不参加だと、先ほど屋台で民たちが噂しているのを聞きましたわ」
「その理由は?」
シャルハは彼女の細い両肩をガッと掴んで問い詰めるように尋ねたが、ナルハはさらに困ったような顔をして答えた。
「そ、そこまでは私も存じあげませんわ……ただ、不参加の知らせが妙だったという話もしてましたわね、ええ、確か」
ナルハは思い出すように人差し指を顎先にあてた。
「妙というと?」
「不参加の場合は、祭りの1ヶ月前には族長直々に
「旗本会……この『再会の宴』を運営している組織だったな。アルザッハ辺境伯は確か、レンデル族の監視の任を皇帝から仰せつかっている貴族だよな」
「ええ」
「あの辺境伯、何か知っているな……?」
苦虫を噛み潰したような表情になったシャルハはナルハを見た。
「どうも嫌な予感がする。ナルハ、祭り見学はここまでだ。いいな?」
「は、はい……」
ナルハは少々残念そうな顔をしたものの、朝一から昼まで見学はした上に元々夜は危険だからという理由で別の場所から祭りを眺める予定になっていたため、すぐに気を取り直した。
「ナルハは護衛と共に一度宮殿へ戻れ。ルトー、お前は俺と来い」
「っは」
「ナルハを頼んだぞ」
シャルハは一人の護衛の肩に手をぽんと力強く乗せると、反対側へ歩き始めた。ルトーも軽く会釈をし、シャルハを追いかけた。
「シャルハ殿下」
「ここでその名は危険だ。シャルでいい」
「はい、シャル。それで行く当てはあるのですか?」
「旗本会の運営本部へ直接出向く。きっと、その辺りへ行けば噂を知ってる奴が少なくとも一人はいるだろ」
彼はそう言って、迷うことなく旗本会の運営本部へと足を進めた。
旗本会の運営本部は慌ただしそうにしていた。シャルハは軽く息を吸い、吐き出すといつもの威厳ある声ではなく弱々しい声で一人の女を捕まえた。
「あの、すみません」
女はちらりとシャルハとルトーを見た後、手元の旗を見た。それはレンデル族を示す旗だった。途中で、ルトーが屋台で見繕ったものだ。
「あら、それはレンデル族の。残念だけど、今年は不参加らしいわ。いえ、もしかすると今後も」
「それはどういう意味でしょうか?同郷の者に会えることが毎年楽しみでしたのに」
「お可哀想に。でも、旗本会の皆もあまり詳しくは知らないそうよ?急遽族長が不参加申し出をできなくなって、代わりにアイザッハ辺境伯のご子息が直々にいらしたそうだけど」
「フィスト……様のことか」
「えーと、確かそんなお名前だったかしらね?庶民の私にはフィストだかヴィストだか、全然わからないのだけれど」
ははは、とからから笑う女に、シャルハとルトーは苦笑いを返した。
「とにかく、そういうことよ。だから、今日は気晴らしとして楽しみなさいな。それじゃあ、私主人に遣いを頼まれてたとこだから、行くわ」
女はそのまま2人の元を去っていった。
「シャル、フィスト様が絡んでいるとなると……」
「ああ、きな臭いな。アイツは昔から何を考えているかわからない奴だったが、ついに動き始めたか……フィストの親父……アルザッハ辺境伯は明らかに上昇志向がある男だ。いつ玉座を狙ってきてもおかしくないとは思っていたが」
黒髪に深い青い瞳の美しい顔を思い浮かべながらシャルハは頷く。
「こうなったら、早急にレンデル族の元へ向かおう。伝令をここに呼べるか?」
「畏まりました、お呼びいたします」
ルトーがすぐ近くの路地裏に消えたかと思うと、すぐに戻ってきた。
「もうすぐしたら人が来るかと……あ、合図です。こちらです」
ルトーの案内に従い、人気のない場所へ移動すると既にそこに一人の男が立っていた。
「伝令の者です」
シャルハが声をかける前に名乗ったその男は、黒い頭巾で頭を覆い、目から下は布を身につけていたため表情は見えなかった。
「父上に報告を。アルザッハ辺境伯が妙な動きをしているため、今から私とルトーとで偵察に参ると。3日で戻る」
「承知」
その男はサッと飛び上がると建物の上へと消え去った。
「あの者は……?」
「東の方から流れ着いた間者の者です。先祖代々間者だとか」
「ほお。初めて見た格好だと思ったがそういうことか」
「はい。……早速早馬の手配をいたします」
「ああ、頼む」
暫く路地裏でじっとしていると、ルトーがシャルハの元に馬を2頭引き連れて再び現れた。
「用意が整いました。食料やそのほか必要なものも揃えております」
ルトーは荷物を背負ったまま言った。
「助かる。では、行くぞ」
シャルハはそう言って、1頭に跨がると軽く馬の腹を蹴り、走り出した。
ルトーもそのあとに続き、賑わう帝都の街を後にしたのだった。
休まずに1日ずっと走り続け、2日目の朝を迎えた頃、アルザッハ辺境伯の管理する土地圏内に突入した。深緑樹の葉が青々と茂り、朝日を受けてキラキラと輝いている。不穏な空気など忘れてしまいそうなくらい清々しい朝だった。
「ルトー、この辺で一度休むか」
「そういたしましょう」
2人はスピードを少しずつ落とし、適当な湖を見つけてその畔に腰を下ろした。
「あー、久々の地面だ。馬は疲れる……」
「殿下、みっともないです」
「うるさい」
そう言いながら、シャルハはごろりと地面に寝転がった。何気なく湖の方へと目を向け、目を瞑った。心地の良い水の音が聞こえ、爽やかな木々の香りの中に何か腐った臭いが混ざっているのを感じた。
「おい、ルトー」
馬から荷を下ろしていたルトーは地面に寝転がるシャルハを見下ろす形で振り返った。
「どうかされましたか?」
「腐った臭い、しないか?」
「腐った臭いですか?」
彼は首を傾げながらくんくんと周りの臭いを嗅ぐ。
「いえ、別に……あ、今一瞬しました。これは何でしょう?」
「やっぱりお前も臭うか」
シャルハは飛び上がり、周りを見渡した。そして、対岸の方に何か黒い塊が山のように積み上げられているのを見てハッと息を呑んだ。
「ルトー、あれを見ろ!!」
シャルハは「山」を指差しながら叫んだ。
「あれは……!!」
ルトーは驚きで目を見開き、固まっている。シャルハはその山めがけて駆け出した。
対岸といってもそこまでの距離はなかったため、すぐに辿り着いた。
そこには大量の人の死体が積み重なって山ができていた。
辺りにはハエやウジ虫が大量に湧いており、酷い腐乱臭が立ち込めていた。そこだけ、地獄が現実に現れたような悲惨な光景だった。
「これは一体……」
後から駆けてきたルトーは衝撃の光景に言葉を失っている。シャルハは何とか死体からこの死体の身元を判別しようと目を凝らした。すると、一人の女の左手の甲に見覚えのある文様が刻まれているのを見つけた。
「この文様……」
毎年メルチアの誕生日に渡す手紙の封蝋にこの文様が使われていたことを思い出した。
「レンデル族の者か!!」
「そんな……この人数が全員死んでるってことは」
「ああ……レンデル族は皆殺しにあったと見て間違いないだろう。それに直接的であれ間接的であれアルザッハ辺境伯が絡んでいることも」
シャルハは唇を噛み締め、両拳を握りしめながら忌々しげに言ったのだった。
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