第6話 闇の中へ

 シャルハとルトーは約束通り、3日で宮殿へ戻った。早朝、彼らが玉座へ赴くと、再会の宴の余韻がまだ残る街中とは打って変わって重苦しい空気が漂っていた。


「父上……」

「この度はご苦労だった。お前たちの様子からして粗方の予想はつく。アルザッハめ……この私を裏切る気か」


 2人は何も言わずに黙って下を向いていた。


「何れにせよ、此度の件、アルザッハ辺境伯に真偽を確かめねばなるまい。ダニタス」


 皇帝の側に控えていた男が、皇帝に歩み寄る。宰相のダニタスだ。


「アルザッハ辺境伯に訪問する旨を伝えよ。3日後、シャルハとルトーは私の使節として彼の地へ赴け。良いな?」

「御意」


 シャルハとルトーは最敬礼を取ると、その場を後にしようとした。だが、シャルハだけ残るようにという皇帝の命が下った。ルトーは黙ってその場を去り、皇帝はそれを見て人払いをした。


「何でしょう?」

「アルザッハの件も気になるが、私は世継ぎのことも気にしておる」


 シャルハは深い溜息をついた。


「今、そのようなことを懸念してる場合か?」


 親子2人だけになったことにより、シャルハの口調が砕けたものになった。


「今だからこそ、だ。ここでアルザッハの辺境伯と婚姻を結べば暫しの間下手な手は打てまい」

「だが、俺は……!!」


 食ってかかろうとするシャルハに対し、どこまでも冷たい目で皇帝それを見下ろした。


「皇族ということを忘れるな」


 その言葉にハッと我に返った彼は悔しさで顔を歪めながら唇を噛んだ。皇帝はそれを見つめながらふと懐かしむように言った。


「私にもそんな時があった。しかし、全て受け入れられるようになる。お前が私の思いを継いでこの帝国を安定させなければならない」

「何を受けいられるようになるっていうんだ……皇帝になることか?それとも好きでもない女を嫁にすることか?父上の思いを注ぎ込まれて俺が死んでいくことか?俺には全部御免なんだよ!!好きで皇子として生まれたわけじゃないんだ!!」


 シャルハは吐き捨てるようにしてその場を後にした。


「アルザッハ辺境伯に会って返ってくるまでの間に考えておけ」


 去っていく彼の背中にそう言った皇帝は、バタンと扉が閉まった後、皺が寄った眉間を親指と人差し指で解しながら溜息をついた。


 シャルハが暫く無言で歩いていると、前から誰かがやってくる気配がした。目線を上げるとそこにはメルチアの姿があった。


「メルチア」

「お帰りなさい」


 彼女の姿を見て、あまりにもいつも通りな様子にふと泣きたくなった彼は思わず顔を歪めた。


「どうしたの?何だか泣きそうよ」

「いや、何でもない。何でもないんだ」


 彼女の一族が皆殺しにあったなど、口が裂けても言えない上に出立前に彼女に言われた言葉をシャルハは思い出していた。



『きっとあなたに陛下からお話がいくと思うのよ』

『その日のうちに?そう聞いたのか?』

『いえ……女の勘ってやつね』

『なんだよ、それ。とにかく、俺はここに来る。いいな?』

『はいはい』



 メルチアの予想は見事に的中していた。


「それはそうと、あなたは私の部屋も訪れないし、話しにも来なかったわね。結局話って何だったの?」

「ああ、あれは……また今度話す。ちょっと事情が変わったんだ」

「そう。それじゃあ」


 通り過ぎようとしたメルチアのか細い腕を咄嗟にシャルハは捕まえた。


「シャルハ?」


 メルチアは不思議そうに首を傾げる。


「こ、これからお前はどこへ行く?」

「どこって朝の儀礼よ?それに護人に行く場所もないわ」


 自嘲気味に彼女は言って腕を振り払った。


「それじゃあね」


 コツンコツンと、メルチアの履物の音が廊下中に響き渡っていた。


 メルチアはシャルハと別れた後、今年の誕生日について考えていた。今年も去年と変わらず、皇帝やタルハ皇子、ロニからの祝辞を受け、少し豪勢な食事をしてその日を終えた。今までと違うとすれば、その場にシャルハがいなかったことだろうか。そんなことを思いながら歩いていると、当日、手紙を読み忘れていたことを思い出した。部屋に帰ってから早速読もうと彼女は決心したのだった。


 朝の儀礼を終え、ゆったりとした歩調で中庭を散歩していた。あまり四季のない首都では年中色鮮やかな花が咲き誇っていた。芳しい香りに顔を綻ばせていると、女中たちが中庭の側を通ろうとしているのが見えた。彼女は咄嗟に木陰に隠れた。


「ねえ、聞いた?」

「何を?」

「再会の宴の話!」

「ああ、公開告白したけどフラれたってやつ?可哀想よね〜〜」

「ちがーう!それじゃなくて!!」

「じゃあ、どれよ」

「ほら……レンデル族が皆殺しになったっていう」

「何それ!!」


 メルチアは息が止まるのを感じた。これ以上は聞いてはダメだと思うのに、彼女の足はそこから動こうとはしなかった。


「再会の宴にレンデル族だけ来なかったらしいの。それで、全員殺されたんじゃないかって専ら噂よ〜〜。それの調査のために、今度第一王子が宮殿を離れるらしいわ」

「本当かしら。でもそうだとしたらあの護人が気の毒ね」

「そうね〜〜だって、無価値と同然になってしまったんだから!!」


 あはは、という下品な高い笑い声にグッとメルチアの目の前が真っ赤に染まるのを感じた。


「自業自得よね!!地位もないくせに第一皇子と懇意になっちゃってさ」

「アレが次の皇后だなんて噂には反吐が出そうだったもの」

「ちょうどよかったわ〜〜」


 女中たちはそう言いながら、中庭を通り過ぎていった。メルチアは暫くその場から動けなかった。


 夕餉の時間になってもメルチアが部屋に戻らないことを心配したロニは蝋燭を片手に、宮殿中を探し回っていた。


「ロニ、そんなに慌ててどうしたの?」


 タルハがロニに声をかけると、彼女は今にも泣き出しそうな顔で言った。


「メルチア様がお部屋に戻られないのです。もしや、何か事件に巻き込まれたのでは……?どうしましょう、私、私……」

「ロニ、一旦落ち着いて」


 彼がロニの肩に手をポンと置くと、彼女は両手で顔を覆ってさめざめと泣き始めた。


「僕に一箇所、思い当たる場所がある。そこを見てみるからロニは部屋に戻って夕餉の準備をしてて?いいね?」

「はい……」


 濁声でロニは返事をすると、涙を流しながらも大人しくメルチアの部屋へと戻っていった。


「さて……メルチア姉様を捕まえに行きますか」


 タルハはやれやれといった風に両肩をひょいと上げながら、日が沈みかけた宮殿の中を迷うことなく歩き始めた。そして、とある目的地に着き、扉を開けるとそこには彼女の姿があった。ベッドの上に寝転び、扉には背を向けている。


「姉様」

「……タルハ皇子」


 メルチアは掛けられた声に驚いて一瞬振り返ったがすぐにまた元の態勢に戻った。


「今はタルハでいいのに。あなたの可愛い弟なのだから」


 彼はそう言って、扉を開けたままメルチアが横になっているベッドの側に立った。その途端にメルチアはおかしそうにケラケラと笑い声を上げた。


「何がそんなにおかしいんです?」

「だって、だって……私が3歳の時にもシャルハが私の側に立ってたからおかしくて!!」


 暫く彼女は笑い続けたが、やがて元気を無くしたかのように笑うのをやめた。


「時は残酷ねえ。私が同じ行動をしても状況は全く違うんだから。……私が初めてこの『国』に来た時、一番最初に通された部屋がここだった。私は全てを置いてここへ来た……私の『国』を守るために」


 タルハは静かに聞いていた。


「でも、もう何もかもお終いね。私はここにいる意味がない。なくなった」


 彼からは彼女の表情が見えなかったが、なんとなく泣いている気がしていた。


「ねえ、タルハ。お願いよ」


 メルチアは急に起き上がったかと思うと、タルハの手を掴んで叫ぶように言った。


「私を殺して……殺して!!殺してよ!!もう……たくさんよ」


 彼女はタルハ手の甲と額をピタリと合わせ祈るように声を噛み殺して泣いた。そこには『国』を失った姫がいた。メルチアのこんな取り乱した態度を見たことがなかったタルハは一瞬たじろいだが、すぐに気を取り直した。


「姉様、あなたに何があったのかは僕は存じ上げませんけれど、僕はこれまで姉様と一緒に過ごせて幸せでしたよ?そしてこれからも一緒に過ごしたいと思っている」


 彼は膝を折って、メルチアと視線を合わせた。


「そんな無謀なことを願うなんて、タルハらしくないわ」

「僕らしいって何ですか」


 タルハは声を上げて笑った。それに釣られてメルチアも微笑んだ。


「あなた、本当に私の1つ年下なの?」

「どうでしょう」

「まさか本当に……」

「冗談ですよ。それにメルチア姉様だってナルハと僕が双子で一緒に生まれたこともご存知じゃないですか」

「そう、よね」

「さあ、行きましょう。ロニが泣きながら心配していましたよ」

「ロニが?」


 顔を上げたメルチアを見て、タルハはそっと彼女の手を離すと袖で彼女の頬に残る涙の跡を拭った。そして改めて彼女に向かって手を差し出した。彼女は少し戸惑いながらも、彼の手に自分の手を重ねた。


「参りましょうか」


 とても14歳とは思えぬ優雅な足取りで、タルハはメルチアを部屋まで送り届けた。ロニがメルチアの姿を見た途端、泣き崩れたのは言うまでもない。


 ***


 その晩、タルハが私室で寛いでいると、外に控えている衛兵が誰かと話している声が聞こえた。このような時間に皇族の居住区に立入れる者は限られている。タルハが執事に視線をやると、彼は扉の向こうの相手に対して呼びかけた。


「どちら様でしょうか」

「シャルハだ。扉を開けろ。タルハに用がある」


 執事はすぐにタルハに目をやった。彼は「この声は間違いなく兄のものだ。開けて」と言って扉を開けさせた。扉が開いてすぐに飛びかかるようにタルハの胸ぐらを掴んだ。


「どうしたんです?兄上。急に弟の部屋に押しかけて乱暴とは」

「お前、メルチアに何をした?」

「何をしたって、部屋まで送り届けただけです」


 ピシャリとタルハは言い放つと、胸ぐらを掴んでいる手を無理やり退けた。


「兄上こそ、姉様に何をしたんです?僕に殺してくれとまであのお方が仰られるなんて……」

「メルチアがそんなことを」


 タルハは冷やかな目をシャルハに向けた。


「姉様は僕の憧れです。これ以上憧れを穢すような真似をするのなら、兄だなんだと言っていられませんね」

「何を」

「だから、僕もメルチア姉様のことが好きだって言ってるんです」


 弟の静かな告白に、兄はただただ目を見開いて驚くばかりだ。


「姉様を花嫁に貰うには皇位継承権が低ければ低いほどいい。僕は今の地位を死守するつもりだ」

「何を言ってるのかわかっているのか」

「ええ。これは歴とした宣戦布告です、兄上」


 2人は静かに睨み合った。新たな嵐の到来を告げるように、宮殿の外で稲光が走りバケツをひっくり返したような大雨が降り始めたのだった。

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