第7話 星空の下

「ナルハ〜!!おーい!!」


 まだ年端もいかぬ線の細い男の子が、辺りをキョロキョロと見渡しながら中庭の方へと足を進めていた。浅黒い肌に、濃い蜂蜜色の瞳、そして白髪は彼が皇族であることを示していた。

 男の子は双子のナルハと隠れんぼをして遊んでいたが、彼はなかなか彼女を見つけられずにいた。最後のドレスの端を見た中庭を目星に、夢中になってその辺りを探しているといつの間にか奥深くまで来て迷い込んでしまった。日が落ちようとして、真っ赤に燃えていた。


「どうしよう……僕、こんなところ来たことないよ」

「あれ、こんなとこに人?」

「え!?」


 不意に彼の後ろから声をかける者がいた。慌てて男の子が振り返ると、そこには黒髪を胸辺りまで伸ばした可憐な少女が佇んでいた。夕陽を背にした彼女はどこか神秘的で、女神が現れたらこのように神々しいのだろうと想像させるものであった。


「あの、あなたは……」

「メルチア。護人ってここの人は呼ぶわ。護人ってご存知?」

「なんとなく。先生に教わりました」

「そう。じゃあ、説明不要ね」


 そのまま踵を返して帰ろうとするメルチアの腕を掴んで、男の子は言った。


「僕、妹を探してるんです!でも、隠れるのが上手いようで全然見つけられないんです。よかったら手伝ってくれませんか?」


 メルチアは自分の腕に縋る男の子を見下ろした。


「妹ってもしかしてナルハ皇女ですか?」

「はい。えっと、どうしてわかったんですか?」


 彼女は黙って彼の髪をじっと見つめた後に、瞳を見た。


「ああ、髪と目……」

「じゃあ、あなたはタルハ皇子ですね?」

「そうです」

「はあ、護人としての仕事は終わってるし、いいでしょう。手伝います。但し、私が先程失礼な話し方をしたって誰にも言わないでくださる?折檻されちゃうわ」


 そう言って、メルチアは中庭のさらに奥へと向かっていった。タルハは置いていかれぬように慌ててその後をついていった。暫く歩き続けると、腰の高さまであった草や花が急に消え、空けた土地に出た。少し歩いた先には緩やかな丘があり、その頂上辺りに大きくて立派な木があった。


「あれは……」

「慰めの木よ」

「慰めの木?」

「そう。名前がわからないから、勝手に私が名付けたの。来て」


 いつの間にかメルチアは敬語を使わなくなっていた。相手が年下だとわかったからもであるし、何よりタルハが敬語をやめてほしいと頼んだからだ。メルチアはずんずんと丘を登っていくと、木の幹に手を触れた。そしてそのまま表皮の凹凸を活かして軽々と木の枝の上に腰掛けた。


「ほら、タルハも!」


 彼女は木の上から下で自分を見上げている男の子に向かって手を伸ばして無邪気に微笑んだ。その時、タルハは息を呑んだ。彼女の無邪気さや掴めない雰囲気、そして初めて自分の名前を皇族以外が呼び捨てにしたこと……それら全てがごちゃ混ぜになってタルハの胸の中に入り込んできた。


「どうしたの?」

「あ、いえ……今行きます」


 タルハは初めてながらもなんとか木登りを終えてメルチアの隣に腰掛けると、彼女は視線を前へ向けるようにと彼に言った。大人しくタルハが前を向くと、そこには宮殿の裏側を一望することができた。


「初めて、宮殿の裏を、一気に全部見ました」

「なんだか言葉が変よ?言いたいことは伝わったけど。すごく、綺麗よね。私、正面よりも裏側の方が好きなの」

「どうしてですか?」


 タルハはメルチアを見た。彼女は眦を少し下げながらある場所を指差した。彼はその指を追って宮殿に視線を戻すと、一つの部屋に行き着いた。


「今日はいないみたいね」

「あそこは」

「シャルハ皇子のお仕置き部屋よ」


 ふふふって可笑しそうに笑うメルチアに彼は困惑した。


「護人、というかシャルハ皇子以外あの部屋には入室できないはずですが」

「入室できないんじゃなくて、のよ」


 彼女は人差し指を左右に振りながら可笑しそうに否定した。


「私がここに来てぼーっとしてると、シャルハがよくあそこに入れられてるのを見るの。あの人、最初は地団駄踏んだりしてるんだけど、そのうちに大人しくなって部屋にある本を読み漁るのよ?それで、飽きたら窓の外を見て、私に気が付いて大きく手を振るの……だから、かな。正面からじゃそんなことできないでしょう?」


 メルチアは肩を竦めてみせた。夕陽はすっかり沈み、一番星が見え始めた。


「さてと、無駄話はこの辺にしておいて、ナルハ皇女!!木陰に先程から隠れていらっしゃるのはバレバレですよ?」

「やだ!気づいていらしたの!?」


 ナルハは罰が悪そうに、木陰から顔を出した。


「これで隠れんぼは終わり。きっと侍女たちが心配しています。お二方とも戻らなくては。ご案内いたします」


 メルチアは颯爽と木から降りると、ナルハの前に立ち、タルハを見上げた。


「さあ、タルハ皇子も」


 皇子、と呼ばれたことにまた距離が遠のいたと思いながらも、タルハは黙って木から降りた。


「こっちです」


 彼女の案内により難なく宮殿の中庭入り口まで戻ってきた2人は感謝の言葉を述べた。


「本当にありがとう、メルチアさん。実は、タルハと同じく私も迷って戻れずにいたの。もしタルハがメルチアさんと出会わなかったら今頃この星空の下、私は途方に暮れていたでしょうね」

「大袈裟です。でも、お役に立てたならよかったです」

「本当にありがとうございました」

「皇族が下級のものに丁寧語など使わなくていいのですよ、タルハ皇子。では良い夜を」


 メルチアはそう言って微笑みながら2人に背を向けた。そして、歩き始めたところでタルハが呼び止めた。


「あの、メルチアさん!」

「なんでしょう?」


 彼女は不思議そうに半身だけ振り返った。


「メルチア姉様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」

「ねえ、さ、ま?」

「はい」

「タルハだけずるーい!私も私も!だめ?」


 メルチアは一瞬目が点になったが、すぐに気を取り直して笑った。


「お気に召すままに」

「やったー!!」


 ナルハは飛び上がり、タルハは緊張していた面持ちを少し和らげた。


「それでは、またお会いした時にはそのようにお呼びいたします」

「ええ、そのように。今度こそ、良い夜を」

「良い夜を!!」


 2人の嬉しそうな声が星明りに照らされていた。

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