第8話 行き倒れ

 タルハは永遠にも思える道を歩いていた。予想より都に辿り着くのが遅く、食料は底を尽きていた。霞みだした視界にちらりと街が遠くに見えた。


(あれが、ヤルカン王国の都、サールか……)


 そう思ったが最後、そこでタルハの意識が途絶えた。

 何時間も人通りがなく、地面に男が一人倒れていると、都の門兵を突き破って走ってくる女がやってきて、その男に躓き見事に転けた。


「いったあ……もう、なんでこんなとこに人が倒れてるのよ!!」

「もう逃げられませんよ。帰りましょう」


 女は武装集団に囲まれて、渋々といった形で差し伸べられた手を押し退けて立ち上がった。


「腹いせにこの男も連れて帰るわ」

「また拾い物ですか。許されませんよ」

「じゃあ、私帰らない」

「……くれぐれもご内密に」


 取り仕切ってるらしい男は溜め息を吐きながら頭を抱える。女はその返事に満足したのか、スタスタと都の方へと歩きだした。


 タルハが気がつくとやたらと豪勢な部屋のソファに寝かされていた。


(都に辿り着く前に倒れたはずだが……)


 首を一人傾げていると、女が部屋に入ってきた。


「あら、目覚めたの」


 ヤルカン語で話し掛けられたが、難なくタルハは答える。皇帝になるためにルーデン語以外にもヤルカン語も学ばなければならなかったからである。

 敵国と言えどもそこに垣根はない。


「あなたが僕を助けてくれたのでしょうか。ありがとうございます」

「助けたというか姫様は拾っただけですよ」

「レイったらひどーい」


 女を姫様と読んだのは、そのあとに入ってきた騎士服に身を包んだ男だった。


「で、姫様どうするんですか。こんな大きな拾い物をして。奴隷にでもする気ですか?」

「私はお父様とは違うわ!!」

「申し訳ございません」


 声を荒げた女に対して、男は感情の読めぬ顔で静かに謝罪した。女は「あ、いや……ごめん。でも、一人にして」と言い、男は黙って去っていった。タルハはそれを眺めているだけだったが、女が彼の方に笑顔で向き直った。


「ごめんね、見苦しいところ見せちゃって。さっきのはレイ。私付きの護衛よ。幼馴染みで仲良かったんだけど、気づいたらよそよそしくなっちゃってた」

「それが寂しいのですか?」

「わからない。ただあの頃に戻りたいだけなの、私は」


 遠い目をして女は言った。


「あ、そうそう。私はセリーナ・ヤルカンよ。一応この国の姫。よろしくね。あなたは?」


 高位な貴族だろうとは思っていたが、まさか敵国の姫にいきなり会おうとは予想だにしておらず、タルハは動揺した。なんと答えようかと考えたが、記憶喪失を装うことにした。


「実は、何者か自分でもわからないのです」

「記憶喪失ってこと?」

「はい……」

「そっか。じゃあ、私が名前つけてもいい?仮の名前」

「もちろん」

「じゃあね、ロイド。これからあなたのことを私はそう呼ぶわ」

「ロイド。灰色。なるほど、相応しいかもしれない」

「そういう意味もあるけど……まあ、いいや。そういうことだから」


 セリーナはぱちりと大きな瞳でウィンクすると、楽しそうに話始めた。恐らく初対面でなにも事情を知らない人だからこそ洗いざらい話せるのだろう。


「ここ最近、この国の国境付近警備が強化されたの。なぜかわかる?」

「いや……」


 いきなり核心に迫る質問でこちらの正体がバレてるのかとタルハはどきりとしたが、テーブル上のお菓子を摘まみながら話続ける様子からして気づいている気配はないと判断した。


「あれ、私のせいなの」

「セリーナ姫の?」

「そう。私の国外逃亡対策」


 タルハは驚いた。


「なぜ?」

「お父様のやり方に納得がいかなくて、逃げたいから」


(高位な家に生まれついた者にしては珍しい考えだ)


 タルハは感心していた。大抵の者は長いものに巻かれろ精神で親に反抗したり、親の考えを真っ向から否定しようとしない。もしそう思っていた場合は、自らが家を継いでから少しずつ変えていくのが通例だった。

 セリーナは純粋すぎる上に不器用なのだろう。その結果が父親との対立と言える。タルハが分析している間もセリーナは口を止めることはなかった。


「この王国もかのルーデン帝国も西側にしか海がなく、まだ航行技術が発達していないでしょ?だから、国外逃亡するなら海路ではなく陸路を行くだろうというお父様の予想なの。でもね、私は海路を狙っている。私、流浪の旅人に話を聞いたの。それで思った。これからは大航海時代がやってきて、様々な文化が各地にもたらされるはずって。私たちは海にいかなくちゃならないわ」


 セリーナの薄緑色の瞳はキラキラと輝いていた。太陽光のせいではなく、己の光で。思わずタルハは彼女に見惚れていた。それに気がついたセリーナははにかんだ。


「会ったばかりの人に何話してるんだろう?これ、絶対誰にも言っちゃダメだよ?レイにも。言ってないんだから」

「わかりました」


 タルハは神妙な面持ちで頷いた。それに安心したのか、セリーナは「はい、この話はおしまい!」と立ち上がった。


「お父様にあなたのことをなんて言うかが問題よね……図書館整備の人ってことにでもしとこうかしら?」


 彼女はぶつぶつと独り言を言いながら、ああでもないこうでもないと歩き回っていた。


(セリーナ姫がかなり聡明なのはわかった。だからこそ、姫がこの国から脱出したい理由が気になる。それに、僕に与えられたロイドという名前。先程の反応からして何かあることは間違いない。まだまだ知らなくちゃいけないことがあるな)


 タルハは頭のなかでそう整理すると、「ロイドもお菓子食べよう?」と誘っているセリーナの手招きに応じたのだった。

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