第9話 残虐な恋

 息を切らし、無我夢中で走る若者が2人いた。時折、男は手を繋いでいる女の方を気遣いながらも足を進める。


「もう直ぐだよ、セリー」

「ええ!!」


セリーナは髪が乱れるのも気にせず、必死に走った。2人が馬小屋に着き、馬の手綱を握ろうとした瞬間、派手な物音共に数十人に取り囲まれた。制服の紋章がキラリと輝き、近衛兵だと直ぐにわかった。


「ロイド・ヴィスメルだな?セリーナ姫誘拐の罪で逮捕する」

「何を言ってるの!?私は誘拐されてないわ!!私の権限を以ってその令状を破棄します」


セリーナがロイドを庇うように前に出た。先頭に立つ一人の近衛兵が頭を振った。


「姫様の権限を以ってしてもこの令状は破棄できません」

「まさか」

「王命なのです」


真っ青になった彼女を支えるようにロイドは立った。その様子は非常に落ち着き払っていた。


「私の愛するセリー、どうか気を落とさないで。君とたくさんの時間を過ごせただげでも我が人生に一片の悔いなしと言い切れる」

「あなた、知ってて……」

「これでも官司なんだよ」


悲しそうに笑ったロイドにセリーナは抱きついて泣き崩れた。近衛兵は彼女が泣き止むのを待ってからロイドを捕縛し、セリーナを馬車に乗せた。


 王宮に着くと、セリーナは自室に軟禁され、ロイドは重罪人の牢獄へ収監された。何度彼女がロイドに会おうとしても面会の許可は降りなかった。しかし、ただ一人ロイドとの面会が許された者がいた。それがレイ・ヴィスメル、ロイドの実弟だった。彼はその当時、近衛兵の訓練生だった。


「兄上」

「レイ」


唇を真一文字に結び、憂いを帯びたその瞳はロイドに何かを訴えようとしていた。


「許してほしい、愚かな兄を」

「許すも何も、兄上は」

「っし。それ以上は言ってはならない」


看守を横目に人差し指を唇に当ててレイの言葉を遮った。


「いいかい?ここで王に逆らうようなことは大声で言ってはダメだ。反逆罪になる」


レイは何も言わなかった。


「どうかセリーを守ってほしい」

「兄上がいなくなってしまったら、セリーはきっと……」

「だから、それを防ぐためにお前が必要なんだ。私はきっと今夜にでも処刑される」


驚きでレイの瞳は大きく見開かれた。


「なんですって?そんなに早い処刑はこれまで聞いたことがありません」

「王はセリーにご執心なんだ。良縁の駒に使おうとしているから、手放すわけにはいくまい。子宝にも恵まれぬようで、たくさんの女を召抱えてはいるが、望みは彼女だけなんだ」


ロイドの小声で発せられる言葉を、レイは一言も聞き逃すまいと必死に耳を傾けていた。


「私は彼女に幸せになってほしい」

「それは俺もです」


その言葉にロイドは心底嬉しそうに笑顔を溢した。


「彼女の幸せが駒になることなら私は喜んでそのお手伝いをしただろう。しかし、現実はそうじゃない。彼女はこの国から出て身分に縛られない自由な身になることを切望している」


初めて聞かされるセリーナの願望にレイは驚いた。


「身分さえも?」

「ああ。彼女はよく変装をして街に繰り出しているんだが、奴隷を見るたびに心を痛めていた。奴隷は中流から上流階級によって生み出された制度だ。そして、彼女はまさにその制度のトップにいる。その事実が耐えられないんだよ。彼女を責任逃れだとか、弱いだとか、そう思うかい?」

「いや……ただ、俺は奴隷に関して考えたこともなかったので」

「そうだろう。奴隷は我々の生活になくてはならない存在とまで化してしまったから。なぜか。それはセリーの父、この国の王によって、奴隷産業がさらに活気づけられてしまったからだ。……セリーは今、罪の意識に苛まれている。彼女は姫として生まれるべきではなかったのかもしれない」


ロイドは遠い目をした。セリーナを想っていることは明白だった。


「王は姫と親しげにする者を排除したがる。その傾向は私の起こしたこの一件により一層強まるだろう。だから、レイ、お前はセリーと現在よりも距離を置かなくてはならない。決して、国王に気取られるな」

「わかりました、兄上」

「時間だ」


少し離れたところに立っていた看守がレイに近づいてきた。彼は立ち上がって再びロイドを見た。


「最期に、私はレイのような素晴らしい弟の兄になれたことを誇りに思うよ。ありがとう。愛している。この愛は永遠に」

「俺こそ、兄上のような素晴らしい兄の弟に生まれついたこと、光栄に思います。今までありがとうございました。そして、俺も愛しています。この先もずっと」


レイの瞳から何かを訴えるような色は消え、夏の青空のように高く澄んでいた。ロイドはそれを認め満足げに頷くと、看守に誘導されて牢獄を出ていく弟の姿を見送った。


 ロイドの言った通り、彼はその日のうちに処刑された。


 この知らせがセリーナの耳に入ったのは軟禁が解除された1ヶ月後だった。ロイドの死後、半年が経過した時である。彼女はロイドの訃報を聞いた途端、泣き崩れ、物にあたり暴れたかと思うと、今度は急に大人しくなり、自分を傷つけようとした。そこで常時彼女を見張る者が必要となった。いざとなれば力づくでも彼女を抑えられるような人材ということで必然的に男が選ばれることになった。そのポストに名乗りをあげたのはレイだった。最初は皆、ロイドの弟であるレイをセリーナの近くに置くはずがないと思っていたが、その予想に反して王はそれを承認した。恐らく兄の粗相のために、下手な行動に最も出にくいのが実弟だろうという判断によるものと思われた。

 部屋に見張りが配属されるということで、セリーナは鬱陶しそうに扉を眺めていたが、見張りとして入ってきたのがレイと気づくや否や彼女は狂喜乱舞した。一方、レイは以前までの親しげな態度はなりを潜め、あくまでも見張りとしての態度を貫いた。変わり果てたレイの態度に、セリーナははたと気が付いた。レイの兄であるロイドを死に追いやったのはこの私だ、と。レイがロイドのことを慕っていたことをセリーナはよく知っていたが故に彼がセリーナを兄殺しとして憎んでいるものだと思い込んだ。しかし、実際にはレイは兄の言いつけ通り、セリーナを近くで守るために彼女への変わらぬ親しみをおくびにも出さぬように努めていただけだった。

 こうして、この時からレイとセリーナの仲はレイの計画通りよそよそしいものへと変貌して行ったのだった。

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