第4話 火急案件
ルトーは急いでいた。満月が照らす中、森を馬に乗って全速力で駆け抜けていた。
(早く、殿下達に伝えなければ)
その一心で、睡魔と対抗しながら宮殿を目指していた。
こうなった発端はある報告だった。
遡ること4時間前。
ルトーは辺境伯夫妻の不在中の最高責任者として執務室で欠伸を嚙み殺しながら仕事をしていた。残業をし過ぎたと帰り支度をしていると、突如として執務室の扉が開いた。何事かと問うと、ヤルカン王国との国境付近でなにやら増兵の動きがあるとの知らせだった。
急いで見張り台まで行き、双眼鏡でその様子を確認したが、その報告は間違いなかった。これは辺境伯に指示を仰ぐしかないということで、ルトーが直々に知らせることにした。その間の領地はルトーが信頼を置く部下に任せ、すぐに帰還するとだけ伝え現在に至る。
(恐らく今すぐには責めて来まい。その上で私が伝令役を買って出たわけだが……)
職務を放って伝令役に回ったことを少し心配しているルトーだった。
***
酒の空瓶が山ほど床に散らかっている。メルチアは朝日に反射しているそれらを見つめていた。
「メル」
相変わらず脳が溶けてしまいそうな、心地の良い低音で呼ぶ声に彼女は振り返る。そこには、シャルハが立っていた。いつもみたいに下らないことでも言いにきたのだろうかと思ったが、どうやら顔は深刻そうだ。
「どうしたの?」
心配になって、隣に座るように促す。周りは皆酔って眠ってしまっていたため、人を避けながら座る場所を彼は確保した。
「実はルトーが先程来てな」
そうやって、シャルハが後ろを振り向き、そこで初めて黒髪黒目の青年が立っていることに気がついた。
「ルトー!!」
「メルさん、どうも」
本来、辺境伯と呼ぶのが相応しいが、メルチアが堅苦しいのを嫌ったため、ルトーの中では「メルさん」呼びが定着していた。
「疲れたでしょう、ここら辺の食べていいんだよ?」
「お気遣いありがとうございます。でも、火急の案件がありますので」
「というと?」
シャルハに視線を戻すと、彼は自分たちが収める北方領土の方角を見つめながら言った。
「どうやら、ヤルカン王国がついに動き出したらしい。タルハが皇位を継ぐことを知って、隙を突こうっていう戦法だろう。見え透いているな」
「本当にそうなのかしら……確かに、リーダーが変わる時は攻める時として最適だけど、そこまでかの国が浅はかとも思えないわ。きっと何かあるはずよ」
ルトーはそれに頷いた。
「失礼ながら殿下……私もメルさんに賛成です。見張り台から動きがあったとの連絡があっただけでまだ状況は判断しかねます。今回の即位の儀に国王は内部事情で欠席されてるとのこと。もしかすると、それが事実ということもあり得ます」
「そうね。内部分裂でもしているのかもしれない。ただその原因は不明ね」
「はい……」
そう言って黙り込んだ2人を見て、シャルハが言った。
「百聞は一見に如かずって言うだろ?だったら、見に行けばいい」
「見に行くってどうやって?」
「そんなの決まってんだろ?」
シャルハが口の端を上げて悪戯を思いついた少年のように楽しそうに笑った。
「俺がヤルカン王国に潜入する」
2人はぽかんとしていたが、ルトーが慌てて否定する。
「ダメですよ!!辺境伯の夫たるもの、そんな下っ端の役目をされては!それなら私が行ってまいります」
「それもダメよ!!それに敵国にシャルハを送るなんて」
メルチアの瞳が不安で揺れている。いつもは勝気の瞳が少し弱っているのを見て、シャルハは心底愛おしそうにメルチアの頬を撫でた。
「大丈夫。敵を知るにはまず敵の懐に潜り込まないと。必ず俺はメルのところに戻ってくる。信じてくれ」
シャルハの真っ直ぐな瞳に、メルチアは一度瞼を閉じて一呼吸つくと、射抜くような目でもう一度彼を見た。
「その言葉、絶対違えないでね?」
「ああ」
「信じるわ」
メルチアは背伸びして、彼の唇に一つ口づけを落とすとルトーに指示を出した。
「何れにせよ、一度領地には帰らなくてはならないわ。ルトーは私たちの護衛を頼めるかしら?あと、皇子、じゃない。皇帝に伝えて置いてくれないかしら。私たちがすぐに出立することと挨拶もなしに去ることの非礼を詫びる旨を」
「安心してください、メルさん。貴女ならそう指示されるだろうと、先ほどシャルハ殿下の近くにいらしたサルヴァドール大将に伝えておきましたから」
「さすが有能ね。それじゃあ、早速帰りましょう。我が領地へ!!」
こうしてメルチアたちは早朝、馬の嘶きと共に自分たちの領地へと戻っていったのだった。
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