第13話 水入らず

 ルストがメルチアに追いつくと、彼女は大木の前に立ち尽くしていた。


「メルチア姫」

「ルスト」


 彼女は振り向きもせず、ただじっと大木を見上げていた。


「どうかなさいましたか?夜は冷えます。お戻りください」

「ええ、そうね。夜は冷えるわ」


 メルチアは両腕を抱きしめるような仕草をするものの、そこから動く気配を一向に見せない。


「姫……?」

「ねえ、ルスト。勢いで洞窟を出てみて気がついたの。私に行く場所なんてないと。宮殿は仮の宿。だけど、レンデル族の皆と共に過ごした期間は3年とあまりにも短すぎて彼らと共に過ごす場所もない。私はどうしようもなく孤独で」

「それは違います!!」


 メルチアは驚いて後ろをようやく振り返った。彼の瞳が月光によってキラリと輝いた。


「少なくとも、私は貴女と共にある。そして、癪だが皇子もきっとそうでしょう。貴女は決して一人ではない。一人で勝手に孤独だと決めつけないでください。それでは貴女を慕う者が寂しすぎる」


 メルチアは唇を噛み締めた。


「さっきレリチアを叱ったばかりなのに、今度は私が叱られるのね」

「『物事をただ一つの視点から考えてはだめ』、貴女の言葉でしたね。私は非常に感銘を受けていたのですよ」

「そうみたいね」


 ふふふ、とメルチアは笑った。それにつられてルストも笑う。


「さて、さっきから木陰でこそこそ私たちを見てる誰かさん?出ていらっしゃい」


「え?」という声がしたかと思うと、遠慮がちに木陰から少女が現れた。レリチアだった。ルストもわかっていたようで、彼女に道を譲る。


「どうしてわかったの?」

「隠れんぼ、得意だったの」


 メルチアはそう言ってパチリとウィンクをした。レリチアはどこか居心地が悪そうだ。


「立ち話もなんだし、座ってお話しない?」


 メルチアはその場に座ると、隣をポンポンと叩いた。レリチアはルストを不安げに見上げたが、彼はうんと頷いてメルチアの方へ行くようにと促した。


「し、失礼します」


 レリチアはメルチアの隣にすとんと座った。沈黙が生まれたが、先にそれを破ったのはレリチアだった。


「あの、先ほどは申し訳ありませんでした。冷静さを欠いていました」

「いいの。誰だってそういう時はあるから」


 メルチアはタルハとの出来事を思い出しながら言った。


「私に妹がいたなんて。天涯孤独だと思ってたからびっくりしちゃった」

「私は両親から貴女のことをよく聞かされて育ちました。とても聡明で美しいと。彼らは正しかったようです」


 レリチアは力なく笑った。


「ありがとう。でも、貴女も聡明よ。そして美しい。貴女も貴女が信じた正しさを貫こうとしていた。その点で素晴らしいわ」

「でも」

「そう、ただ、貴女には視点が欠けていた。それだけのことよ。でも、そんなものはいくらでもこれから広げられる。貴女が望むのならいくらでも」

「……はい」

「こんな偉そうに言っておいて私だって視点は足りないし、本当はさっき言ったことも最善なのかわからない」

「そうなんですか?」


 レリチアが驚いたようにメルチアを見る。


「うん。私もずっとルーデン帝国を憎んでいたし、毎朝皇帝と顔を合わせる度に何度その寝首を搔いてやろうかと思ったことか」

「まあ」


 レリチアはくすくすと笑う。メルチアも目を優しげに細めた。


「それでも、私はそうしなかった。衣食住を与えてもらい、教養を身につけてもらったことに対して恩を感じているのは事実。だけど、それだけじゃなかった。彼らは私を、いや私だけでなく他の部族の人質として捕らえてきた人を、護人といって丁寧に扱った。外出の自由などは制限されているけれど、でもそれだけ。人の尊厳は守られていた。その精神を私は好きだと思った。そんな精神を持っている人が治めるのなら弱肉強食の世界でもマシなんじゃないかって思えた。きっと君主に相応しい方なのよ、皇帝は。理想の世界を作るためには多少の犠牲を払うしかなかった。そういうことなんだと思った」


 メルチアはそこで一呼吸置いて、また言葉を紡いだ。


「だから、私は帝国と戦いたくないし、戦ってもこの戦力では帝国には負ける」

「なるほど、お姉様のお考えは理解いたしました。でも、辺境伯に勝つ術はあるのでしょうか?冷静になって考えてみると、辺境伯にこの人数で挑むのはかなり無謀だと恥ずかしながら気がつきました」


 レリチアは頬を指で掻きながら地面の一点を見つめて苦笑いをする。


「ああ、それね。地の利を活かせば辺境伯に関してはまだ勝算があると思うの」

「というのは?」


 こうして、メルチアは作戦を説明した。そんな軍勢はない、というレリチアに対してメルチアは不適に笑う。「皇子たちがいるわ」と。


 一方、その頃、宮殿は大騒ぎになっていた。アルザッハ辺境伯の馬車で泥だらけになったタルハが帰還したからである。タルハが帰ってきたことを聞きつけてシャルハは慌てて弟の私室へ向かった。


「入るぞ」


許可が出る前に入室すると、タルハは入浴の準備をしているところだった。


「何ですか、兄上」


心底うんざりした顔で出迎える弟のふてぶてしさを気にも留めず、彼の肩をがしりと掴んだ。


「メルチアはどうした?なぜ一緒にいない?お前と共にアルザッハの土地へ向かったのではないのか」

「ええ、その通りです。メルチア姉様と共に参りました」

「ならば、なぜ!!」

「彼女を奪われてしまったからです!!」


タルハは脱いで手元に持っていたベルトを床に叩きつけた。


「奪われただと!?誰に?」

「アルザッハ辺境伯ですよ。あいつ、見廻隊を放ってやがったんだ」


ポツリポツリと語られる当時の状況に、シャルハは怒り心頭だった。「すぐにでも出る」と言い出した彼をタルハは引き留める。


「待ってください。あの方が易々と辺境伯の手に落ちるとも思えません。迎えに上がるとは言いましたが、彼女は本当に『迎え』に来ることを望んでくれる女性でしょうか」

「どういう意味だ?」

「メルチア姉様は聡明なお方だ。あの状況下で冷静に僕を宮殿へ返す方法を思いつき、実行された。となると、今頃はアルザッハの牢獄を逃れていてもおかしくない。では、その次に何をするか。きっとレンデル族の生き残りを探すことでしょう」

「確かに、アルザッハが全滅したと言っただけで裏付けは取っていない。しかし、あの死体の量なら全滅したと言われても信じてしまうがな……」

「でも、彼らは元々森や山に住んでいた部族だ。身を隠すのは得意なはず。それを考えると例え数名だったとしても生きている可能性は大いにある。生き残りと合流した彼女はきっとアルザッハを倒すことを目論むはずです」

「と、なるとある程度軍勢を率いた方がいいな。例え、メルチアの編成する部隊が微力だったとしても、そもそもメルチアが牢獄からまだ脱出できていなかったとしても、アルザッハを叩くのは時間の問題だった。この際、攻め入るのは大いにありだ」


タルハは静かに頷く。


「次にアルザッハへ兄上が向かわれるのはいつの予定ですか?」

「明日の夕方だ」

「わかりました。それでは、それまでにできるだけの兵力を集めましょう。宣戦布告せずに攻め入るのは本来軍規違反ですが、今回アルザッハ辺境伯にかけられているのは反逆罪。よって、軍規違反も適用外になります」

「ああ」

「ただ一つ問題が」

「何だ?」

「証拠がないということです」


シャルハははははと笑い飛ばすと「何だそんなことか」と言った。


「何だそんなことか、とは何ですか。重大ですよ。逮捕できません」

「知ったことではない。証拠など、どこかで見つかる。取り敢えずその場でははったりをかませばいい。あとは運命に委ねるさ」


「よし、そういうことだからすぐに招集をかける。お前は身を清めろよ?」と言ってシャルハは部屋を出て行こうとした。そこをタルハが呼び止めた。


「兄上」

「何だ?」

「申し訳、ありませんでした」

「それは何に対する謝罪だ?」

「そ、れは……」


言葉に詰まったタルハに対し、シャルハはふっと笑った。


「メルチアが攫われたのはお前のせいじゃない。タイミングが悪かったんだ。自分ばかり責めるなよ?じゃあ、また明日な」


今度こそシャルハはタルハの部屋を後にした。タルハはがくりと膝を折って静かに一人涙したのだった。

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