第5話 偶然にも

 少年は時折後ろを振り返りながら、鏡のように磨き上げられた廊下を全速力で走っていた。何人かの大人が肩で息をしながら少年が駆けてきた道を辿っている様子を見て、少年は得意げに笑みを零した。


「シャルハ皇子、何がおかしいんでしょうか?」

「は?」


 少年が驚いて顔を前に向けると、少し彼より背の高い少年が進行方向で待ち伏せていた。慌てて彼は引き返そうとしたが、すぐ側まで大人はやってきていた。観念した少年は両手を挙げて降参の意思を示した。


「くそ、ルトーにはなんでいつも俺の行動がバレるんだ?」

「はあ、はあ……そんなことより、シャルハ皇子!帝王学を毎度逃げ出されては困ります!!」


 シャルハを待ち伏せていたルトーから身柄を引き取った大人たちは彼を囲うようにしながらある部屋へと向かった。


「またあそこに入れられるのかよ」

「帝王学から逃げなければあそこに入ることもありませんよ、全く」


 大人は心底呆れた顔をしながら、その部屋の扉前までやって来た。鍵を懐から取り出し、ガチャリとした音が聞こえたかと思うと、少年に中に入るようにと促した。部屋は真っ暗で中の様子は全く見えない。だが、少年は帝王学を抜け出す度にこの部屋の「主人」となるため、勝手は知っていた。


「では、皇帝からのご許可が降りるまでここにいらしてください。良いですね?シャルハ皇子」


 そう言って、扉は閉められ後から再びガチャリという音が聞こえた。


「っちぇ」


 シャルハはその辺にあった絨毯の端を蹴った。すると、その勢いで靴が脱げ部屋の奥へと飛んでいった。彼は転がっていった靴を拾いに奥まで走っていったが、ベッドの上に蹲ったモノを見つけた。人形だと思った彼は近づいていき、その何かの側に立った。


「なんで、こんなところに人形が?」


 そう言いながら、そのモノに手を伸ばした時、それは動いた。正確にはそのモノが寝返りを打ったのだ。そこで初めて寝息が聞こえ、シャルハはモノは人形ではなく人間であることを理解した。


「なんでこのお仕置き部屋に俺以外の人間がいるんだ……?コイツも何かやったのか?」


 暗闇に順応した目が薄く口を開けて眠る少女を捉えた。サラサラとした黒髪がシーツに扇状に広がっている。

 なんとなく目が離せず、その場に立ち尽くしているとその少女が急にパチリと目を覚ました。むくりと体を起こした少女は側に立つシャルハへと目をやった。


「だれ……」

「お、俺は」


 急に起きると思っていなかった彼は明らかに動揺していたが、すぐに咳払いをして落ち着きを取り戻すと皇帝の真似をして名乗った。


「私はルーデン帝国第一皇子、シャルハである」

「シャルハ、おうじ」

「お前は?」

「わたし?は……」


 少女は少し考える素振りを見せた後、「メルチア」と言った。メルチアにお仕置き部屋にいる理由を尋ねたシャルハだったが、「ここにいろって いわれた」としか答えない彼女に諦め、適当に話をすることにした。明らかにシャルハよりも年下に見えたので、年を聞くと3歳年下であることが判明した。


「お前、親はどうした?」

「おかあさま も おとうさま もずっとずっとむこう。わたしとみんなは ルストと ここにきた。くに を まもるために」

「国を守る?それは俺の父上がやってるぞ。心配ない」


 メルチアはシャルハを一瞥してまた前を見た。

 それから2人の間に暫く沈黙が訪れた。


「メルチア、お前はどこ生まれだ?」

「うまれ?レンデル」

「レンデル……?聞き覚えはあるけど」


 シャルハは頭を捻るがなかなか思い出せないでいた。しかし、すぐに小さく「あっ」と声を上げたかと思うと、今度は頭を抱えて小さくなった。


「どうしたの?」


 メルチアが無表情ながらもシャルハの方へと視線をやると、彼はその状態のまま「いや」と答えた。前回の帝王学講義から逃げ出す直前に、北を代々治める部族はレンデル族といい、つい最近平定されたばかりだと習ったのを思い出したのだった。そこで初めて帝王学の重要性をシャルハは痛感した。それまでなんとなく強制されるだけで必要性を感じていなかった帝王学への認識が改まった瞬間だった。


「つまりお前は……」


 シャルハが口を開きかけたところで扉の向こう側が途端に騒がしくなり、バタンという大きな音共に部屋の扉が大きく開け放たれた。


「お前は本当に何をやってるんだ!!護人メルチアはおられるか!?」


 大男がズカズカと部屋に入って来て周りを見渡すと、ベッドの上に幼女が横たわっているのを認めた。そして、すぐさま彼女を連れて行こうと歩き出したところで側に立っている少年に気がついた。


「こ、これはシャルハ皇子!失礼いたしました」

「あ、いや……」


 片膝をついて深々と礼をする男にたじたじになりつつも、彼はなんとか状況把握に努めようとした。


「それよりも、これは一体どういうことだ」

「実は、本日付けで配属された宮廷見習いがレンデル族の護人の護送の任を賜わっていたのですが、お連れする予定だった部屋を間違えたようでして」


 男は顔を上げて斜め後方を見やった。ヒッとか細い悲鳴を上げて目を泳がせるのは線の細い色白な男だった。


「も、申し訳ございません……!!」

「別に俺は気分を害されたわけではないからな、処罰はほどほどに留めておくように」


 シャルハはそう言うと、スタスタと扉の方へと向かった。そして去り際にもう一度メルチアの方を振り返ったが、彼女はシャルハを見てはいなかった。そのまま彼はその場を後にして私室へと向かった。

 国を守るためと言った彼女の言葉が彼の頭から離れようとしなかった。たった3歳で護人、言い換えれば人質となり、一族のために自ら犠牲になったという。誰かの受け売りの可能性は否めないが、あの人形のように動かぬ表情には大人の考えなど全てを見越した上で諦めているような雰囲気が漂っていた。帝国の皇子として、平定した側の人間として、持つべきでない感情を抱いていることは6歳のシャルハですら理解していた。彼女に笑ってほしい。そんな願いが胸の中で芽生えていた。だがその前に、自分自身は自分の父親が何をやってどういう制度を敷いているのかなど何も知らないということにも気がついていた。


 ぼんやりと歩いていると、遠くから物凄い勢いで走ってくる男がいた。武装をしており、皇子と目が合ったにも関わらず彼は敬礼を取る素振りを全く見せない。シャルハは眉を顰めた。少年に睨まれていることに気がついた男もスピードを落とし、やがて2人は対峙した。


「お前は何者だ」

「名乗る名などない」


 再び睨みあった2人だったが、男の方がふと表情を緩めた。


「お前は良い目をしている」

「なんだ唐突に」

「そんなお前の目を見込んで、頼みたいことがある」


 男はそう言って屈むと、背負っていた荷から手紙の束をシャルハに渡した。


「これは……」

「全部で12通ある。レンデル族のメルチアの誕生日に毎年1通づつ渡してほしい。いいか、毎年1通ずつだぞ?」

「お前、メルチアと同族か!?」

「……任せたぞ」


 シャルハの問いかけには答えず、肩に手を軽くポンと乗せると再び物凄い速さで走り去っていった。彼の駆けていく足音と風を切る音が微かに聞こえていた。手紙の束を握りしめ、男の去っていった方向を見ていると、再びシャルハの前方から複数人の足音が聞こえてきた。カチャカチャと甲冑が擦れる音も聞こえるため、武装していることは安易に予想がついた。しかし、シャルハには隠れる時間もなく、そのまま武装集団と対面する形となった。


「シャルハ皇子!今し方大男をお見かけになられなかったでしょうか?そのものは武装しており……って、失礼ながらその手紙は?」

「あ、あ〜これはさっきラブレターを無理矢理押し付けられてだなあ、あははは、モテるってのも辛いもんだ。まあ、励みたまえよ」


 冷や汗をかきつつ、シャルハはなんとかその場を逃げ切った。


 一度私室の鍵がかかる引き出しに手紙を仕舞ってから、勉強部屋へ向かうと驚いた様子で年老いた家庭教師が教科書から目を上げた。ずり落ちた瓶底眼鏡を押し上げる。


「やあ、グラース先生。ずっと逃げ回ってすまなかった。帝王学、教えてくれ」

「これはこれはシャルハ皇子。一体どういう風の吹き回しで?」


 シャルハは自分の椅子に腰掛けながら言った。


「俺にもやりたいこと、できたんだ」


 グラースは顎先にたっぷりと生やした髭をおもむろに撫でながら「左様でございますか」と既に開けていたページへと目を落とした。


「では、まずはこの土地が10部族によって混沌としていた時代からご説明しましょうかな」


 こうしてシャルハは帝王学を学び始めたのだった。

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