第15話 嫉妬の赤

 男二人に挟まれて屋敷に入ると、一人の男が何事かを屋敷にいたメイドに囁いた。メイドは軽く頷くと数分姿を消したと思えば、すぐに戻ってきた。そして、今度は別の兵に両脇を挟まれ階段を登り始めた。


「あの、ご当主様に会って父のことなどお聞きしたいのですが」

「罪人がご当主と会えるとでも思っているのか」

「それよりも止ん事無きお方がお前と会うことをご所望だ」

「わかったら黙って歩け」


 口々に責め立てられるように言われ、メルチアは閉口した。このままでは計画が台無しだと焦っていると唐突に男二人の足が止まった。目の前には大きな扉が聳え立っている。


「メルチア・ドゥ・レンデルをお連れいたしました」

「入れ」


 壮年の男の声が聞こえ、扉がゆっくりと開かれる。そして、目に飛び込んできた人物にメルチアは大きく目を見開く。正面の執務机にはおそらくアルザッハ辺境伯と思われる40代ほどの男が座っていたが、問題はその机の前にあるソファに腰掛けている女性、否、少女の方だった。


「ナル、ハ……どうしてここに」

「あら、どうしてでしょうか、メルチアお姉様?」


 優雅にティーカップに口をつけ、紅茶を啜りながら笑っていたのはメルチアを姉と慕っていたはずのナルハだった。彼女に視線で下がるように言われた兵は頭を下げて退室した。背後で扉が閉まる音を聞きながら、メルチアは一人呆然と立ち尽くした。シャルハの命令を受けて侵入しているのかもしれないと咄嗟に考えたが、そうではないとその考えを一瞬で打ち砕かれた。アルザッハ辺境伯が立ち上がり、ナルハが差し出した手の甲に口づけを落としたからだ。


「まさか、貴女が……」

「そうよ。私が全てやったの」


 勝ち誇ったようににんまりと笑うナルハは既にメルチアが知っていたナルハではなかった。


「全てってどこから?なぜ、どうして……こんな、惨いことを」

「全ては全てよ。それに惨いですって?そっくりそのままその言葉を貴女に返すわ」


 メルチアはさっぱりわからないというように怪訝そうに眉を顰めた。


「そうでしょう。貴女は無自覚で純粋で聡明で美しいから、知らないでしょうね。私が宮殿でどれだけ惨めだったかを」


 ガチャンと音を立ててティーソーサーを机に置いた彼女は立ち上がって、メルチアの顎に手をかけて無理矢理上を向かせた。


「どれだけ家庭教師に褒められようと、父上から褒美を貰おうと何一つ嬉しくなかった。なぜかわかる?彼らの口癖が『メルチアに追いつく日も近い』だったからよ!!どうして、皇女の私が一介の護人である貴女と比べられなくちゃいけないの?タルハもシャルハお兄様も貴女にぞっこんでいつもいつも貴女を優先してばかり。他の護人やその付き人たちとは同調できたけど、彼らは頭が悪くて付き合いきれなかったわ。噂を流したいときにだけ使ってみたのだけれど、効果があったみたいで適材適所ってやつね。」


 メルチアが首を無理矢理左右に振ってナルハの指から逃れると、ナルハはそのまま離れた。


「そんな、くだらないことで私の両親や家族同然の部族を殺したっていうの?」

「くだらない?これのどこがくだらないの。皆が私を愛する国じゃなきゃ生きてる意味なんて、ないわ」


 ふふふと壊れたように笑うナルハの腰をアルザッハは抱き寄せて、口付ける。何もかもが歪んだ状況にメルチアはクラクラとした。


「そんな理屈が通ると本気で思っているの?」

「通る、とは思ってないわ。通すのよ」


 光を映さない瞳に見つめられ、メルチアはぞくりと背筋が凍るのを感じた。ナルハは壊れてしまった。誰かが止めなければ。でも止める術など、ない。そんな絶望がメルチアを襲っていた。


「フィスティア、よかったわね。これでシャルハお兄様と結婚できるわ」


 不意にナルハが声を張り上げた。すると、隣の部屋でまだ幼い少女の甲高い声が聞こえた。13歳になったばかりのアルザッハの長女であることは容易に想像がついた。


「それに、フィスト。貴方にも土産よ。好きにしなさい」


 ナルハの声を聞いてか、隣に続く部屋の扉がガチャリと音を立てて開いた。そこには一人の青年が立っており、メルチアをまっすぐ見ていた。2人は暫く見つめ合っていたが、青年がメルチアの側に来て彼女の腕を取った。


「では、お話はもう済んだのですか?」

「そういうことよ。早く行って」


 ナルハはメルチアを見ることなくそう告げると、アルザッハ辺境伯の方へと向き直った。


「ナルハ……皇女、貴女は見誤られたようだ。そして私も見誤ってしまったようです」

「後者だけ受け入れるわ」


 メルチアは青年に腕を引かれて隣室へと向かった。空は夕焼け色に染まり、屋敷中が西日で満ちていた。


 *****


 シャルハは皇帝やルトーの助けを得ながらなんとか最小限の軍隊を編成した。慌ただしく人々が戦に向けて準備する中、ルトーが緊張した顔でシャルハに近づいてきた。嫌な予感はしたため、シャルハはルトーと2人で話せる執務室に入った。


「どうした?」

「大変申し上げにくいのですが、このようなものを見つけました」


 そう言ってルトーが手渡してきたのは、アルザッハ辺境伯からの手紙のようだった。宛先は『蝶』となっている。蝶はナルハがよく好んで使う文様だった。まさか。逸る気持ちを抑えて手紙の中身を見る。そこには、レンデル族の殲滅が成功したことや、メルチアを捕える作戦など、今回の事件の様々なことが書かれていた。


「これはどこで」

「所用でナルハの部屋を訪れた際に、ナルハの従者が怪しげな動きを見せたので吐かせたところ、この手紙を破棄するようにナルハから仰せつかったと言ったのです」

「なぜナルハがこんなことを……」

「私にもわかりません。しかし、これでアルザッハ辺境伯のあの余裕綽々とした態度にも頷けます。……殿下?」

「いや、俺も覚悟を決めなければならない時が来たようだ」


 シャルハは手紙を懐の深いところに仕舞い込み、軍服に身を包んだ。


「考えている時間はない。出立だ」


 シャルハはオレンジ色に染まる城下を見ながらそう告げた。彼の瞳に慈悲は一切なかった。その覚悟にルトーも息を呑むと「直ちに用意させます」と言ってその場を去った。シャルハは一人、前髪をくしゃりと掴むと、「どうして」と声に出して顔を歪めたのだった。


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