第16話 惨い世界

 そっと押されてメルチアはソファに倒れた。フィストはうつ伏せに寝転がる彼女の隣に腰をかけた。


「貴方って悪趣味ね」

「そりゃどうも」


 メルチアは顔を横に向けてなんとか息を吸った。


「貴方、私のこと、好きなの?」


 その問いかけに落ち着き払っていたフィストはギョッとしたようにメルチアを見下ろした。


「何を言いだすの、お前」

「だって、貴方が私を所望した、みたいな言い方をナルハがしたから」

「土産のくだりを言ってるの?どんな勘違いしてんだ。どう考えても『副産物だからあげるわよ』の訳でしょ」

「そうなの?」

「そうだよ」


「ふーん」とメルチアは興味なさげに言った。


「私、ナルハのこと、何一つわかってなかったのね」


 それにフィストが応えることはなかった。代わりにメルチアを助け起こした。


「何?」

「いや、予定では僕がこれからお前を抱くことになってるから」

「だ、だ……!?」

「なんだ、意外と初なんだな」

「意外とは余計だわ」


 メルチアは頬を膨らませて言ったかと思うと、急に真顔になって正面からフィストを見た。その強い眼光に彼は気圧されたようだった。


「これ以上、貴方は罪を重ねる必要はないわ。殺人罪の上に強姦罪も追加するの?命がいくらあっても足りないわよ」

「僕は直接手を下してはいない。父上に言われて従ったまでだ。それに僕だってこんな手荒な真似はしたくない。美しくないからね」

「それを不必要だと言ってるのよ。いい歳していつまで人形やってるつもり?」

「だけど……!!」


 フィストは勢い余って立ち上がり、振り上げた拳をグッと強く握りしめた。


「こうでもしなければ、僕は……消されてたんだ。生き残るにはこうするしかなかった」


 歯をギリギリと噛み締め、何かを堪えるような表情からメルチアは彼にも何か事情があるということは悟った。


「展開された物語はもう止まらない。終わりを迎えるまでさ」


 フィストはそのままメルチアに覆いかぶさるように膝立ちになった。


「何をするの」


 メルチアが下からキッと睨みつける。


「お前の顔、好みではないけど、僕は美しいと思うよ。その目もなかなかいい。躾がいがありそう」

「ふざけないで」


 メルチアが逃げようと必死に体を捩るがフィストはそれを片手で抑え込む。同年代の男にこれまで鍛えてこなかった女は力では勝てない。そのことを思い知らされたメルチアは唇を噛み締めた。


「どうして……皆必死に生きているだけなのに……」


 メルチアは押し殺したように呟いた。その言葉にフィストはドレスに手をかけようとしていた手を止めた。


「お前は……死にたいって思ったことはあるの?」

「そんなの数え切れないくらいあるわ。殺してほしいってある人につい先日懇願したくらいよ」

「そんなに切羽詰まってたのか、お前も」

「お前もということは……貴方もそうなの?」

「……残虐で無慈悲な息子を演じなければ父上に失望されて捨てられる、そうやって母上に言い聞かされてきた。母上が亡くなった今ならわかる。母上は継承権が僕以外に移ることを酷く恐れていたんだ。僕は軟弱だったし、これといって際立った才もなかったからね。父上には妾がたくさんいて、異母兄弟が僕にはたくさんいるんだ。父上も僕を怒るときはお前の替えなんていくらでもいると言った。だから、僕は自分の身を守るために両親が望むような息子を演じた。演じているうちに本当の自分がわからなくなった。悪いことだってわかっているしもうやめたい。でもやめたら僕が死ぬ。そうやって悩んでいるうちに多くの人の命を奪ってしまった。潰えた命はもう元には戻せない。母上が亡くなった時にそれを痛いほど実感した僕は、その罪深さに耐えられそうになくて何度も何度も死のうとした。でも、死ねなかった。だって、他人を犠牲にしてまで自分の生に執着している僕だよ?死ねるわけないじゃないか。生きたかったんだ……」


 フィストは長い独白を終えると一人泣き始めた。メルチアはそれを黙って見つめていたが、やがて手枷で不自由な両腕を器用に動かして彼を抱きしめた。フィストはメルチアの胸で静かに泣き続けた。そうして暫くすると寝息が聞こえてきた。泣き疲れてフィストは眠りについたらしかった。年齢を聞いていないが、恐らくメルチアと同い年くらいだ。彼には荷が重すぎる運命を背負わされていたらしい。吐き出せるような相手もいなかったのだろう。メルチアはそっとフィストをソファに横たえると、天井に向かって適当なペンを投げつけた。すると、天井の一部が開き、中から人が顔を出した。


「姫、ご無事ですか?」

「ええ、私は大丈夫よ。ルストの方は?」

「順調です。隣の当主の部屋に3チーム張り付いています」

「なら、そのまま待機よ。知ってるかどうかわからないけれど、ナルハがいるの。下手に手出しできる状況ではないわ。皇女がいる事態なんて想定していなかったもの」

「待機して、その後どういたしますか」


 メルチアは答えずに、窓の外を見た。彼女が見つめている方向は帝都がある方向だった。


「皇子の到着を待つということですね。わかりました。彼らの姿が見え次第、姫にお伝えに参ります」

「ありがとう」

「それまでどうかご無事で」

「そっちも」


 ルストは再び天井の一部を閉めて、姿を消した。メルチアは暫くすっかり暗くなった空を窓越しに見ていた。


 翌朝、隣でフィストが目覚める気配を察知し、メルチアも覚醒した。


「おはよう」

「おはよう」


 フィストは伸びを大きくして顔を洗いに向かった。水音が止んだかと思うと、再びメルチアの方へ戻ってきて言った。


「僕は昨日お前を抱いた」


 彼はそう言いながら人差し指の腹ににナイフを入れて血を出したかと思うとシーツにつけた。


「お前はショックのあまり、部屋から出てこられなくなった」


 今度はそのナイフでメルチアの縄を断ち切った。メルチアは信じられないものを見る目でフィストを見上げた。


「それじゃあ、僕は朝食を食べてくる」


 くるりと踵を返してフィストは部屋から出て行った。一人取り残されたメルチアは呆然とソファの上に座っていた。ハッと我に返り、部屋中を歩き回った。もし、何か証拠らしきものがあれば持ち帰ろうと思ったからだ。しかし、そのようなものが私室にあるはずもなく、悄然と肩を落とした。そんな折、天井が開きルストが現れた。


「姫様」

「まさか!!」


 パッと顔を輝かせてルストを見ると、彼は力強く頷いた。


「恐らく正午までにはこの門は突破されるでしょう。なかなかの軍勢を率いておられる」


 それを聞いたメルチアは安心したように、近くにあったベッドに座り込んだ。


「よかった……それじゃあ、軍勢が屋敷に侵入してきたタイミングで我々も当主の部屋に乗り込むわ。そこで、ナルハやそのほかの人たちの処分を皇子に仰ぐ。異論は?」

「ありません」

「それじゃあ、そのように」

「どうかご無事で」

「ええ。ルストも生きて帰ってきてね」


 ルストは黙って頷くと消えていった。


 正午になるまで侍女がシーツを取り替えに来たくらいで他には誰の訪問もなかった。フィストが言った筋書き通りに事が進んでいると想定し、メルチアはベッドのブランケットで体を包み込み、ソファで丸まっていた。ショックを受けて何もかものやる気を失った女を演じることにしたのだ。やがて、正午の鐘がなると思われた頃、隣室が慌ただしくなる気配がした。何かが割れる音まで聞こえた。窓の外を見やると、軍勢が正門を突破し、本邸に向かってきている様子が見えた。メルチアは飛び上がり、急いで隣室へ続く扉を開け放った。すると、そこには待ち焦がれた人物がいた。


「シャルハ!!」


 メルチアが歓喜で思わず叫ぶと、彼がメルチアの方を見た。彼は彼女に柔らかく微笑むとすぐに冷酷な目に戻った。部屋の空気が10度程下がったような気がしたメルチアだった。先ほどはシャルハの登場に浮き足立って何も見えていなかったが、冷静になって状況を見ると非常に緊迫した状況であることを理解した。

 まず、シャルハは剣をアルザッハ辺境伯の喉元に突きつけており、若干皮膚が破れて血が滲んでいる。その隣にはナルハが驚いて硬直しており、そんな2人の周りをシャルハ率いる先鋭隊とレンデル族の3チームが囲んでいた。


「お、皇子、これは一体どういうことですかね?辺境伯である私に令状もなしにいきなり剣を向けて証拠もなしに反逆罪だなど、軍規違反も甚だしいですな。そもそも宣戦布告もなしに軍を率いてくるなど言語道断」

「令状はここにあるし、証拠もこの通りだ。それにお前にかけられているのは反逆罪。よって、軍規規則はそもそも適用外だ」


 シャルハの隣に控えていたルトーが筒状に丸められていた令状を引き伸ばし提示し、それと同時にシャルハは胸ポケットから1通の封が切られた手紙を取り出した。その手紙にナルハの瞳が大きく開かれる。


「ナルハ、お前には失望したよ」

「そんな……お兄様、嫌、嫌よ……こんなのはあんまりよ」


 彼女はシャルハの足に縋り付いて泣きじゃくった。しかし、彼はそちらにも目を呉れずルトーに令状を読み上げるように促した。


「アルザッハ辺境伯現当主は本日より辺境伯の身分を剥奪。全ての財産を没収とする。また、アルザッハ辺境伯現当主及びその1親等を斬首刑に処す」

「ナルハ第一皇女は本日よりその身分を剥奪。また、斬首刑に処す」


 その言葉にメルチアも驚きを隠せない。


「令状は理解したか」

「お、お待ちください。私はそのような手紙など存じておりません。それにたった一つの証拠で刑を執行なさるおつもりですか」

「ほう。言い逃れする気か。筆跡鑑定の用意も整っているし、その他の証拠も揃っている。どうする?」


 シャルハの返しを受けてメルチアがレンデル族の者に目配せをした。すると、レリチアが前に出てきて、直談判をしに行く旨の族長の手紙や偽装工作のヤルカン王国の旗、そして証人であるルストを目の前に並べた。メルチアは「これも証拠よ」と言うとアルザッハ辺境伯はようやく現実を受け入れ始め、顔がさっと青ざめる。ナルハはひたすら声をあげて泣き続けている。


「以上だ。罪人を捕縛後、帝都まで連行しろ」


 シャルハが剣を収めると素早く先鋭部隊がナルハとアルザッハ元当主を拘束した。メルチアはその様子を見守るレンデル族の者たちにフィストとその妹を探すように命じ、やがて部屋に残ったのはシャルハとメルチアだけとなった。


「メル……!!」


 シャルハが大股でメルチアまでの距離を詰め、力一杯抱きしめた。メルチアは「苦しい」と彼の背中を叩きながらも彼を抱きしめ返した。そして、そこで安心したのか箍が外れたようにメルチアは声をあげて泣き始めた。シャルハはそんな彼女の頭を優しく撫で続けた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る