第3話 心遣いは
「わかっています。そろそろ婚姻を結ばねばなりませんからね」
「本当にお前は聡いな。……よろしく頼む」
現在、次期皇帝はシャルハ第一皇子になるだろうと噂されており、そうなると次期皇后が気になる頃だ。ルーデン帝国では男子は18歳が、女子は15歳が成人とされ、シャルハはちょうど先月に成人したばかりだ。見目麗しい皇子に縁談が来ないわけもなかったが、本人が未成年を盾にしていっこうに取り合おうとしなかった。未成年というのは建前でメルチアと婚姻を結びたいというのがシャルハの本音だろうと周囲は予想していた。だが、ルーデン帝国内の北の領土を治めるアルザッハ辺境伯が現在最も勢力が強く、その貴族の娘と婚姻を結ぶのがルーデン帝国にとって有益だ。勢力が強いということはそれだけ脅威にもなる。脅威の芽は若いうちに摘んでおくに限る。そのため、アルハ皇帝はなんとしてでもシャルハをメルチアから引き離したがった。アルザッハ辺境伯が治める領土というのはヤルカン王国との境であり、昔から土地を奪ったり奪われたりと小競り合いが続いている地域だ。水が澄んでおり、染物や陶器作りなど文化の要所として栄えていた。
「メルチア姉様……私が自分の我が儘に必死なばかりにお姉様のお誕生日であることをすっかり失念しておりました……申し訳ございません」
すっかり気色を失って去っていったシャルハの方向を見ていたナルハの近くにメルチアは寄ると、彼女の手を取った。
「何を言うのです、皇女殿下。私はただの護人。皇族の前に私の価値など……。それに再会の宴は大変賑わいますから、ご覧になるべきでしょう」
終始黙っていたタルハがちらりとメルチアを見た。見られていることに気がついた彼女は慌てて「そういうお話をロニから聞いたことがあるのです」と付け加えた。
「ありがとうございます……夕刻には必ずお祝いを申し上げに参ります」
「恐縮でございます」
ナルハが「失礼します」と去るとタルハはそのあとに続いた。去り際に彼はメルチアを見た。
「メルチア姉様、ナルハは心の底から姉様を愛しているのです。そのことだけは」
「まあ、タルハ。心配しなくても大丈夫ですよ。私も二人を愛していますから」
メルチアは目を固く閉じて顔を背けた。タルハはぎゅっと口を結んで「では、また」と言って立ち去った。
「皇帝陛下、それでは私もこれで失礼いたします」
「ああ、また明日……本当ならお前も再会の宴に連れて行きたいところだが」
「……いえ。お心遣い痛み入ります。では、また明日」
「また明日」という言葉ほどメルチアをはじめとする護人を縛る言葉はない。彼女は精一杯微笑んで部屋を後にした。
再会の宴とは、その名の通り再会を喜び合うお祭りだ。ルーデン帝国は現在、10の部族が束になって構成されている。それはつまり、ルーデン帝国に10の部族から人質が差し出されているということだ。基本的に人質と対象部族が会うことは叶わないが、それを憐れんだ貴族の一人が皇帝の勅命で預かっている人質と部族を秘密裏に「宴」と称して年に一度だけ会わせた。それに感激した部族はその貴族に深く傾倒し、それを知った貴族たちが次々に部族同士を再会させた。
アルハ皇帝に宴の噂話が耳に入った時には既に4部族の宴が行われたあとだった。宰相は直ちに取り締まるべきだとしたが、アルハ皇帝は不満が溜まるのを良しとせず、情けとしてその宴の存在を認めた。そして、どうせならと全部族が再会できる宴にせよとのお達しが出て「再会の宴」と称して年に一度、帝都のルーデンスで行われる一大イベントになった。メルチアが8歳の頃のことである。
初回の宴は皇帝の許可を得てシャルハと共に街へ繰り出したが、その時に再開した両親の姿があまりにも変わり果てていたためトラウマとなった。少し窶れた見慣れぬ大人に「メルチアの両親だよ」と助けを求めるように言われたのだが、彼女の記憶の中の両親はもっと明るく溌剌としており、威厳に満ちていた。弱々しいその姿に目も当てられず、祭りも序盤だというのにすぐに宮殿へ逃げ帰った。それ以来再会の宴には参加していない。レンデル族は毎年欠かさず出席しているようで、メルチア以外の人質になった同族は喜んで毎年参加している。
その日の夕餉終わりにメルチアが部屋に帰ろうとすると、今朝彼女を待っていた同じ場所、同じ格好でシャルハが待ち伏せていた。
「シャルハ」
「……こういう時だけ素直に名前呼びするんだな」
メルチアは黙ってシャルハを見ていた。
「部屋、入ってもいいか?」
「こういう時だけ許可を取ろうとするのね」
「……敵わないな」
小さく笑った彼はメルチアが先に部屋に入るとそれに続いた。
「毎年メルに渡している手紙、あるだろ?」
「ええ」
適当な場所に二人は腰掛けながら話を続ける。部屋の出入口付近に控えていたロニにお茶を用意してほしいと合図を送った。ロニは正しく理解したようだ。満面の笑みでその場を去った。
「あれは実は、毎年、メルのご両親から届けられているわけではないんだ。お前がここに来たときに纏めて預かったんだよ」
「そう、だったの」
「あ!だからといって俺が代筆してたとか、勝手に書いてたとかそんなんじゃないからな!」
覇気のない返事にシャルハは慌てたが、メルチアはそれを見て微かに笑った。
「そんなこと、思ってないわ。それに、あの字はどう見てもシャルハの字じゃない」
「どういう意味だよ、それ」
不貞腐れながら眉を潜める彼にメルチアは言った。
「あなたの字はもっと力強くて、そう、届かないような、そんな高貴な字よ」
いつものように罵倒されるのだろうと身構えていたシャルハは予想とは全く違う回答に拍子抜けした。
「急になんだよ、誉めたりなんかして」
「……今朝のこと、気にしてそうだったから。別に手紙はいつでも貰えるわ。それに、シャルハが手紙のことを話さなかったことから察するに、陛下は手紙の存在をご存知ではないのだから、手紙を渡さなくてはとかなんとか言った暁には余計に話が拗れそうよ。シャルハがバカでなくてよかった」
「最後の言葉は別に要らなかったと思うが……まあ、でも大方メルの予想通りだ。恐らく、メルの誕生日に朝一ここを訪れることは難しい。皇族が外出するには色々手間があるからな」
「知ってる」
メルチアは格子も硝子もない窓の外を見る。新月なのだろう、辺りは暗い。
「そこで、だ。最後の1通をここに持ってきた」
「最後?」
「ああ、俺は12通の手紙をメルチアに渡すようにある男に頼まれた。きっと、成人までの手紙をお前のご両親が
「ある男って?」
「俺もよく覚えてないんだ。廊下で出くわした大男、という印象があるだけだ」
「そう……」
「とにかく、メルにこの手紙を今日渡しておく」
「でも」
「別に開くのを当日にすれば良いだけのことだろ?」
「それもそうね」
メルチアはシャルハから手紙を受け取り、寝具近くの机の引き出しにしまった。すると、ちょうどロニがお茶と少しのお茶菓子を持って部屋に現れた。ハシュマッキという綿菓子と紅茶が目の前に置かれた。
「この菓子は……」
「はい、殿下がお好きなのではないかと思いまして、勝手にご用意させていただきました」
ロニはにこにこと笑いながら、メルチアを見る。彼女は照れ隠しのためか、お茶を啜った。シャルハはそんな彼女を愛おしいものを見る目で見つめた。
「メルチア、再会の宴から俺が帰ってきたら話がある。ここで待っててくれ」
「……どうかしら」
「誰かと出掛けるのか!?」
シャルハは前のめりに顔を突きだし、メルチアに迫った。驚いたメルチアは尻餅をついたが我に返ったシャルハは一言謝ると元の位置に戻った。それに倣ってメルチアも座り直す。
「そういうわけではないわ。ただ、きっとあなたに陛下からお話がいくと思うのよ」
「その日のうちに?そう聞いたのか?」
「いえ……女の勘ってやつね」
「なんだよ、それ。とにかく、俺はここに来る。いいな?」
「はいはい」
シャルハはお茶を飲み干し、ハシュマッキを平らげるとズカズカいう表現が似合う態度で退出していった。ロニとメルチアは互いに目を見合わせて、弾かれたように大声をあげて笑ったのだった。
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