第10話 迫る危機

 馬車がゆっくりと停車した。先にタルハが降り、中にいるメルチアへと手を伸ばす。ほっそりとした白い手が遠慮がちに彼の手を握ると、ドレスの裾を持って馬車を降りた。深緑の森の中は至って静かで、耳を澄ませば小鳥の囀りまで聞こえる穏やかな朝だった。タルハとメルチアは黙って歩みを進め、噂に聞いた湖の畔までやって来た。2人はぐるっと湖を見渡し、すぐに墓が立っている場所を見つけた。2人は顔を見合わせて頷くと、墓まで徐に歩いた。墓の前に立ち、メルチアは刻まれている多くの名前の中に両親の名前を見つけた。彼女は暫く黙ってそれを見ていたが、風が木々を揺らす音を聞いたのを合図に声も出さずに涙を流した。タルハは黙って唇を噛み、その光景を見つめていた。

 しかし、すぐに何かの気配を感じ取り辺りに忙しなく目をやっていると、近くの茂みでゴソゴソと音がなった。彼は急いで腰に携えていた剣を抜くとそちらの方へ向いたが、その時には既に囲まれていた。アルザッハ辺境伯の家紋が描かれた旗を持っているのを2人は認めた。タルハは苦々しい顔をして、メルチアを守るように堂々と立ち向かおうとした。


「メルチア姉様は隙をみて逃げてください。僕が惹きつけますから」


 敵を見つめたまま、メルチアに小声でそう囁くと「そんなこと、できるわけがないでしょう」と彼の提案を一蹴した。そして、彼の制止を振り切って前に歩み出て何かを言おうと口を開けた途端、敵側の主将らしき人物が先に声を張り上げた。


「私はアルザッハ辺境伯直属の見廻隊第3部隊隊長のエルデンである。お前たちの正体を明らかにせよ」


 メルチアは隊長の威圧に屈せず、堂々とした態度で応えた。


「私はレンデル族族長の長女、メルチア・ドゥ・レンデルである」


 その宣言にタルハはギョッとした目でメルチアを見た。その反応を見て、見廻隊の者たちはそれが嘘でないことを悟った。


「ほう。して、その奥の者は?」


 エルデンが顎先でタルハを指しながら言う。一般人や下級軍人に皇族が姿を見せることは滅多にない。継承権が低ければ低いほどその傾向が強いため、エルデンはタルハが皇子であることを知らないようだった。タルハはすかさず自分の身分を明かそうと思ったが、メルチアがそれを腕で制した。


「この者は本国で遊学中のヤルカン王国の貴族です。私が護人として宮殿で生活しているため、そこで出会いました。そして、私の故郷を見てみたいというのでここに連れて来たのですが、まさか私の家族共々この世に既にいないとは予想していませんでした。いずれにせよ、早くこのお方を宮殿にお帰しせねば、ヤルカン王国との国交問題に発展します。私はともかく、この者を早く帝都へ」


 彼女のまっすぐな目に揺らぎがないことを確認して、エルデンは言った。


「そなたの言葉を信じ、ヤルカン王国の貴族は我々が責任を持って直ちに帝都へ送り届ける。しかし、メルチア・ドゥ・レンデルはこの場で拘束する」

「待て!!そのお方を拘束する権限などお前たちにはないはずだ!!」


 タルハが喰ってかかろうとしたが、メルチアは振り向いて首を横に振るだけだった。


「必ず、お迎えに上がりますから!!必ず!!」


 エルデンの部下たちに囲まれて連れて行かれる間、何度も彼女を振り返り、その言葉を繰り返した。メルチアはその度に曖昧に微笑み、困ったような顔をするのだった。


「さて、行くぞ」


 エルデンの言葉に彼女は頷くと、背中に拘束された両腕を感じながら一歩一歩歩みを進めた。



 暫く森の中を歩くと、岩でできた洞窟が現れた。中を覗くと、鉄格子が目に入った。見廻隊の部下が鉄格子を黙って開けると、メルチアは進んで独房の中に入っていった。暴れる様子がないのを見て、部下のうち2人を見張り役として置き、エルデンは「これから報告に行く」と残してその場を去った。


 日が暮れて、松明の火がメルチアの頬を赤く照らした。見張りの部下たちは時折メルチアの様子を伺っていたが、大人しくしているのを見て気が抜けたようにその場に座り込んだ。彼女はじっとその様子を見ていたが、すぐに天井からコツコツという音が聞こえてくることに気が付いた。規則性があるため、人工的な音だと思い天井に目をやった。すると、来た当初は気がつかなかったが、天井に少々の穴が空いており、星空が見えた。そして、その星空を若干覆い隠すように誰かの影があった。その影はメルチアが影に気が付いたことに気付き、紐を垂らして何かを彼女に届けた。それは、レンデル語で書かれた手紙だった。


『親愛なるメルチア姫


 遅くなってしまい申し訳ございません。

 ようやくお迎えに上がることができました。


 これから牢獄から出ることのできる鍵をお渡しします。


 それをお受け取りになられたら、

 出来るだけ静かに鍵を開けた後脱出してください。


 洞窟を出てすぐ左の茂みに部下を待たせてあります。


 ルスト』


 最後に書かれた名前を読んで彼女は薄っすらと涙を浮かべた。手紙を手に持ったまま天井に向かって大きく何度も頷くと、ルストは鍵に紐を括り付けて下ろした。メルチアはそれを素早く解くと、鍵を鍵穴に押し込んだ。カチッという音がして錠前が外れた。その音にドキッとして監視員を見遣ったが2人はいつの間にか眠っていたようだ。気づかずに心地よさそうな寝息を立てていた。メルチアはそっと扉を押し開けて牢獄から脱出すると、手紙の指示通り左の茂みに飛び込んだ。すると、そこには5人ほどの武装した男たちがおり、メルチアの姿を認めると顔を綻ばせた。


「お待ちしておりました!!メルチア様。こちらです」


 頭に大きな羽を付けた男が小声でそう言うと、くるりと方向を変えて走り出した。それに続いてもう1人も駆け出したため、メルチアはそれに倣った。彼女の後ろを護衛するように3人が続いた。少し走ると、5頭の馬が木に括り付けてあり、皆が華麗にそれらに飛び乗った。メルチアは引き上げられるようにして馬に乗ると、全速力で駆け出した。

 辺りはすっかり闇に包まれていた。



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