8.5 鎧騎士と異世界の僧侶

 ネルヴェア家は古くから続く、初代の巫女の時代から王家に仕えている由緒正しい家柄だ。その家の次男として生まれたのが私、ネルヴェア=リオネルである。

 ただし私には普通の貴族――いや、普通の人間にあるべき物が欠けていた。己の魔力を反映する、髪の色だ。それによって、私の人生はまさに他人に踏みにじられるようなものになった。


 まさに、思い出したくもない記憶。家族からは血族であることすら否定され、物事の分別がつく頃にはもう、貴族社会から無能の烙印を押されていた。周りからの視線に好意的なものなどなく、髪の色が薄いことで嘲笑され続け、いつしか鎧で自分の全てを覆い隠すようになり……それでも努力を積み重ね、無視できない程の実績を上げてみせた。それでも、周りからの目は冷たいままだった。


 この時代に聖女を呼ぶ事が決まったと聞いた時は、喜んだ。私はその時二十歳という若さで王国騎士の副団長の座についていたからだ。家柄と実力と年齢を考えれば、数年内に呼ばれる聖女の傍に仕えられる者に相応しい。近い年齢の者に私ほど優秀な成績を収めている人間などいない。通常ならば即選出されてもおかしくないのだ。……髪の色さえ、普通であれば。



(歴代の聖女さまが髪色にこだわったという記述は、どの文献にもない。私も、努力すれば、きっと)



 結果、聖女の傍に仕える六人。その最後の一人に私は選ばれた。聖女からの愛を獲得すれば、周りの目も変わるかもしれない。そして何よりも。



(聖女さまなら……私を、愛してくれるかもしれない)



 だがその希望は打ち砕かれる。聖女と共に現れた、異世界の人間。異世界の僧侶。それが大変重要な人物であることは充分理解できた。その人物に半端な人間を付けるわけにはいかないということも、理解できた。理解は出来たが、自分がその役目を与えられたことは納得できなかった。



(それなら、最後に選考で落とした人間でも……よかったではないか)



 異世界の賓客を危険な目に遭わせる訳にはいかない。だからこそ、武の力が最も秀でているリオネルが護衛し、その知をもって補佐するべきである。その様に言い渡されたが、理由は別のところにあると知っている。

 私の髪の色では聖女に相応しくない。聖女がもし私を選んで、子を成したなら。その子は王家に入ることになる。そのような栄誉を薄色の人間に与えてなるものか。万、いや億に一つの可能性ですら与えてなるものか。そういう意思が透けて見えていた。

 与えられた任は、護衛と補佐、それから監視。異世界人に接触しようとする不審な者が現れるか、僧侶本人が何らかの怪しい動きをした場合は報告をする。常に僧侶に張り付いていなければならない任務。城に戻ることは、おそらくできないだろう。



(結局、私は。どこにいても……この髪のせいで、存在を否定される。何をやっても、認められることはない)



 酷く落ち込んだまま、異世界からやってきたという僧侶に会った。この世界ではほぼ生まれることのない、黒に近い程濃い大地の色をした髪。誰もが羨望するであろう、垂れ下がり気味の柔らかな目。男の象徴である黒の衣服に身を包んでも凛々しさが感じられない程、優しげな顔付きの少年。

 それを見た瞬間、心の中に渦巻いたドロドロとした感情は、言葉にできないくらい醜いものだった。ああ、この少年のせいだ。この少年が聖女と共にこの世界に来たから、私は希望を奪われたのだ。



(それでも……役目を放棄することは、許されない)



 どうしようもないほどの嫉妬心をどうにか押し込め、少年に接する。彼は愛想がよく、よく笑い、世間から切り捨てられた人間を押し込める村で一生を暮らせ、と暗に伝えても文句ひとつ言わなかった。

 僧侶とは権力のある職業だ。豊富に魔力を持っていなければまず、魔法薬は作れない。そして器に己の魔力を移し留められるほど、魔力の扱いが器用でなければならない。選ばれた人間にしか出来ない、尊い職業である。しかしそんな僧侶でも低俗な人間であることが、ままある。

 けれど、この少年はそうではない。城での生活の様子も聞いているが、それによれば女に溺れることはなく、酒を望むこともなく、金に執着しているわけでもない。勤勉であり、初の調合でなんなく魔法薬を作ってみせるほど優秀であるという。

 どこかに汚点があれば容赦なく心の中で蔑むことができたかもしれない。けれどそのような点が見当たらないからこそ、少年を憎もうとする自分が醜く歪んで見えて仕方がなかった。


 己を自己嫌悪しながら僧侶の少年と過ごし、二日目の夜。彼は薬草畑で仕事をした後、余程疲れたのか部屋に引きこもり、出てこなくなった。不真面目な態度ともいえる行動だ。食事と風呂の用意はしたが、無駄になった。



(あの僧侶さまも、完璧ではない)



 そう思い、ほっとする自分が居た。そしてそんな自分を、更に嫌悪した。



(……風呂に使った魔力が無駄になるな)



 そのような理由をつけて風呂を使うことにした。全ての汚れを、嫌なことを全て洗い流したい気分だったのだ。

 鎧を脱いでいる間は忌々しい髪が目に入り、顔を歪めたくなる。何故、私の髪はこのような色をしているのか。何度自問したか分からないそれを思っていたからだろうか。早く部屋に戻ってまた鎧を纏おうと、廊下の気配に気づかないまま、髪を隠さないまま、扉を開けてしまった。そこに、あの少年が居た。驚いた顔で私を見上げて。



(……ああ、見られた。もう、おしまいだ。また、あの目を向けられる)



 そう思っていた。自嘲気味に口にしたのは「私の髪を、ごらんになりましたか」という言葉。見られたのは、分かっている。扉を閉めたところで何もなかったことにはならない。

 けれど、この少年なら見なかったことにしてくれるのではないかと、どこかで期待した。



「綺麗な髪でした」



 まさか、そのような答えが返ってくるとは思ってもみなかった。それも悪意が一切込められていない、皮肉ではない言葉で。ただ純粋に綺麗だと思っているのが、何故か伝わってきた。



(……異世界では……この髪でも、否定されないのか。ほんとうに?)



 彼ならば、私の存在を許してくれるのだろうか。否定、しないのだろうか。嘲り笑うことは、ないのだろうか。

 期待と、緊張と、少しの興奮で、心臓は巨大な魔獣を前にした時よりも煩く鼓動している。期待してもいいのだろうか。本当に裏切られないのか。



(……もう一度、この姿をさらす必要がある。確かめたい。この人が私を、どういう目で見るのか)



 食事を用意していることを伝え足音が台所へと向かって行くのを確認したら、彼のために改めて風呂の用意をする。一度丸洗いし、新しい水を注いで魔力を込め、湯を沸かした。そしてふと、浴室に設置された鏡に自分が映っているのが目に入る。色素の薄い髪をした、野蛮とされる目つきの男が映っている。しかし。



(苦しくは、ならないな)



 目にするたびに胸がしめつけられるようだった。忌まわしい髪は、出来るなら剃り落としてしまいたい程嫌いだった。けれど、それは許されない。髪を切るのは罪人の証。貴族である私がそれをすることは、家の名を傷つけてしまう。だからできるだけ見ないようにしていた。そうすることしかできなかった。



(綺麗、か。この髪が綺麗だとは……醜いとしか、思ったことはなかったのに)



 今はそんなに悪い気分ではない。綺麗な髪だと、たった一言告げられただけであるというのに。まるで魔法のように、特別な力がある言葉だった。



「ああ、そうか。あの僧侶さまは……」



 異世界から訪れる聖女は特別な魔法を使う。異世界から訪れた僧侶が特別な魔法を持っていたとしてもおかしくはない。ならば、あの言葉は魔法であったのだろう。純粋な好意だけに満たされた、優しい言葉は。

 彼が特殊な能力を備えていることは、報告するべき案件だと判断できる。しかし、それでも。



(報告など、してやるものか。このような僻地に追いやってそのまま死ねと命じておいて、力があるのが分かった瞬間に手の平を返し、あの僧侶さまの力を利用しようとする輩がいないとは限らない)



 ふと、驚くほどに自分が少年に好意的になっていることに気づく。言葉の魔法の力、だろうか。だが、そうだとしてもかまわない。



(初めて私を否定しなかった人だ。……私も彼を否定したくはない)



 彼が望む限り、私は彼の手助けをしよう。聖女の愛は望めなくても、僧侶からの友愛は望めるかもしれない。初めての友人なら、ここで出来るかもしれない。



(さて……彼の名前は……ジングウジ、マコト……だったか)



 マコトさま。そう、言い慣れない名前を舌の上で転がして、食事をしているだろう少年の元へ向かった。


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