第22話 新人僧侶と髪色のはなし


 本日は晴天。寒くも暑くもない気温であり、よい青空教室日和である。

 教会の前に並べられた二つの席には、少年少女がそれぞれ座っている。村長の孫娘ルルと、いつだったか姉を私に取られると思って直談判しにきたあの少年だ。彼の名前はタタンというらしい。

 二人の机の上には何でも書き込めるようにと渡した紙と筆、それから五十音表が広げられている。



「では、まずはひらがなの基本となる文字を五つ教えます」



 もちろん母音である「あ行」の文字だ。文字板に一画ずつ、書き順が分かるように書いていく。



「そうりょさま、どうしてこの文字がキホンなんですか?」


「それはですね、ある一文字以外は音を伸ばすと、あ、い、う、え、お、のどれかになるからですよ。だからこの文字を、母なる音、つまり母音といいます」



 ルルはニコニコと笑いながら、疑問に思ったことをなんでも質問してくる利発な子である。タタンはなんというか、チラチラ私を見るのだが目が合うとサッと下を見てしまうし、発言もしない。盛大に転ぶところを見られたことが恥ずかしいのだろうか。


 ひらがなの授業のやり方など分からない。本当は絵本を一緒に読むのがいいのだろうとも思う。私にそのような物を作る技術はないので、手探りで教えていくしかない。五十音表を読んでみたり、しりとりのような言葉遊びをしたり、興味のある単語の文字を書いてみせ、それを書かせるくらいである。

 授業時間も、二人の年齢を考えれば四半刻、三十分くらいが限界だろう。それくらいの時間というのはあっという間に過ぎてしまったので、最後に自分の名前を書いて覚えて帰ってもらうことにした。



「ルルさんは、自分の名前の文字が分かりますか?」


「分かります!おじいちゃんに教えてもらったので!」


「そうですか、なら、最初に渡した表をお手本にしながら書いてみてください。タタンさんはどうです?」


「……オレは、知らない、ですけど」


「では、一緒に書いてみますか」



 五十音表でまず、彼の名前の文字を指してこれを書くのだと伝えた後は、後ろから一緒に筆を持って実際に書いてみる。直ぐそこに見える小さな耳が真っ赤だったので、とても恥ずかしかったのかもしれない。



「これがタタンさんのお名前ですよ。ルルさんは書けましたか?」


「はい!」


「ああ、とても上手ですね」



 一枚の紙に大きく「るる」と書かれたものを、無邪気な笑顔で掲げて見せてくれる。それなりに形が整っているので、初めて書いたわけでもないのだろう。ルルは特に私が教えなくても、自発的に学んで覚えてしまう気がする。

 タタンの方はなんというか、初対面時の威勢のよさは何処に行ったのかというくらいにおとなしいので良く分からない。自分の名前が書かれた紙をじっと見つめて無言のままである。そして耳も赤いままである。



「では、今日はこれまでにしましょう。次はまた三日後に、晴れたらやりましょう」


「もうおしまい?もう少しやりたかったなぁ」


「その気持ちは、おうちでの復習に使ってください。表は持って帰っていいですから」


「ありがとうございます、そうりょさま!」



 ルルははしゃぎながら表と、自分が書いた文字を持って帰っていった。きっと父親や祖父に見せて褒めてもらうのだろう。ほほえましい限りだ。

 さて、いまだ椅子から立ち上がらないタタン少年であるが、まだどこか赤い顔でじっと私を睨むように見ている。



「どうしました?」


「……そうりょさまって、ホントに男か?」



 私は笑顔のままで固まった。子供たちを萎縮させないよう少し離れた場所に待機してもらっている護衛には聞こえていないだろうけれど、つい横目で距離を測ってしまうくらいには動揺した。



「なんでそんなことを……」


「……変なこと言ってごめん、なんでもない。かえります!」



 タタンもまた、ルルと同じ様に表と文字が書かれた紙をもって走り去った。……子供にはやはり、違いのような物が感覚で分かるのだろうか。怖いことである。

 私がいくらこの世界での男の格好をしていたとしても、やはり女であることには変わりない。先日リオネルにも手が小さい、と言われたように、男女の体の違いというものがある。大きさはまあ、少年だと思われていればまだ誤魔化しようがあるだろうけれど。そもそも男女の違いは形だけではないのだから、私を男だと思えない人間がいてもおかしくはないのだ。



「お疲れ様です。喉が渇かれませんか?冷えた水でしたらご用意しておりますが」


「あ、ありがとうございます。いただきます」



 いつのまにか足音も立てずに近くに来ていたリオネルから、すっと水の入ったコップを差し出されて受け取った。この人はこれだけ重たそうな鎧を着ていて何故足音がしないのか、とても不思議である。やはり、これも何かの魔法なのだろうか。

 よく冷やされた水を口に運べば、喋り通しで気づかぬうちに喉が渇いていたのだと良く分かる。コップ一杯の水など直ぐに飲み干してしまった。



「どうぞ」


「あ、はい。どうもありがとうございます」



 横から水差しが出てきて、またコップに水が注がれた。なんというか、補佐というか執事や使用人レベルの仕事をしているのではないだろうか、彼は。



「リオネルさんはその鎧で日に当たってたら、暑くありませんか?直ぐ片付けて室内に戻りましょうか」



 彼の鎧は全身真っ黒だ。元の世界の法則でいえば、黒は熱を吸収する色であるのでそれを着て日光に当たれば大変な温度になるのではないだろうか。この世界でも日の光は温かいものだ。私は常に黒い衣なので、色による温度の違いが分からない。

 僧侶が普段着るこの衣は真っ黒であるため、夏は非常に暑い。そして冬は袖の中がスカスカしているため、非常に寒い。今のところこの世界の気温は春そのものであり、衣でも過ごしやすい。



「この鎧は魔法製ですので、温度の問題はございません」


「……音も全然しませんけど、それも魔法ですか」


「ええ、消音の魔法が使えるようになっています」



 つまりこの鎧は着ているだけで、様々な魔法を使える便利な代物であるが、しかしそれは同時にその魔法を使うだけの魔力を消費し続けるということでもある。何故平気な顔をして過ごせるのか不思議だ。……いや、顔は見えないが。

 魔力を使うのは、疲れる。体を動かしたり、頭を使ったりして疲れる感覚によく似た疲れ方をするのだ。それに付随してやたらとおなかが空いたり、眠くなったりするのだが……この友人はいつ休んでいるのか正直よく分からなくて心配だ。

 この鎧だって、私に会う前からずっとつけてきたのだろうし、慣れているのかもしれないけれど。人間に休息は必要だと思う。自分に無理をさせ続けると、若くても突然命を落とす。働きすぎの人間を見るといつもご自愛くださいと思うが、この世界でそれを誰より強く思うのはリオネルである。

 水を飲んだら直ぐに道具を片付けて、働きすぎる友人のためにも休憩に入ることにした。まあその休憩のお茶は、リオネルが淹れてしまったのだけれど。……納得できない。



「リオネルさんはそれだけ魔力を使ってて、疲れないんですか?」


「はい。……魔力は多いほうなのですよ、これでも」



 今は晒されている白金の髪に触れながら彼はそう言った。やはり綺麗だと私は思うのだが、この世界の人にとってはそうではない。

 台所で何かを口にするときは、リオネルも兜を外す。というか、彼が安心してそうできるように扉には内鍵をかけてある。夜ならともかく、昼は急な来客がないとは限らないからだ。……玄関にも鍵はかけてあるので、そこまで心配しなくてもいいのかもしれないが。念のためというやつである。



「こっちでも髪を染められればよかったんでしょうけど……」


「……髪を染める、とは……どういうことですか?」


「向こうの世界では、髪を好きな色に変えられるんですよ。私も染めてます」



 私は元々、もっと黒い髪をしていた。日本でも珍しいくらいに真っ黒である。地毛の方が染めているのかと尋ねられるくらいの色で、私はそれが好きではなかった。

 だから大学に入る前に染めて、今のこげ茶の髪となったのだ。もっと明るい色にしてみたかったが、僧侶になることを考えてそれはやめておいた。

 こちらでは地毛より明るい色にするなどありえないことかもしれないが、向こうではそれが普通なのだ。まあ、たまに真っ黒に染める人もいるけれど。



「マコトさまの髪も元は黒であった、と」


「ええ、まあ。体の時が止まって髪も伸びないので、色は変わらないですけど。伸びたら根元から黒くなっていくと思います」



 いわゆるプリン頭になってしまう。こちらに染める技術がないのなら、体の時が動き始めたときそうなる未来が確実なのが少しばかり悩みだろうか。まあそこまで明るい色に染めている訳でもないので、派手なプリンにはならないのが唯一の救いである。



「マコトさま、それは他言なされないほうがよろしいかと。この国にとって黒髪とは特別なものですので」


「あ、そうですよね」



 この国で黒髪といえば、聖女である。私のこげ茶の髪色も珍しいが、まったく居ない訳ではない。しかし黒髪は聖女、ひいては日本人が持つ色だ。異世界から来た証拠のようなものであり、この国では聖女だけが持つ特別な色。元々そんな髪をしているなんてことを言ったら、とんでもない妄言扱いされるか、あるいは聖女を侮辱しているととられるか。いいことは一つもないだろう。



「けれど……黒髪の貴方さまも、見てみたいですね。きっととても、お似合いでしょう」



 眩しいものでも見るように。目を細めながら言われた台詞は、到底同性にむかって放つ言葉ではないように思われた。

 背筋がヒヤリとする。もしかして、どこかで気づいてしまったのではないかと。でもそれを確信できるほどの言葉でもなくて、私は返す言葉を見失ってしまった。



「僧侶さま!!おられますか!!僧侶さま!!!」



 だから、変な間が出来る前に飛び込んできた声は私を救ったともいえる。リオネルが素早く兜をかぶって髪を隠してしまったのを確認してから、鍵を開け台所を出る。ドンドン、と玄関の扉を叩く音と私を呼ぶ声は続いていて、駆け足で向かいなら「今開けます!」と返事をした。

 しかしドアを開けようとした私の手はリオネルに押さえられてしまう。どうして、と見上げた鎧は緊張感を漂わせながら片手で私を後ろに下がらせた。



「……私が開きますので、私の後ろに」



 リオネルが少し壁際に寄ったので、私は壁と彼の体に挟まれる形になる。そうしてゆっくりと鍵を開けて扉を開いたら、三人の村人が雪崩のように流れ込んできた。なるほど、私があのままドアを開けて居たらこれに巻き込まれていたに違いない。



「僧侶さま!大変です、魔物です!また魔物がでました……!」



 雪崩れこんできた村人は、ガバリと体を起こすなり、叫ぶようにそう言った。

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