第16話 新人僧侶と鎧騎士、友達になる
五十音表、といっても殆ど使われなくなってしまった言葉「ゑ」「ゐ」を含む四文字がないため、実際には46音しかない表を書いてリオネルに見せると、大変喜ばれた。これは分かりやすい、と絶賛されたが考えたのは私ではない。これを考えた昔の日本の誰かにその称賛は向けてくれと説明しておく。
実際、この表が出来たのは随分と昔の事だ。だが、なかなか定着しなかったため、民間でこれが使われるようになったのは割と近代のことである、と聞いた。
「私はこっちで習い育ったので、実はいろは歌を知らないんですよ」
「あちらの世界にも新しいことが溢れているのですね。そういうお話を聞くと胸が躍ります」
鎧を着ていても喜んでいるのが伝わってくる。この国にとって聖女というのは特別な存在だ。そんな聖女が住んでいた世界の話は、おとぎ話のようなものだろう。私からすればこちらの世界がおとぎ話のようなものだったのだが、今はこの世界が現実になってしまった。
「
「……貴方さまから語られる言葉を、私は聞きたいのですよ。そういう言い方をなさらないでください」
この国にとって聖女とは特別な存在であるはずだ。何よりも、恐らく国王よりも尊いものとして扱われているはずだ。リオネルにとっても最初はそうであっただろう。
ただ、いつの間にか。この人にとっては聖女よりも、私が優先するべきものになっている気がする。
(リオネルさんは、私の目に安心するって言ってたけど、それだけでこんな風になるかな)
彼は私を少年だと思っているのだから、弟の様な存在にでも思われているのだろうか。……いや、それにしては扱いが丁寧過ぎる。これは家族に対する扱いではない。だが崇拝されているという訳でもなく、ただ仕事の関係だというには距離が近すぎると感じる。
「リオネルさんは、どうして私にそこまで親切なんでしょうか。いつもとてもありがたいんですけど……ありがたく思う分、私は貴方にどうやってその恩を返していいのか、分からなくなってしまうんです。私はどうしたらいいんでしょうか?」
私のことをどう思っていて、私にどうしてほしいのか。私をひたすら支えてくれる彼は、私になにかを返して欲しくてそうしているのではないか。
好意とは見返りを望むものばかりではない。お礼を求めて誰かに何かをしてやりたいと思うわけではない。しかし、それでも全く何も返ってこないと空しくなってしまうのが人の心というものだろう。
私だって何かを返したいと思っているが、仕事を手伝おうとすれば全力で逃げられてしまうし、他にできることは思いつかない。もういっそのこと訊いてしまった方がよさそうだと思った、のだが。
(……とても言いにくそうなオーラがでてるなぁ……)
ピタリ、と動きを止めた鎧の中で必死に返答を探している様子を見れば、何かとても言い難い、躊躇われる理由があるのだろうと察せられる。そんなに話しにくい内容であるなら気にはなるが追求はしない、言わなくていいと口を開きかけたところでぼそり、と何を言ったか分からないほど小さな声が聞こえてきた。
小さな声は鎧に篭ってしまって本当にまったく聞き取れず、首を傾げる。すると観念したように彼は溜息をついて、久々に聞くあの力ない声で呟いた。
「私は、ただ…………マコトさまの……友人に、していただけたらと」
「ゆーじん……友人?友達、ですか」
こくりと頷く鎧の反応が予想外で、暫し呆けてしまう。しかし、少し落ち着いて考えてみると分かることだ。
リオネルは差別を受けていた。鎧で全身を覆い隠して心を閉ざす程の差別だ。貴族である彼の周りには貴族しかおらず、その価値観に基づけば彼には恋人はおろか友人すら居たことがない、という可能性がある。
初めて自分を差別しない
思い返すと、ちょっと距離感がおかしい部分もあった。態度の急変とか、手を握ってくれたりとか、まあそういう部分である。私はそれに助けられたけれど、急に近くなりすぎて多少困惑気味でもあった。
(仲良くなりたくてとにかく親切にしてくれてた訳か。方法、大分間違ってるけど)
間違っているが、微笑ましい気持ちになってつい声をあげながら笑ってしまった。
「リオネルさん、友達になりましょう。今からです、はいスタート」
「すたあ……え、今からですか?」
「ええ、今からです。ああ、じゃあ友達になった証に握手でもしますか?」
友達とは本来、こう明言してなるものではないだろう。しかしリオネルの場合、そうしなければきっと友達になったのが分からないと思ったからあえてそうした。それに私は嘘が言えないと、彼は知っている。この方がきっと安心できるはずだ。
私が差し出した手を、彼が恐る恐る握るのがおかしくてまた笑った。私が震えているときは遠慮なく握ったのに、こういう時は慎重なのかと。何時も私を支えようとしてくれる時は落ち着いているのに、今はとても頼り気がない。
(でも、当然なのかもな。この人にとって、友達は未知の関係なんだ)
この年になるまで友達の一人もいなかったのだ。簡単に友人関係になれるものではない、と思っていただろう。本当にこれで友達になっていいのかとすら思っているのかもしれない。仕事関連では強情であるくせに、私的なことだと臆病になってしまうところがある人だ。まあ、彼の過去を考えれば変だとも思わないし、そういう性格も嫌いでもないが。
「……マコトさま。友達、とはどうすればよいのでしょうか」
至極真面目に質問されると、また笑いそうになる。声は堪えたものの、顔は大分緩んでいることだろう。口角が上がりっ放しになってしまっているのが自分で分かる。
「何かをしなきゃいけない、なんてことはないですよ。でもまあ、とりあえず一緒に遊ぶのが友達でしょうか」
「遊戯、ですか。……実は、そのようなものはしたことがなく……」
「私が教えましょう。と言っても、私が知ってるのは向こうの遊びですけどね」
トランプなどのカードゲームが欲しいところだが、道具がなくてもできる遊びはいくらでもある。何の遊びもしたことがないならば、ジャンケンですら新鮮に思えるかもしれない。子供の頃、道具がなくても友達と遊んだ記憶を思い出しながら、何から教えるべきかと考えるのは結構楽しい。
「あちらの遊戯ですか。それは……楽しみですね」
見えないはずの顔が、嬉しそうに微笑んでいるのが分かる。少々強引だったが、喜んでもらえたようで何よりだ。
「リオネルさんは今日から私の補佐兼護衛兼友達ですが……普通、友達を“さま付け”はしないと思うんですけど、どうします?」
鎧が悩むように首を傾け、暫くの沈黙の後に小さな声で「マコトさん」と口にした。……何故だか分からないが急にとても気恥ずかしくなってしまった。
「……マコトさま。私には少し、難しいようです」
「……そうですね。無理に変える必要もありませんし、お互いが友達だと思っていれば良いでしょう」
仲良しの証としてあだ名や呼び捨てで呼び合ったり、気安い口調で話したりするのは私たちにはまだ難しいことであるようだ。
別に敬語で話しているから友達ではない、なんてルールも存在しない。お互いに丁寧に話していても友人関係でいる人たちは当然いるのだから、慣れないうちに無理に変えようとする必要もないだろう。
「じゃあまずはジャンケンですかね。これで勝敗を決め、勝ったら今日は私、自分でお風呂沸かしますから」
「そんな、急に」
さくっとルールを説明し、混乱するリオネルからジャンケンで勝ちを奪い取り、今日は自分でお風呂を沸かす。……はずだったのだが。
場に出されている私の手はパーであり、リオネルの手はチョキである。そしてこれは三回目の勝負であり、三連続で同じ勝敗であった。
「ええ……なんで……」
「私の勝ちでよろしいですか?」
まったくの予想外、想定外。そもそも一度目の勝負で勝てるはずであったが負けてしまったので、三回勝負と言い張ってやった結果がこれである。まったく持って納得ができない。
「……五回勝負にしません?」
「結果は同じですよ。手の形が見えますので」
「え、見えるんですか?」
どうやら並外れた動体視力で私が手の形を作った瞬間を判断し、それに勝つ手を出しているらしい。ジャンケン素人のはずではなかったのか。これだから有能な人は困る。何か対策を考えなければ私は彼にジャンケンで一生勝つことができない。
「ズルくないですか、リオネルさん」
「狡くはないかと。では、入浴の準備を致しますので一度自室に戻られてください」
勝った方が風呂を沸かすというのは私が決めたルールなので、自分でそれを覆す訳にはいかない。笑いを零しながら私を送り出そうとするリオネルに従い、悔しさを抱えつつも大人しく自室に戻ることにした。
しかし今のやり取りは友達っぽかったな、と思うと悔しさは消えてどこからか笑いがこみ上げてくる。
私も、友達が欲しかったのかもしれない。リオネルは仕事の関係で私の傍にいてくれる、信頼できる補佐ではあったしそれなりに親しくもなっていたが、友と呼べる間柄ではなかった。
性別を偽っている後ろめたさもあり、そんな状態で自分から友達になろうなんていうのは図々しいのではないか。とそう思えば行動する気も起きなかったのだが……リオネルが望んでくれているならと、一歩踏み出すことができたのだ。
秘密はあるが、友達にまったく秘密のない人間なんてそういないだろう。
(まあおかげでますます……女だっていえない理由が増えたわけだけど……)
それは自業自得というものだ。ちなみに、この言葉は仏教用語である。世間一般では悪事を働いたのでその罰が返ってきた、という意味で広まっている。しかしその逆もまた自業自得と言っていい。業とはなにも、悪いことだけを指す言葉ではない。本来は行動を示すことであり、良い行いも悪い行いも業と呼ぶ。良いことをして良いことが己に返ってくるのもまた自業自得なのだ。情けはひとのためならず、と言うことわざと同じである。
(……友達ができて嬉しいこっちも、自業自得っていえるかな……リオネルさんに冷たくしなくてよかった)
初めは嫌われていたのだ。彼のつれない態度に応じて私もそっけなく対応していたら、今のような結果にはならなかったかもしれない。握手を交わした手をぼんやりと眺めてそんなことを考えていたら、お盆前に綺麗に整えた爪が目に入った。こちらに来てそろそろ一か月程経つが、全く伸びていない。
(体の時が止まる、って言ってたっけ……)
爪が伸びないのだから、髪も伸びないのだろう。食事はとっているが、食事をしなくとも痩せも太りもしないのかもしれない。もしかすると十年、二十年と時が過ぎて成長する者、老いる者が居る中で私だけがこのまま、なのだろうか。
想像してみると、あまりにも悲しく、辛かった。私の知っている誰もが居なくなってしまった世界に一人で残されたくは、ない。
(……いやまてよ、でも聖女は子供を産むって聞いたから……何か、条件がある?)
子供を産むなら体の時を動かさなければ不可能のはずだ。これはリオネルに尋ねてみるしかないだろう。食事の時にでも訊いてみるべきか。そう思ってすぐ、あることを思い付いた。
つい考えに耽ってしまったけれど部屋に戻ってから二十分程しか経っていない。風呂の準備は勝ち取られたが、まだ晩御飯の支度は残っているはずだ。リオネルに任せきりだと私はいつまでもこの世界の料理ができない。手伝わせてもらいたい。
たすき掛けをして気合十分に部屋を出て、意気揚々と台所の扉を開けたらすぐそこに鎧を脱いだリオネルが居た。ちょうど出ようとするところだったらしく扉に手をかけようとする恰好である。
「マコトさま、どうなさいましたか?」
「料理を手伝おうと、思って……来たんですけど……」
しかし彼の背後に、もう既に料理が出来上がっているように見えるのは気のせいだろうか。いくら魔法の道具で料理の時間が短縮できるといっても、風呂の支度をして料理までしてしまうには、時間が足りないと思うのだが。
「先ほど全て終えましたので、お食事はいつでもどうぞ。入浴の準備は今から致しますので」
「…………してやられた感がすごいんですけど」
「さて、何の事でしょうか」
楽しそうに笑いながら言われた。もう友達なのだから、そこまで親切にしようとしてくれなくていいと思うのだが。それを伝えてみても彼は柔らかく目を細めて笑い、こう言った。
「友人であっても、支えたいと思う気持ちに変わりはありません。貴方さまに何不自由なく生活していただくのが私の仕事であり、私のやりたいことなのです」
……友人に偽りない笑顔でそこまで言われてしまうと、拒否できない。喜んでやっているということを奪おうとは思えない。結局、私が彼にしてやれることなんて、二人で出来る遊びを教えるくらいではないか。
「……そういうの、ズルイと思います」
「……?狡くはないかと。しかし、貴方さまにも子供のようなところがあるのですね」
ズルイ、という言葉の意味は伝わっていないが子供のようだと思われたらしい。いけない、大人としての対応がはがれそうになっていた。これ以上反論しては大人げない。と黙り込んだらそれはそれで子供っぽい反応になってしまったのか、リオネルは楽しそうに笑っていた。
……他人だと思うと気を付けて過ごせるのだが、友人だと思うと気が抜けてしまうようだ。気を抜きすぎて性別がばれないように一層気持ちを引き締めなければ、いけない。
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