第17話 新人僧侶と聖女のはなし
異世界からやってきた聖女は体の時が止まる。普段は魔力の干渉を受けない限り、肉体の時は全く動かない。しかし、あることを行えば再び時が動き出すという。
「結婚すれば、ですか……婚姻の儀の何かが原因で、また動くようになるってことですか?」
この世界の結婚式というのは、日本の三三九度の儀に似ている。同じ杯の酒を交互に飲み、契りを交わすもの。それだけで完全に年を取らなくなった体が動き始めるというのはにわかに信じがたい。
「婚姻の儀で、という訳ではないのですが……とにかく夫婦となれば、聖女さまの時は再び動くのです」
「夫婦となれば、ですか……」
「………………あまり子供に聞かせる話ではないので、これ以上はご容赦を」
「……あ。……はい、もう聞きません」
子供に聞かせる訳ではない夫婦の話。大人がそこまで聞いて理解できないなどということはない。つまり
人は人であるかぎり、煩悩から逃れることはできない。除夜の鐘で百八の煩悩を払う、なんて話はあるが人間の煩悩は多い人間で八万四千あると言われている。百八という数字は人間が最低限持っている数であり、その中には睡眠欲や食欲などの生命維持に必要な生理的欲求も含まれる。人が人であるかぎり、煩悩がなくなることはないのだ。本当に驚くほど、煩悩というのは数が多いのである。
しかし、世間一般で煩悩といえば大体一つのことが思い浮かばれやすい。三大欲求の睡眠欲と食欲を除いた、最後のあれである。
リオネルはとても言いづらそうにしており、私も深くは考えたくない。……夫婦になれば時が動くというのは、そういうことである。
「聖女さまは方法がハッキリと分かっておりますが……僧侶さまの方は、前例がなく……」
「大丈夫です。気にしないでください」
男の解決策は分からない、ということらしい。実際の私は女であり、解決方法は分かっているので気にしない。私がいつかこの国の誰かと共に老いて死ぬことは叶うのなら、いい。ずっと一人で取り残されることはないなら安心だ。
とりあえずは、リオネルが私を娶らなくてよくなるまでこのままである、ということで。……それはそれで、問題があると思うのだが。
「私がこのまま年を取らないと、変ではありませんか?村人たちにはなんと説明したら……」
「長寿の神の加護を得て、不老となった……ということにするのがよろしいでしょうね」
「……それってあり得るんですか?」
「昔話には存在します」
それはつまり存在しないも同然ではないだろうか。桃太郎や一寸法師みたいなものである。モデルになった人間は居るかもしれないが、脚色され、誇張され、もう別物になった存在をあり得るとは言えないだろう。
「貴方さまが早くご結婚なされたら、もしかするとどうにかなるかもしれません。この村の娘のほとんどは貴方さまとの婚姻を望んでいると思いますが」
「そういう話は勘弁してください」
女性を嫁に迎えることは不可能だし、そういう話を振られるのも中々に心苦しい。しかし私が男として振舞う限り、女性にモテるのも事実である。
それはある日の真昼間のこと。軟膏タイプの傷薬を上手く作ることに成功した私は、ご機嫌で薬草畑の様子を見るべく教会の外に出た。すると待ち構えていたかのように、教会の大扉の前に仁王立ちしていた少年が、私を見るなりバシッと指を突き出して、大きく口を開いたのだ。
「オレは認めないからな!姉ちゃんと結婚するのがこんななよなよした男だなんて!!」
まったく身に覚えのない話に首を傾げる。私は女性と結婚するつもりはないため、女性と話す時はあくまでも仕事である、という態度で会話し、仲良くならないように気をつけていた。おかげで誰からも嫌われていないが、誰とも親しくなっていないという状態であるはずだ。
しかし私のピンと来ていない態度が気に食わなかったらしい小さな来訪者は、軽く地団太を踏んで「すっとぼけた顔するな!」とさらにお怒りになってしまった。
「みんな言ってるぞ!そうりょさまと結婚したいって!結婚はひとりとしかできないのにいけないんだぞ!」
「いや、私は別に女性を皆口説いているわけでは……」
「うそだ!そうりょさまは皆にやさしくしてカンチガイさせるんだろ!!」
この少年こそ何か大きな勘違いをしているらしい。誤解を解かなければ、と口を開こうとしたら青い顔をした女性が向こうから全力で走ってきて、少年の頭を引っぱたいた。……スパァン、とでも表現すべきいい音がした。
「弟がとんだ失礼をしました、僧侶さま。お気になさらないでください」
「なんだよ姉ちゃん、オレは姉ちゃんのために」
「バカ!ああいうのは本気じゃないんだよ!」
目の前で起こる姉弟のじゃれあいのような口喧嘩を、しばらく穏やかな顔で眺めていた。どうやら若い女性たちの井戸端会議では恋愛系の話が多く、その中では結構私の存在があげられるらしい。カッコイイ学校の先輩にきゃあきゃあするようなアレである。全員が本気で好きなわけではなく、ちょっとした地域のアイドルのような扱いを私は受けているようだ。
そんな女性たちの会話を小耳に挟んだ少年はたくましい想像力で話を飛躍させて私の元に直談判にきた、というところか。
「本当に失礼しました、僧侶さま……お許しください」
「……しつれいしました」
頭を下げる女性と、ムスッとした顔を頭を押さえつけるようにして無理やり下げさせられる少年。まあこれくらいなら微笑ましいものだ。姉をよく慕っている弟なのだろう。仲がいいのは良いことである。
「気にしておりませんので。仲が良くて羨ましいくらいです」
「まあ、僧侶さま……お優しいのですね」
恥らうように笑っているが先ほど少年の頭を引っぱたく姿を見ていたので、あまり意味はない。女性は怖いですね、ととても小さな声で後ろの騎士が呟いたが聞こえないフリをしてニコニコ笑いながら二人を見送った。
しかし少年は私から見えなくなる前に振り向き、そして走りだし、姉の制止も聞かずこちらにまっすぐ向かってくる。おそらく私にまだ何か言いたいことがあったのだろうが、私の前にたどり着く前に躓いて盛大に転んでしまった。しかも勢いがあったせいで軽く滑ったので、おそらく擦り傷まみれになっていることだろう。
しばし静かな時が流れた。だが、転んだ子供を放っておくわけにもいかない。今日作った傷薬をちょうど持っているので、怪我をしていても直ぐに治してやれる。小走りで駆け寄って少年の傍にしゃがみこんだ。
「い、痛くない。こんなの、ぜんぜん、痛くなっ……い……」
ゆっくり起き上がった少年は額も手のひらも膝も擦り傷が出来て大変痛々しい姿であるが、目に涙を溜めながら我慢している様子はやはり男の子だなぁ、という気がする。やせ我慢などしなくて良いと思うのだが、必死で堪えているようなので野暮なことは言うまい。
「痛くなくても、傷をそのままにしておくのはよくありませんよ。じっとしていてくださいね」
「もう大丈夫ですよ。綺麗に治りました」
にこりと笑いかければ途中から呆けていた少年が我に返った様子で息を飲み、じわじわと赤くなりながら逃げるように走って場を去ろうとして、また姉から叩かれていた。
「このバカ!お礼をちゃんと言いなさい!」
「うっ……あ、ありがとうございました……ッ」
一度頭を下げると、今度こそ少年は走って居なくなった。女性の方は穏やかに微笑みながら頭を下げて帰っていったが、彼女の性格が大人しくないことは既に知れている。猫をかぶるのがここまで下手な人もいるのだな、とむしろ感心しながら見送った。
「……マコトさまは少年がお好きなのですか?」
「いや、そういう趣味はないです」
「……では、貴方さまは無自覚に
何を言われているのかよくわからなくて振り返る。顔の見えない鎧からはどこか困ったような、そして少しだけ私を責めるような雰囲気を感じる。
「誰にでも優しく、誰にでも丁寧に接することができる人などそういません。……普通は親しい相手や親しくなりたい相手にだけ、そうするものではないのですか」
「私は誰でも丁寧に接するべきだと考えてますが……もしかしてこっちではおかしいことですか?」
「そういう訳ではありませんが……これでは皆、貴方さまと親しくなりたいと思ってしまう」
「……ん?」
拗ねているとも取れるリオネルの言葉が引っ掛かって、少し考える。
私が誰にでも、それこそ子供にも敬語を使うのは、初対面の相手は誰であれ丁寧に接するべきだと思っているからだ。あとは敬語のままであれば、男女の口調の違いはほとんど出ないため安心して話せるという面もある。
しかし普通なら先程の女性のように、親しい間柄の相手には砕けた話し方をするものであったり、もしくはより一層丁寧に扱ったりするのかもしれない。リオネルの場合は他の誰よりも私に丁寧に接してくれているのがよくわかる。
彼は仕事が出来て、知識があり、武勇にも優れている。しかし、人間関係だけは超のつくド素人と言っていい。友人以上の親しい関係など今まで居なかった彼からすれば誰にでも丁寧な、自分に悪態をつく相手にも敬語を使う私の態度を見ていると本当に自分と仲がいいのか、分からなくなってしまうのかもしれない。
そして私が誰とでも仲良くなろうとしていて、自分を置いていってしまうように思えたのかもしれない。……誰にでも分け隔てなく優しい人気者しか友達がいない人間は、自分以外と人気者が仲良くしているのを見ているだけで苦しくなってしまう。そんな話は聞いたことがあるが、似たようなものだろうか。
(私にとっての友達はリオネルさんだけなんだけど)
村人たちとはあくまでも仕事の関係として接しているし、仲良くなれれば確かに嬉しいが私と友人になろうとしている人間は居ないと思う。異世界人であることを知っている人もいないし、魔法になってしまうことを考えれば迂闊に話すこともできないのだから。
しかしそれでも、私しか友人が出来たことのないリオネルはどこか不安になるのかもしれない。私が明確に態度を分けて見せたら、安心するのだろうか。
「じゃあ、リオネルさんだけこういう風に話したらいいのかな?」
笑いながら見上げてそう告げれば、鎧がピシリと固まったように見えた。それが可笑しくて笑い声を漏らしながら「すみません、からかいました」と続ける。
「でも、私は村の人たちにはこんなこと言いませんよ、友達じゃないですから。それに、私は結構リオネルさんには砕けた言葉を使っているつもりです。私の友達は貴方だけですし」
敬語の中にも色々ある。私がリオネルに使っている言葉は丁寧な敬語というよりも、ですます調というべき気安い口調だ。
言葉でわかりにくいなら、態度で親しみを感じていることを示してみようと思ったのだ。彼の困ったような、けれど嫌がっているわけではないような様子を見ていればその目論見は成功であった、と言えるであろう。
「…………貴方さまが私にズルイ、と言った意味が分かったような気がいたします」
「私の気持ち、やっと分かって貰えましたか」
「何か文句の一つでも言いたいような、けれど喜んでしまう自分が居るので何も言えないような気持ちです」
ハッキリ言葉にされるとむず痒く、なんだか私も恥ずかしくなってきたので彼に背を向けてから「そんな感じです」と肯定し、改めて薬草畑に向かった。
……私だけが少し悔しい思いをさせられ続けるばかりでは不公平だ。たまにはリオネルもそのような気持ちを抱けばいいのだ。
まあ、リオネルとのこういうやりとりも楽しんでいるのだけど。本当に、私の補佐に来てくれたのが彼で良かったと思う。性格が合わなければそう親しくはなれないだろうから。
(
私がこの異世界で今、楽しいと思いながら過ごせているのはきっとリオネルのおかげだ。彼との出会いには感謝している。貴方が居てくれて本当によかったと、この感謝を伝えられる日がいつかくるだろうか。
(……騙している罪悪感があるから、難しいな)
しかし、それは私が抱えておかなければならないものだ。私が女であると知られたらリオネルは大変な思いをするだろう。娶らなければ云々以外にもきっと迷惑をかけてしまう。この国では男しか僧侶となれないらしいから、女であることを国のお偉いさんに伝えなければならないだろうし、お偉いさんはお偉いさんでまた大変なはずだ。
あちらは私が男の僧侶だと思っていたから、援助してくれている。もし女だと分かったら、ニセ聖女と罵られる可能性だって……。
(……私を男だと思ったから、あの子を聖女だと思った…………なんて、可能性は……)
宴のときに頭を過ぎりかけた疑問。聖女と同じ現象は、私にも起こっている。あちらも同じ状態であるなら、本当はどちらが聖女であるかなど分からないのではないだろうか。
(……これ以上考えるのはやめよう。なんか、怖い気がする)
気づいてはいけないものに気づいてしまったような、そういう感覚だ。私は今まで通り、ここで僧侶をしていればいい。そもそも聖女だと分かる要素が何かあるのかもしれないし、今も特に問題は起きていない。大丈夫のはずだ。
大丈夫、問題ない。何度も自分の心に言い聞かせ、思いついてしまったことは頭の隅に追いやった。
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