第18話 新人僧侶と白い蛇



 よく晴れた日の朝。礼拝堂で村人たちの健康状態を見ながら祈る姿を見届けた後のこと。スプリンクラーのような魔道具で薬草畑に水を撒いていた私は、森の方に普段見かけない色を見つけた。

 緑の中に、白い紐のようなものが落ちている。それもかなりの太さであり、紐というよりは縄と呼ぶべきだろうか。何だろう、と特に疑問もなく近づいてかなり驚いた。それは全長十メートルはあろうかという、大蛇であったのだ。



「リオネルさん、白蛇です。珍しいですね」


 

 爬虫類が苦手なものなら悲鳴をあげるかもしれないが、私は動物なら結構なんでも好きなのだ。魔獣や魔物は気が荒く、人が目に入れば襲ってくるものだがこの白蛇は全く動かず、大人しい。宝石のような赤い目はじっと私を見ているが、敵意のようなものは一切見られない。何処か神々しさすら感じる真っ白な蛇に何故か好奇心を刺激され、近づこうとしたら両肩をガシリと掴まれ止められた。



「迂闊すぎます。おやめください」


「……あれ。そうですよね、すみません」



 考えて見ればおかしなことだ。得体の知れない巨大な蛇に近づこうとするなんて。ふらふらと近寄りそうになった先ほどまでの自分の行動を、理解できない。

 何故か分からないが、吸い寄せられるように近づきそうになってしまった。不思議な蛇だ。そして蛇の真っ赤な目を見ていると、やはりまた近づきたくなるのである。



「リオネルさん、あの白蛇に薬草あげてもいいですか?」


「……私は貴方さまに危険な真似をさせるわけにはいかないのでおやめいただきたいのですが」


「よくわからないんですけど、大丈夫な気がするんですよね。というか薬草をあげないといけないような気が……」



 この感覚をどう説明したらいいのか分からないのだが、私はこの白蛇に自分の魔力が篭った何かを渡さなければいけない気がしてならないのである。

 そして今、私の魔力が最も篭っていると思われるのは薬か薬草であり、この場にあるのは畑に茂っている薬草だけなのだから、これを差し出すのが当然であるように思えた。



「……分かりました。では、蛇から離れた場所に薬草を置いてください。そして私から離れないでください」



 諦めたように、緊張感を含んだ声でそう言われれば頷くしかない。最大限私の意図を汲んでくれているのだ。護衛の彼には大変悪い気がするのだけど、私は何故かそうしなければならないという焦燥感にも似た気持ちに駆られている。

 早速畑からひときわ立派な薬草を一株引き抜いて、蛇から一メートルほど距離のある場所に置き、直ぐにその場を離れた。リオネルが緊張しっぱなしなのがよく伝わってくるが、私の方は全く緊張感を持てないままだった。


(何だろうな……多分、私がおかしいんだけど)


 白蛇がのそりのそりと動き出し、薬草の株をくわえて森の中へ消えていくのを見送ったあと。ようやくふわふわとしていた頭の意識がハッキリしてきた。



「……私はいままで何を……」



 操られていた人間が意識を取り戻した瞬間のような台詞をつい口にしてしまったが、記憶はハッキリ残っている。自分がした行動自体は覚えているのだが、その理由がさっぱり理解できない。



「マコトさま。私が誰かわかりますか」



 いつのまにか地面を見つめながら考え込んでいたらしい。私の前に膝をついたリオネルの黒い鎧兜が目に入る。兜の目に当たる部分は隙間があるはずだが、影になっていて彼の目は全く見えない。



「……リオネルさんです」



 見えなくても間違うはずはない。全身を隠してしまう鎧姿は、この世界にきてから一人しか見たことがないのだから。

 もしかすると、この兜は外から目が見えないような魔法が掛かっているのかもしれない。リオネルは本当に人に姿をさらすのが嫌いなのだ。……私には見せてくれるのだけど。



「ここが何処であるかは」


「教会裏の薬草畑です」


「……意識はたしかなようで、安心いたしました。何者かに……思考を奪われているように見えましたので」



 思考を奪われていた、と言われれば納得できた。蛇が去るまでは自分の意思で行動していると思っていたが、今考えて見れば理解不能の行動をしていたから。しかし誰かに操られていたのだとすれば、一体誰に。



「……あの白蛇、ですかね」


「……そうでしょう。あれは魔獣でも、魔物でもありませんでした。恐ろしいほどの存在感を放っていて……私は貴方さまのいない場所で出くわしていれば、私は逃げ出していたかもしれません」



 立ち上がるリオネルの姿はいつもどおりであり、怯えているようには見えない。しかし手の感覚を確認するように何度か拳を作っては開く動作を繰り返している。

 私はあの蛇を神々しいと思った。たしかに目にした瞬間の存在感はとてつもなく強く、赤い目を見た後は意識を操られていたようだが、今思い出しても怖いとは感じないのだ。操られていたと言うのに不快感もない。……これが後遺症でないことを祈ろう。



「リオネルさん、手を握りましょうか?」



 彼の落ち着かない手を見ていたので、そう提案してみたのだが。彼はじっと私を見ながら何かを考えていたが、暫くして首を振りながら「結構です」とハッキリ断った。



「このような歳になって……さすがに、貴方さま程の歳の方に甘えるのは」



 リオネルにとっての私は変声期前の少年なのだ。おそらく中学生くらいに思われているのだろう。大の大人がそのような年頃の子供に甘えるわけにはいかない、という気持ちは理解できる。理解できるが、彼は私に甘えろというくせに、自分は甘えないつもりであるらしい。そのような関係は対等と言えるのだろうか。



「ほら私たち、お友達じゃないですか。年齢なんて気にすることではありませんよ」


「いえ、結構です。お気になさらず」


「私だけ貴方に甘えるのは不公平だと思うんですよ。なので、遠慮なさらず」



 私だけが頼るのではなく、リオネルだっていくらでも私に頼ると良い。そのような気持ちでニコニコと笑って手を出したのだが、その手が握られることはなかった。



「貴方さまがそのように明るく振舞われているのを見ていれば、私も自然と落ち着くのです。ですからもう、必要ありません」



 ……やはり彼はズルイのではなかろうか。笑っているのが分かるので、本当にもう平気なのだろう。しぶしぶ行き場のない手を下ろしたが、やはり納得がいかないのである。

 私の言葉は魔法であり、強い言霊である。それでもなぜか、リオネルを説得するのはあまり上手くいかない。というか、私がリオネルの言葉に弱いのだ。


(なんていうか、真っ直ぐすぎるっていうか……純粋すぎるのかな)


 私なら恥ずかしくて口にするのを躊躇ってしまうような、好意に満ちた言葉を彼は使うのだ。それは今まで誰も親しい相手がいなかった彼の、人との距離感の取り方が分からない故の言葉なのだろうけれど。私からすればそれはあまりにも新鮮で、刺激が強すぎる。



「マコトさま、気分が優れませんか?やはり何かお体に影響が……」


「ああ、いえ。ちょっと考え事をしていただけですよ。気分は悪くありません。それより、薬草抜いちゃったので種を一つ植えないといけませんね」



 根元から引き抜いて蛇にあげてしまった薬草は、人の体を元気にする成分が強いものだ。傷薬にももちろん使うし、本数が減るのはよくない。そういう訳で、久々に魔力を水に変えて、大きく美味しくなるようにと言葉にしながら水を与えた。

 さすがに薬草一つ分では気を失いそうになる程の眠気に襲われることはない。精々いつもよりも大目にご飯が食べたくなるくらいである。

 それが分かっているのか、リオネルはおかずを一品増やしてくれた。本当に有能な補佐である。


 これは朝食であるので、目の前に座る鎧騎士は兜と篭手のみを外し食事をしている。彼が鎧を全て脱ぐのは夕刻以降、全ての仕事を終えて家に戻ってきてからだ。 

 相変わらずリオネルの作る食事は美味しい。そしてやっぱり、私は何も手伝わせてもらえなかった。



「私、リオネルさんに料理を頼りきってるといつまでもこの世界の料理を覚えられないんですが」


「覚えなくてもよろしいのではありませんか?私は貴方さまが伴侶を迎えられるまでは、こういったこともお手伝いさせていただくつもりですので」



 それは初めて聞いた。あまりのことに食事の手がとまる。私は彼に性別を知られる訳にはいかないため、彼が私の傍を離れる日がくるまで結婚がおろか恋人を作ることさえしないつもりなのだが。



「……本気ですか?私が結婚しなかったらどうするんです?」


「貴方さまを女性が放っておくとは思えませんが……そうですね。もし私が死ぬまでマコトさまが伴侶を得ずとも、おそらくまた私のような誰かが貴方さまを支えようとするでしょう。貴方さまはそれほどに、魅力的ですから」



 ……そこまで言われるとさすがに居心地が悪い。そっと視線を料理に落としながら思う。それでは、リオネルがずっと私に縛られてしまうではないか。



「私は、私のためにリオネルさんの人生を縛りたくはないのですが……」


「私は貴族社会に戻りたいとも思いませんし、村人に素顔を晒す気もございません。私は貴方さまが……貴方さまと過ごす時間だけが、心地よいのです」



 まるで告白のような台詞であるが、彼に恋愛的感情は一切ない。私のことを男だと思っているので当然だ。ただ友人と過ごす時間が楽しいと、そう感じているからそのまま口にしている。

 彼が純粋に私を友達として好いてくれればくれるほど、秘密を抱えていることを心苦しく思うのである。……初日に不注意で裸足を見せてしまった私が悪いのだけど。



「もしかしてリオネルさん、私のこと凄く好きなんじゃないですか?」


「はい」



 質問系の言葉は魔法にならない。だから彼の返答は、魔法に関係ない素直な感情である。場の空気を変えたくて茶化すように言ったのに、素直に頷かれてしまって何もいえなくなった。頬が熱を持ちそうになる。私は本当に、この人の言葉に弱い。



「マコトさまは、私のことがお嫌いですか?」


「……嫌いなわけないでしょう。友達ですよ」


「それなら、安心いたしました」



 穏やかで、嬉しそうな笑顔だ。好きですか、ではなくて嫌いですか、と訊くところがリオネルらしい。凄い人なのに、自分に自信がないのだ。

 貴方は凄い人ですよと、そう言いたいが恥ずかしくて口にできない。彼だったなら素直に言葉にできるだろう。それが彼の凄いところであると思うと同時に、少し苦手な部分だ。私が心をかき乱されそうになる、という点で。


 美味しいはずの食事の味が、ほとんどよく分からなかった。心を乱されすぎである。その日は一心不乱に薬の勉強をして、平常心を取り戻すことにした。


 そしてその、翌日のことである。



「……リオネルさん、あれなんですかね?」


「……卵でしょう」



 昨日、白蛇に渡すために薬草を置いた場所。そこには真っ白な卵があった。それも、抱えるほどの大きさがある白い卵である。周りにその卵の親と見られるものは存在せず、巣のようなものがあるわけでもない。ただドン、と大きな卵がそこにあるだけである。明らかに不自然な物体を前に呆けていいのか笑っていいのか分からない。



「……何あれ」


「……卵かと」



 私の考えを放棄した独り言に、リオネルは今日もまじめに、そして律儀に返事をくれるのであった。

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