第8話 新米僧侶の言葉の魔法
「……言葉の魔法、ですか」
「ええ。異世界から来られた聖女さま方は皆、特別な魔法をお持ちでした。同じように異世界から来られた僧侶さまにもその力があるのでしょう。ただ、特別な魔法にはそれに関する制限も与えられるようで」
この世界の魔法は、呪文を唱えて使うような魔法ではない。何かしらの道具に魔力を込めて、特別な現象を引き起こすものである。
しかし異世界から訪れたいままでの聖女は、道具を使わなくても特定の方法で魔法現象を起こせたらしい。そして私にもその魔法が使えて、それはおそらく言葉にまつわるものだろうとリオネルは考えているのだ。
「制限は、嘘がつけないことでしょうか?僧侶さまはこの世の誰よりも正直者、ということですね。……この髪の事を言われて不快にならなかったのは、初めてでした。不思議な気分です」
穏やかな顔だった。笑っているわけではないのに、どこか微笑んでいるように見える。そしてこんなによく喋る彼を見るのは、初めてだ。普段ならちょっとした感動を覚えるところなのだが……今は、それどころではない。
(嘘がつけない、というより……言えない、って感じだ)
思ってもいないことを、自分が嘘だと認識していることを口にできないのだろう。それを言おうとすると、勝手に本音が出てきてしまう。今まで誰かと話す機会が少なかったから気づかなかったのだ。これは幸運であったかもしれない。今気づけてよかった。これからは気を付けて会話ができる。
嘘が言えないというのは、結構大変なことではないだろうか。
思ってない事が言えないということはつまり、御世辞は使えず、ましてや信じていない神に対する祈りなど一切言葉にできないということではないのか。
この世界の僧侶が医者の様な職業とはいえ、宗教的な仕事が全くない訳ではない。冠婚葬祭の際は、宗教者として神への言葉を捧げなければならない。教典の言葉を読み上げるだけだが、それもできるかどうか――出来なかった場合、どうすればいいのだろう。
どうすれば、神を信じられるのだろう。信じられれば、皆と共に祈れるのに。……こんなことを考えている時点で駄目な気がする。
だって私はこの世界で生きて来た訳じゃない。元の世界なら、まだわかる。普段意識していない部分に根付いてる信仰は、どこかにあった。例えこれをやれば大金がもらえると言われても、お地蔵さんを蹴飛ばすことはできないし、鳥居に落書きすることもできない。
自分は無宗教だと言う人間でも、きっと同じだろう。元の世界の神仏の存在を心底信じている訳ではないと思っている私も、そうなのだ。信じていないようで、当たり前に自分の中にある。それが本当の信仰心なのではないかと、そう思う。
それと同じようなものだ。私は裸足で大地を踏むことを何とも思わない。この世界の人が大事にしているものをわざわざそれを踏みにじろうとは思わないが、それでも同じ気持ちを抱くことはできない。この世界で幼いころから過ごし、成長しながら培われるであろうその感覚は、私にはないのだ。
(ああ、だから他人事なんだ。大地の神に祈る、この世界の人たちのことが)
私は僧侶なのに。この世界の誰よりも神から遠い。
異世界から来たばかりで当然かもしれない。けれど、このままではいたくない。長く暮らせば、分かるのだろうか。分かることができるのだろうか。……これでは僧侶失格だ。
「どうされましたか、僧侶さま」
「ああ、いや……私はなんて駄目な僧侶なのかと自省していたところで……」
声をかけられ、いつの間にか下を向いていた顔をあげる。彼は穏やかな顔のままだった。普段は鎧で見えなかったけれど、ずっとこういう表情だったのだろうか。……分からないな。声ももっと硬質なものだったと記憶している。鎧に籠っていて質が変わっていたのかというくらい、今は柔らかい声色だ。
「僧侶さまの言葉には力があります。もっと自信を持たれていいかと」
……たしかに、そのような力は持っているらしいけれど。その魔法は私の考えに沿わないことに使えない。私がこの世界で本当に神へ祈れるようにならない限り、私は僧侶失格なのである。
しかし、何故。リオネルはそういうことを言ってくれるのだろうか。鎧を脱いでからとても、態度が軟化しているように思う。ずっと感じていた見えない壁を、今は感じない。
「……不思議そうな顔をされてますね」
「え、ああ……すみません。なんだかこう、リオネルさんそんな感じだったかなって思って」
「そうですね、先ほどまでは……貴方さまの事が、嫌いでしたので」
正直に嫌いだったと言われてどういう反応をしていいか分からない。多分、私はいま鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていることだろう。
過去形なのだから、今はそうではないのだろうけれど。何を言っていいか分からず口を閉ざしていたら、彼は小さく笑った。
「貴方さまのその髪も、柔らかい顔立ちも、妬ましいほど羨ましくて。私がそうであったなら、聖女さまから遠ざけられることもなかったのに、と……それで僧侶さまを恨むのは、お門違いでしょうに」
それは独白のようだった。私に話しかけているというよりも、自分の心を整理しているように見えた。
彼は貴族であるらしい。そして貴族とは強い魔力を持つものであり、それに準ずるように濃い髪色で生まれてくるという。しかし、彼はそうではなかった。生まれ持った魔力に比例しない、薄い色素の髪を持ってこの世に生を受けた。
髪の色ごときで、と元の世界でならそう思うかもしれない。でも、この世界でそれは差別されてしまうものなのだ。
元の世界でも、色素を持たないアルビノと呼ばれる人たちは差別されていた。肌の色が違うことで差別が起こる時代もあった。今でもそれが根絶されたとは、言えない。
それらと同じ様に、この世界では髪色の差別があるのだろう。リオネルはその差別を受けながら、ずっと生きてきたのだろう。本人の性格も、能力も、色だけで否定される。そんな世界に生きたことのない私には、軽々しく彼の気持ちを「分かる」と言うことができない。言ってはいけない。分かっていないのなら、何も言うべきではない。
だからただ、言葉を発することなく頷いて、彼の話を聞くだけだ。
「本来なら、私は聖女さまの傍に仕える予定でした。ここまでくるのは、苦労したのですよ」
知を、武を磨いた。聖女の役に立つならと、使用人がするようなことも完璧にできるように、その仕事を覚えた。誰にも文句など言えない程に、実力をつけた。ただ一つ、髪色だけが変えられなかった。
自分より劣っている姿の者が、差別できる相手が、自分に勝るような能力を持っていたら。出る杭を打とうと、人間は思ってしまうのかもしれない。
「それが……今、こうして僧侶さまの補佐につけられたのは、体のいい厄介払いでしょうね」
……それに関しては、申し訳なく思っている。いや、私は巻き込まれたのであって、不可抗力でこの状況に追いやられているのだけど。でもやはり、それでも申し訳ないと思う。
聖女に同じ年頃の良家の男子を仕えさせ、選ばれた者が聖女と結ばれる。それがこの国ではとても栄誉なことであるのは、分かっているつもりだ。私が聖女と接触禁止だと言い渡されたのもこれに起因するのだろう。……そのような思惑で婚姻を迫られる聖女のあの子は、少しばかり可哀想だけども。
目の前の彼は、その栄誉への挑戦権を奪われたわけだ。私に責任はなくても、原因はある。恨みたくなる気持ちも分かる。
「……鏡を見るたびこの髪が忌まわしくて仕方がなかったのですが、先ほど……貴方さまに見られた後は、不思議とそのような気持ちになりませんでした。貴方さまからすれば、些細なことかもしれませんがね。私には結構、大きな出来事だったのですよ」
私の言葉は魔法であると彼が言う。魔法であるからこそ、そこに悪意がないことも伝わったと言う。初めてそういう言葉を向けられたのだと、嬉しそうに。
「貴方さまの言葉は、私の傷を少し癒してくれたような気がいたします。力ある言葉は、薬になります。……マコトさまは、間違いなく。僧侶さまです」
その言葉はすとん、と。素直に私の中に落ちてきた。欲しい言葉というものは、驚くほど簡単に。乾いた大地に水が染み渡るように、入ってくるものであるらしい。
先ほどまで僧侶失格だと落ち込んでいた気分は、リオネルの言葉一つで簡単に浮上した。私はまだ新米で、元の世界でも一人前には程遠い僧侶だった。今、この世界でもそうなのだ。これから色んな物事を見て、聞いて、この世界の人と一緒に学び、この世界の僧侶になっていけばいい。
元の世界には「
リオネルは私の言葉に癒されたと言ってくれたが、私も今彼の言葉で前向きになれた。言葉に力があるというのは、本当なのだろう。私が持つという魔法は、それを強くするものなのだろう。本当に小さな好意しか含まれていなかったはずの言葉は、その好意を何倍にも膨らませて、彼に伝わったのかもしれない。
(私の魔法は“言霊”の魔法なのかな)
それならば、私は己の言葉で誰かを傷つけないようにしよう。私の言葉が薬となれるよう、努力しよう。薬を作るこの世界の僧侶として、おあつらえ向きの魔法ではなないか。
「ありがとうございます、リオネルさん」
「……いいえ、私こそ」
やわらかく目を細めて笑う彼の声は優しい。私はただ、思ったままの感想を口にしてしまっただけなのに。心底嬉しそうにされてしまうと、なんというか……いや、褒め言葉であるのは確かなのだろうけども。
(一言でここまで変わるのは……普通ではないはず。それだけ魔法の力が強いってことかな)
私が放つ言葉は魔法になる。好意的な言葉がここまで強く作用するのだ。もし、これが悪意のこもった言葉だったらと思うと……想像したくもない。私は自分の言葉に、何よりも気をつけなければならない。薬は毒にもなる。私の言葉も、毒足りえるものなのだ。
そして翌日、私は言葉の力を改めて実感させられることになるのである。……薬草畑で。
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