第27話 聖女僧侶へ鎧騎士の求婚
リオネルは「やはり」とそう言った。つまり私の事を聖女ではないかと疑っていた、ということだ。そしてそれは、私の性別にも気づいていたということであろう。……一体、いつからバレていたのだろうか。
「リオネルさん、いつから……私をそうだと……?」
「貴女さまが聖女さまではないか、と思い始めたのは卵を拾った時ですよ」
私が拾ったあの卵は、聖獣の言い伝えそのものである特徴を有していた。そして聖獣は、聖女の元に現れるものだ。その時からリオネルは私のことを聖女ではないか、女ではないかと思いながら見ていたらしい。
一度そう思ってしまえば、もう少年だと思えないことが多くなった。しかしそれでも、私が少年であり僧侶であることを望んでいるように見えたから、何も言わなかったのだという。
「貴女さまにとっては、少年である方が都合が良いように見えましたので……私もそのように、接しておりました」
たしかに私はその方が都合が良かったし、リオネルのその気遣いはありがたかった。そしてもし卵が聖獣のものではなかったら、彼はそのまま気づかぬフリを続けてくれたのだろう。
しかし卵が聖獣であり、私がそれを孵すなら。私はこの国で最も重要な人物、すなわち聖女である。それを黙認することは、流石にできない。
「本来なら直ぐにでも国へ連絡するべきなのですが……」
彼は私の様子を窺うように、じっとこちらを見た。……私は、自分がどうしたいのかよく分からない。
私が聖女であるならば、聖女とされているあの子の方が巻き込まれた被害者だ。そしてこの事実を知らせるべきかと考えた時、それはもちろんこの国のためには知らせるべきかもしれないが、そうなると巻き込まれたあの子はどうなってしまうのだろうか。
「マコトさま、私は今まで通り貴女さまを補佐し、お護りいたします。貴女さまが望まれないことはいたしません」
「……リオネルさん……」
「貴女さまは今、聖女のあの方のことでお悩みなのでしょう」
「……はい」
聖女でないとされたらあの子は、私と入れ替わってこの村に送られるのだろうか。最初から女だと思われている彼女が、私のように僧侶となれるとは思わない。この村で他の村娘と同じように暮らすことになるのか。その場合は、私のように補佐をつけてもらえるのだろうか。
(……その場合の……補佐、は……)
目の前の、ずっと私を支えてくれた友人を見る。私と現聖女の立場が入れ替わると、この人はどうなってしまうのか。今度は元聖女の補佐となるのだろうか。そうしたらもう、共に過ごすどころか、会うことすらなくなってしまうのではないだろうか。
「そのようなお顔で見つめられると、なんだか
「……どんな顔をして、ますか?」
「私が居なくなることを想像されたのではないですか。そういう顔をなさっております」
……それはつまり、どういう顔なのか。優しげに笑うリオネルの表情を見るに、あの聖女の子ではなく私の元に居てほしいと、そういう思いが顔に出ていたのではないかと思う。とりあえず、顔を手で軽くもみほぐす。
「貴女さまが聖女さまと分かれば、六名の勇者から求婚されるでしょう」
「それは正直、嫌なんですけど」
聖女の役割の一つに、良家の男子と婚姻し子をなすことがあるのは知っている。政略結婚的なお見合いに似ているが、選べる立場にある分それよりマシなのかもしれない。けれど。
(立場と結婚する、みたいで……なんだかな)
聖女と結婚することを望んでいるその六人にとって、私という人間は重要ではない。現聖女であるあの子であっても、私であっても、囁く言葉に違いはないのだろう。私の人間性など一切関係がなく、聖女であるというだけで婚姻を望む。
それではまるで、自分という中身が必要とされていないようで……空虚な気持ちになってしまう。
「私からの求婚もご迷惑でしょうか?」
真剣な顔でそう告げられて、思わず息を呑んだ。しかしリオネルからしてみれば、それは当然のことであるのだろう。
彼は元々、例の六人の中に選ばれていたのだ。聖女に求婚するのはおかしなことではない。その上私が裸足を見せてしまったため、彼には私を娶る義務すら発生してしまっている。
もしも私を娶らない場合はどこか体の一部を切り落とさなければならない、というとんでもない罰則までついてくるのだから、私に求婚しないという選択肢はないだろう。……彼のためを考えるなら、私はそれを受け入れるべきだと、思うのに。
「……それは……」
けれど私は、素直に良い返事をすることができなかった。元々はこの人に幸せになって欲しいから、私と義務で結婚しなくていいようにと性別を隠し続けることにした。しかし私が聖女であるならば、私と結ばれることは彼にとって栄誉なことで、幸せなことになるのかもしれない。
それでも受け入れられないのは……私が、この人のことを好いてしまったからだ。義務や栄誉のために求められたくないと、思ってしまっている。
他の者にそういう理由で求められるのなら、辟易とするだけで済む。でもこの人にだけは、そういう求められ方をされたくない。
(ああだめだ、面倒くさい思考になってる……)
だから恋は嫌なのだ。自分が自分でないようで、自分の心であるのに思いのままに操れない。欲望に振り回されたくないのに、割り切れればよいのに、そう思っていてもそうできない。
これは仏教では否定的に捉えられる愛、
この気持ちが無かったなら、私が裸足を見せてしまうような迂闊な自分の行動の責任を取る、という意味でこの求婚を受け入れられただろうに。
「そのようなお顔をさせたいわけでは……なかったのですが……」
いつの間にかリオネルが隣に居た。正確には私の座る椅子の直ぐ傍に膝をついて私を見上げている。考え込んでしまうときの癖でまた、俯いてしまっていたようだ。声が聞こえるまで全く気付かなかった。
困ったように笑いながら私を見ている彼の目に、私はどのような顔をして映っているのだろう。
「私のことは、お嫌いですか」
「……いいえ」
「それでは何故、そのように悲しげなお顔をされているのですか」
そんな顔をしているらしい。でも、どう説明すればいいのだろう。好きだから求婚されても喜べないなんて、それが辛いなんておかしな話を。
このようなことでうじうじと悩む自分が嫌になってくる。好きな人に、自分と同じ意味で好かれたいなんて情けないことを、口にすることができない。
「……私は……義務とか、使命とか、そういうもので結婚を……したくはない、です」
私にギリギリ言えるのは、それくらいだ。本当にそう思っているのだから。ただ、それがリオネル相手であれば殊更にそうであると言うだけの話。
名も顔も知らぬ六名とどうしても結ばれなければならないとなれば、どこかで諦めがつくかもしれない。日本でも昔は、家同士の約束で全く知らぬ相手と結婚することが多々あったくらいなのだから。……私がこの人が好きだから、己を曲げることができないのだ。
「もしかしてマコトさまは、私の事を……友として以上に好いてくださっているのではないですか?」
また息を呑んだ。それが分かる態度を、とってしまっていたのか。
どうしてもその問に答えることができず、無言の時が流れていく。嘘を言えない私では、その質問に「はい」以外の答えを出せない。それ以外を言おうとしても、肯定の言葉をこの口は放ってしまう。
しかしこの質問で言葉に詰まるのもまた、答えているようなものだろう。私は嘘が言えないと、彼は知っているのだから。
「貴方さまの場合、沈黙が何よりの答えですね」
前にも同じことを言われたな、と思う。その時も彼は笑っていたけれど、今はそれよりもずっと嬉しそうに笑っていた。
私は彼のこの笑い方が好きだ。柔らかくて、本当に喜んでいるのだと伝わってくるような笑みが好きだ。だから私が自分を好きだと知って、そういう顔で笑わないでほしい。……そんな顔で笑われたら自惚れてしまいそうになるではないか。この人も私が好きなのではないかと。
「私はマコトさまをずっと見ておりましたので……この世で誰よりも私が、貴女さまのことを知っていると思っております」
それはそうだろう。こちらに来てから最も長くの時間を共に過ごして、最も多くの言葉を交わした。一番親しくて、一番信頼している相手。隠し事があったとしても、それは事実で。
この世界で私の事を一番知っているのは、リオネルだ。それ以外の人たちは、知人としか言えない程度の関わりしか持っていない。
「貴女さまが聖女だからではなく、貴女さまの裸足を見てしまったからでもなく。貴女さまの傍で共に過ごしているうちに……私自身がこれからもずっと貴女さまと共に在りたいと、望むようになりました」
この人は私の心が読めるのだろうか。何故、私が気にしていることが分かるのだろう。そしていつも私が欲しい言葉をくれるのだ。
これはきっと嘘ではないのだろう。彼はとても真面目な人だから、私と共に在りたいと本気でそう望んでくれているのだろう。……私と同じように。何故だか泣きそうになった。
「どうか、他の者ではなく、私を選んでくださいませんか?」
柔らかく微笑んで尋ねられたその言葉は、私の答えを確信しているように聞こえてならなかった。彼の言葉が心底嬉しいくせに、直ぐに答えたくないと思ってしまうのは私の心が幼いからだろうか。
「…………私が断ったら、リオネルさんはどうするんですか」
「貴女さまの裸足を見た責任をとります」
それはつまり、結婚する方でない責任の取り方をするということだろう。私がこの人を好きなのを知っていて、そう言うのだ。私が断れる訳がないと分かっていて、嬉しそうに笑って言うのだ。……本当にズルい。
「……ズルくないですか」
「ええ、承知しております」
そう言って笑う彼を本当にズルイ人だと思いながら拒絶できない。私も大概である。
こうなってしまうともう断る理由はない。リオネルが聖女もしきたりも関係なく私が好きで、私を望んでくれると言うのなら、それは何よりも嬉しいことである。……しかし、リオネルだけがすっきりとした顔で笑っているのが釈然としない。私ばかり己の気持ちに振り回されているではないか。
「……恋人としてお付き合いするところからで、よかったら……」
それはせめてもの抵抗だったのだけど、リオネルは嬉しそうに笑っていた。いや、今だけでなく私の気持ちに気づいて以降はずっと嬉しそうに笑っている。私は彼のこの顔が好きで、ずっとそうやって笑っていてほしいと思っていた。それなのに何故か、悔しくなるのである。……私は精一杯なのに、彼が余裕そうに笑っているからかもしれない。
「マコトさま、こちらを受け取ってはくださいませんか」
「これは……お守り石、ですね」
恋人と結婚の約束をした時に身に着ける、お守り石。私はそれを知らない時にリオネルに贈った。差し出されたものは緑の石が使われた物で、私が彼に贈ったものとよく似ている。一瞬同じものかと思ったのだが、リオネルの手首には私の贈ったものがつけられているから別物だ。
前回の隊商の訪れの時に買ったのだろうが、一緒に行動しているはずなのにまったく気が付かなかった。
私がこれを受け取ると、お互いにお守り石を贈り合ったことになる。……それはつまり、婚約と同義だ。
「……結んでくれますか?」
「喜んで」
彼は隣の椅子に座ると優しい手付きで私の左手を取った。丁寧に紐が結ばれていくそれは男物であるが、私が僧侶を続けたいと思っている事を考えて用意してくれたのだろう。僧侶は男の職業だから、女物をつけていたらおかしなことになってしまう。
私がリオネルにこれを結んだときは結構な時間が必要だったのだが、何でもできてしまう器用な彼は短時間で、しかも綺麗に結んでしまった。彼も初めて結んだはずだが、私の時とは仕上がりが大違いである。
「改めて、これからもよろしくお願いいたしますね。……マコト、さん」
前にもそのように呼ばれたことがあった。それは友達になった時だったと思うけれど、その時はお互いあまりの気恥ずかしさに耐えられず、直ぐに止めた呼び方だ。
今呼ばれてもかなり照れ臭いが、今日から恋人同士であるならこちらの方が自然である。段々顔に熱が集まってきている自覚はあっても、やめてくれとは言えない。
そっとリオネルの顔を窺って見ると、彼の白い肌もまた血色が良くなっていた。嬉しそうに笑っているが、目が合うとそっと視線がそらされる。
(なんだ、リオネルさんも余裕ないのか)
余裕綽々に見えたからこそ、自分だけがいっぱいいっぱいなのが不公平だと、子供のようなことを考えて納得いかなかったのだが。私があまり彼の顔を見られなかったのもあるけれど、彼自身もどうやら必死に顔に出さないようにしていたらしい。それが分かると途端に可笑しくなって、声を上げて笑ってしまった。
「こちらこそ、改めてよろしくお願いしますね。リオネルさん」
そっと差し出した手は、大きな手に優しく握り込まれた。今後、私が聖女となって面倒ごとに巻き込まれたとしても、きっとこの人が居てくれれば乗り越えられるだろうと、そう思える。ずっと私を支えてくれたこの人を、いつかは私が支えられるようになりたい。
「つかぬ事をお伺いしますがマコトさ、んは……おいくつなのでしょうか」
「ああ、私は二十歳ですよ。リオネルさんとは四つしか違いませんから、もう子ども扱いしないでくださいね」
まだ呼び方が拙い彼に笑って答えると、温かくて大きな手が頬に触れた。一体どうしたのかとその顔を見上げれば、どこか熱に浮かされているように見える翡翠の瞳と目が合う。
「……貴女さまを子供だとは、思っておりませんよ」
低く、耳の奥に残る声だ。心臓が一度強く跳ね、それから鼓動が早くなっていく。彼から目を逸らすことも、動くこともできない。ゆっくりと近づいてくる翡翠に吸い込まれそうな気さえした――その時だった。私の後ろからぬっと、長い顔が出てきたのは。
「わッ!?」
全く可愛げのない驚き方をしてしまったが、本気で驚いた時は「きゃあ」なんて声はでないのである。リオネルがビクッと反応したのは私の声のせいではなく、顔を出した馬のせいだと思いたい。
まあ、その、すっかり聖獣の馬の存在を忘れていたというか、リオネルのことしか見えなかったというか。周りが見えなくなっていたらしい。
私に大人しくするように言われていた馬は、ずっと大人しく私の後ろに控えていたようだ。頭がいっぱいになると人間の視野は驚くほど狭くなる、と学ばされた。キラキラ光るような純粋な赤い目に見つめられると、申し訳なさが込み上げてくる。
「……放置してごめんなさい」
顔を軽く撫でてやれば、嬉しそうに手に擦りついてきた。聖獣には温度がなく、手の平から伝わってくるのは手触りの良いクッションの様な感覚で、いつまでも撫でていたくなる。それが懐っこくすり寄ってくるものだから、結構可愛い。
リオネルは苦笑しながら仕方ない、という顔で馬を見ていたが、ふと何かに気づいたように天井を見上げた。
「どうしました?」
「……どうやら緊急の連絡があったようなので、確認してまいります」
国とのやりとりは魔道具を使っているらしい。それはリオネルの部屋にあり、私は見たことがない。どのような仕組みで、どのように連絡ができるのかも知らない。彼は私に必要のないことは言わないタイプなのである。
リオネルが出て行くのを見送って、深く息を吐いた。……なんだかまだ実感がわかないというか、幻でも見ていたような気分だ。しかし、私の左手首には綺麗に結ばれたお守り石がある。夢ではないのだ。
ついつい頬を緩めながら子馬と戯れていたのだが、暫くして戻ってきたリオネルは難しい顔をしていた。眉間にしわが寄っている顔など初めて見たので、軽く驚く。
「リオネルさん?あの、どうしたんですか?」
「王都の……聖女のあの方が、ご懐妊されたという連絡だったのですが……」
「…………あの子は相手を選べないという話ではなかったですか?」
前回の隊商で聞いた話でも、聖女はまだ相手を選べていないという話であった。それから大した日数は経っておらず、結婚して妊娠したというには早すぎるように思えた。
「誰の子か分からないそうで。同じ世界から来た貴女さまに、何か判別方法を知らないかという話で……王都まで来るようにとお達しが」
……とんでもない厄介事に巻き込まれそうである。
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