第26話 新人僧侶と孵る卵



 二度目の魔物騒動から一月。あれからは特に何もなく、平和な時間が流れている。

 私はただ僧侶としての仕事をしながら子供たちに文字を教えてきた。というか二人の生徒はひらがな程度すぐ覚えてしまったので、今度はその二人に文字を広めてもらっている。

 子供は自由な時間が多いためあちらこちらに表を持って行っては、文字を完璧に覚えているわけではない大人たちに得意げに話し、五十音表を広め、ついで識字率をあげてくれている。そのおかげで相談ではないが、ラブレターめいたものが私宛に届くようになった。……文字を書く練習も兼ねて文通しませんか、という女性からのお手紙である。これの返事を書く、という仕事が最近加わったのだ。



「そうりょさま、お手紙です」


「ああ、すみませんね……こちらがお返事を書いた分なのですけど、今日もお願いしてもよろしいですか」


「任せてください!」



 手紙の運搬を主に担っているのはルルである。女性たちもこの少女になら手紙が渡しやすいらしい。そして匿名で届く手紙しかないため、返事を運ぶのもまたルルにお願いすることになる。

 何故匿名で届いても返事を出せるのか。それは女性たちが使っている便箋が、それぞれ違うからである。この前やってきた隊商では手紙関係のものがよく売れたようだ。一人一人模様が違うものを使っていて、返事用のものまで同封されて届くのである。そして私がそれに返事を書くため、送ってくる側はどれが自分のものなのか分かる、という寸法だ。

 走っていくルルを見送った後、新たに渡された手紙に視線を落として小さくため息を吐いた。



「お疲れですね、マコトさま」


「わかりますか……」



 この世界の文字はひらがなだ。全文ひらがなで、しかもまだ書き慣れない少々いびつな形で書かれた手紙は大変読みにくいのである。小さい子供がくれるお手紙を想像してほしい。まさにあれを見ている気分で、しかもその返事もまた全文ひらがなにしなくてはいけない。文字を書く練習、と言われているので元々の手紙について軽く添削もする。そして内容は恋する乙女のような雰囲気が漂うものなのだ。……なかなか、疲れるのである。



「あちらでは漢字とひらがなとカタカナが混じった文を書くので……」


「なるほど。漢字を使われた文章なら文字の数も少なくてすみますし、慣れているならそちらが読みやすいのですね」



 実際に少しずつ漢字を学んでいるリオネルは理解が早くて助かる。漢字交じりの文章に慣れている私では、ひらがなだけの文章は目が滑りやすい。字が拙いと特に、だ。



「まあでも、皆さん上達が早いですね。目標があるとやる気もでるってことでしょう」



 主に、私との仲を深めたい女性たちの上達が本当に早い。外国語も恋人が外国人であると覚えるのが早いというが、これも似たようなものだ。恋の力というのはすごいのである。

 しかし私はそれに応えられない。分かりやすく女性の好みや想う人はいるかどうかなどを尋ねてくる手紙もあるので色々期待されているのは分かるのだけど……とりあえず、誰かとお付き合いする気はないという意思をぼかしながら伝えている。


(これが言葉だったら、答えられなくなってしまうところだけど……文字でよかった)


 想い人がいるのか。そう訊かれたら、私が「いない」と答えたくとも口が勝手に違う言葉を紡いでしまう可能性がある。……私の口は、私の意識よりもずっと素直であるからして。



「休憩に致しましょう。お疲れを癒してください」


「……そうですね、そうしましょう」



 休憩となれば台所である。ここに来たときはついでに卵に魔力を与えるようにしているので、今日もいつもどおり白い卵に触れて、リオネルにお茶を淹れてもらおうとしたのだが。



「今、音がしたような……」



 ピキッというか、パキッというか。そういう軽い音がたしかに聞こえた。よくよく見てみれば、卵の天辺近くに小さな亀裂が走っている。

 もしかしてようやく孵るのか、と暫く待ってみたがそれ以上亀裂が広がる気配はなかった。もう少し魔力を与えれば孵るのかもしれない。



「マコトさま、それ以上魔力をお与えになるなら夜にしたほうがよろしいかと」


「あ、そうですね。まだ誰か尋ねてくるかもしれませんし」



 もう一度魔力を与えようと手を伸ばしたが、考え直した。何か生まれるならその面倒を見なければならないかもしれないし、どんな生き物でも生まれたての赤ちゃんは手がかかるものである。

 そんな時に村人が訪れてきたり、魔物が出たりすれば大変だ。夜ならば重大な事件でも起こらない限り誰かが来ることはないだろう。



産湯うぶゆとか用意したほうがいいんでしょうか」


「……人間ではありませんので、必要ないかと」



 白蛇の卵なのだから生まれてくるのは蛇だろう。蛇は変温動物で、外気温に体温を左右される。お湯につけるなどもっての他なのかもしれない。


(もうすぐ生まれるんだなぁ……)


 何かが生まれるというのは、良いことだ。仏教では生まれることが苦しみであると言われていても、私自身は何かが生まれるのを見ると感動する。

 何故生まれることが苦しみであるかといえば、死ぬことの最大の原因が生まれることであるからという。生まれたからには必ず死が待っていて、その間に病で苦しんだり、老いて悲しんだり、死ぬことに怯えたりする。一般的にもよく使われる「四苦八苦」という言葉も仏教用語から来ており、そのうちの四苦とはこの「生・老・病・死」のことである。それほど身近な苦しみなのだ。

 だからこそ、全ての原因になる生まれるということは苦しみの始まりなのだと、仏教にはそういう考え方がある。


 しかしまあ、この世に楽しいことがあるのもまた事実。命の芽吹きとはめでたいものと、そう感じてしまう私はさとりから程遠いのだろう。仏になれない、煩悩を持つただの人間である。そんな私でさえ救おうとしてくださる仏がいる……というのがまた、仏教の教えなのだが。


(仏さまには世界線、関係ないって話だけど……こっちの神様、存在感がすごいんだよね)


 あちらでは神仏を信じていたとは言えない私だが、こちらにきて神という超常の存在を感じるようになり、それならばあちらにだって神も仏もいるのかもしれない、と最近思えるようになってきた。僧侶としては順番が逆であるかもしれないが。

 私はもう仏教徒とは言えない存在だ。異世界の神を信じる、異世界の信徒とでも呼ぶべきか。もしもの話だが元の世界に戻れたとしても、もうあちらの僧侶にはなれない気がする。



「楽しみですね、生まれるの」


「……そう、でございますね」



 私は本当に楽しみで笑いながらそう言ったのだけれど、リオネルはなんだか歯切れ悪く返事をした。彼はあの卵が何かを知っているらしいので、何か思うところがあるのだろうか。

 そういえば、卵が生まれたら説明をしてくれるとも言っていた。言いにくい内容でもあるのかもしれない。……そう考えると、少しばかり不安である。


 その日も夜まで村人の手紙の返事を書いたり、薬の勉強をしたりといつもどおりに過ごした。今日も魔物が出なくてよかったと、ほっとして一日の業務を終える。

 夜にやるべきことも終えたらいよいよ、卵である。期待なのか不安なのかよく分からない気持ちで、そっと卵に触れた。魔力を送り込めば、小さかった亀裂が音を立てて大きくなる。そして真っ二つに割れた卵から、光と共に現れたのは。



「…………馬?」


「……馬ですね」



 蹄のあるスラリとした足が四本。頭と首が長く、そして頭から首にかけてたてがみが生えている生物。大型犬ほどのサイズしかなくポニーよりも小さいが、それはどこからどう見ても馬であった。生まれたばかりであるはずの馬は四肢を震わせることもなく普通に立ち上がり、私の体にまとわりつくように擦りよってくる。

 卵から、白い馬が生まれた。馬は哺乳類であり、哺乳類は胎生であり、決して卵から生まれるものではない。



「…………なにこれ」


「ご説明、いたしましょう。とりあえずお座りになってください」



 言われたとおりに椅子に座った。白馬は私の後をついてきて、やはり私の周りをうろうろしている。卵の時と変わらず机などはすり抜けるが、私には触れられるようで顔を押し付けてくるので全く落ち着けない。

 懐かれているようで悪い気はしないのだが今からリオネルの話を聞きたいので、暫く邪魔しないでほしい。



「……後ろで大人しくしてなさい」



 言葉が分かるのか、言霊の効果なのか。馬は私の背後で大人しく立つようになった。大人しくするように言ってから、なんだか捨てられた子犬のような顔をしているように見える。……馬なのに。

 鳥の雛の刷り込みのように、私を親だとでも思っているのだろうか。



「マコトさまの魔力で育ちましたから、親として認識しているのですよ」


「まあ、魔力を与えて育てたのは私ですけど……親はあの白蛇なのでは」



 赤い瞳の大蛇を思い出す。この白馬も赤い瞳をしていて、あの蛇に似た強い存在感を放っている。しかし、蛇から馬が生まれるとは一体どういうことなのか。遺伝の原理をはき違えているとしか思えない。



「これは干支えとの聖獣です。今年は蛇でしたから」


「……ああ、の次はうまだから、ですか」



 干支の順番でいえば、蛇の次は馬である。だからといって哺乳類である馬が卵から孵るということに納得はいかないが、干支の聖獣というものは卵で産まれる。それがこの世界のルールなのだろう。

 そしてこれらの聖獣は毎年生まれ変わるのだという。一年の間、この国に己の力を注いで護る神聖な獣。毎年代替わりをしながら、ずっと国を守り続けていく。



「しかし、聖獣も時が経つにつれて力を失って行きます。長い時をかけてゆっくりと」


「……聖獣が弱ると魔物が増えるってことですね」



 聖獣の力が弱まると、魔物が生まれやすくなってしまう。弱まった力を取り戻すために必要なのが聖女の力。だから、異世界から聖女を呼び出す。そうすると普段は全く人間に姿を見せない聖獣が、どこからか現れるのだという。



「聖女さまの力を得て、聖獣は失いつつあった力を取り戻し……再び魔を払うようになるのですよ」



 真っ直ぐに私を見つめる、真剣な翡翠の瞳に嫌な予感がする。その先を聞きたくない。しかし、耳を塞ぐわけにもいかない。



「聖獣は聖女さまの元に現れ、その力を受けて育ちます。そして貴女さまは今まさに聖獣を誕生させました」



 そう言って、リオネルは微笑んだ。いつものように柔らかい微笑み。彼が見ている私は、どんな顔をしているだろう。

 正直、それを疑ったことがなかったとは言えないが、それでも。希望的観測もあって、自分はただの巻き込まれた僧侶であるとそう思い続けていた。それなのに。



「やはりマコトさまが……本当の聖女さまなのですね」



 ハッキリと断言されてしまった。

 ……ああ、何も聞かなかったことにしたい。

 

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