第11話 新米僧侶、初めての治療


 怪我人や病人が発生すれば、教会は診療所へと早代わりする。祈りの場である礼拝堂の椅子を全て端に寄せ、広くなった堂の中には怪我人が運び込まれた。

 軽傷者多数。重傷者は一名。大怪我をしたのは村長オルロの息子であり、ルルの父親。ロランと呼ばれる男性は、脇腹を何かで抉られたようでずたぼろの肉が見えている。大量の血も失っているのか、真っ白な顔に苦悶の表情を浮かべていた。

 それを目にして気を失わなかった自分を褒めてやりたい。充満する鉄臭さに胃の中のものが逆流しそうだが、堪えながら昨日作ったばかりの傷薬が入った瓶を運び出す。

 新鮮な魔法薬なので、私の腕が悪くてもそれなりの効果は見込めるはずである。



「自分で飲める人は、これを飲んでください。傷薬です」



 怪我をしている人は沢山いるが、軽傷の彼らは自力で動けるため薬は各自で使ってもらえば良い。問題は、意識があるかどうかすら怪しいロランの方だ。

 私が今回作ったのは液状、飲むタイプの傷薬だけ。軟膏の薬は練習しながら今後作る予定だった。でも呼吸すら浅い彼が今これを飲める状態だろうか。いや、軟膏の傷薬があったとしても、この傷に塗り込むのはかなりの苦痛であろう。


(……傷口にかけてみるしか)


 液体タイプと軟膏タイプの薬に使う薬草の種類に違いはない。最終的な形を液体にするか軟膏にするかの違いで、それぞれ薬草の割合と手順が変わるだけ。多少の効果の違いはあったとしても全く効果がない、なんてことはないはず。

 迷っている暇はない。瓶のふたをあけ、血を流し続ける腹部に向かって振りかけた。傷口に与えられた刺激でロランからうめき声が漏れる。それに申し訳なさを感じるが、軟膏を塗りこむよりはマシだろう。

 魔法薬の掛けられた傷口は、ゆっくりと修復を始めている。だが、働きが鈍い。やはり本来の使い方ではないから、効果が薄いのだ。この出血では、傷が治りきる前に血が足りなくなってしまう。



「治れ、治れ……!」



 途端。見る見るうちに傷口が塞がっていく。流れる血もとまり、失った血まで再生されたのか真っ白だった顔に赤みが戻った。……怪我を治してくれる神様も居るらしい。ここが、多種多様な神が存在する世界でよかった。対応する神がいなければ、魔法は使えない。私の言葉も受け取る相手がいなければ、魔法にはならないのだ。



「ここ、は……」



 硬く閉じられていたまぶたが震え、ゆっくりと開いていく。娘と同じ空色の瞳は暫くぼんやりと泳いでいたが、覗き込む私を捉えると驚いたように目が見開かれた。意識も無事、回復したようだ。

 彼を心配して様子を窺っていた村人たちが、私の背後で歓声を上げているのが聞こえる。でもどこか、遠い出来事のように思えた。頭がぼんやりとしていて、聞こえているはずなのによく分からない。



「ここは教会です。ご無事でなにより……まだ傷薬は残っているはずですから、念のため飲んで置いてください。他の皆さんの傷は、どうですか?」


「もうすっかりいいですよ。僧侶さまの薬のおかげです」



 振り返れば、笑っているであろう村人の顔が見える。泣き笑いのような顔になっているのは、オルロだろうか。その足元にすがりつく子供が、ルルだろうか。ああだめだ、頭がすっきりしないのでよく分からない。見えているのに、頭に入ってこない。



「一度、外の空気を吸って来ます。何かありましたら呼んでください」


「ええ、分かりました。皆、一晩はここで安静に過ごします」



 笑っているだろう村人たちを置いて正面の大扉を開け、外にでた。締め切っていた堂の空気を入れ替えるように、風が吹き込んでくる。堂に入りきらず外で待っていた村人たちも、風とともに駆け込んできた。扉を開け放ったまま、私は人のいない場所を探して歩き出す。

 薬草畑ならどうだろう。呼ばれたらいつでも戻れるが、今は誰もいないはずだ。教会の側面に回り、裏の畑まで行こうとしたのだが途中でふらついて体が後ろに傾いていく。しかし背後の壁にぶつかったおかげで、倒れることはなかった。……後ろに壁なんてあっただろうか。



「……お顔の色がよろしくないようです。お部屋に戻られなくて、よろしいのですか?」


「……ああ、リオネルさんか……」



 彼は私の護衛だ。私が外に出たのだから、付いてきて当たり前。むしろ、すぐ後ろを歩く彼に何故気づかなかったのだろう。意識がはっきりしていないにもほどがある。



「……たくさん血を、見たからでしょうか。ちょっと、頭がぼんやりして……」



 まるで現実味がない。ホラー映画でくらいしか、あのように大量の血を見たことはなかった。作り物だと分かっているものを映像で見るのは平気だったのに。

 鼻の奥にあの鉄臭さがこびりついてしまったように、残っている。外の空気を吸っているはずなのに、いまだに胃の方からすっぱい物がこみ上げてきそうな気持ちの悪さも感じている。



「すみません、少し一人にして、ほしいんです……」



 この気持ちの悪さが去るまで、一人でいたい。これを我慢しきれない可能性だってある。人前で無様な姿は晒したくないのだ。



「分かりました。畑の方へ向かわれる予定だったのでしょう?私はここで待機しております」


「……ありがとうございます」



 彼は私の護衛だ。私から目を離せるのは、基本的には魔法でしっかり施錠された家の中だけである。すぐそこの角を曲がった先とはいえ、一人にしてくれるのだからありがたい。

 その場で立ったまま動かないリオネルを置いて、教会側面の壁の終わりである角を曲がった。太陽はまだ高い位置にあり、晴れた空に輝いているが私の心は晴れない。一人になった途端に力が抜けて、壁に背中を預けながら座り込んだ。力の入らない手を持ち上げて見れば、細かく震えている。


(……怖かった、のか。怖かったんだろうな)


 女性は男性より血には耐性があるというが、それでも限度があるだろう。治療するのは僧侶である私の役目だ。だからこそよく見えるようにと服を剥ぎ取られた状態で、肉が裂けている真新しい傷口を目の前にして、ずっと平和な日本で暮らしてきた私が平然としていられるはずがない。

 正直、自分でも先ほどまで何をやっていたかよく覚えてないほどだ。ただ、手の震えは止まらず、血のにおいがずっとこびりついていて、気を抜けば胃がひっくり返りそうになる。



「……大丈夫、私は大丈夫……すぐ落ち着く」



 そう呟くだけで、スッと体が楽になっていく。手の震えも、血のにおいも、気分の悪さも、直ぐに遠のいて消えてしまう。……魔法は便利だ。すっかり頼り切ってしまう。


(神様のような存在に頼りすぎるのはよくない。のは、分かってるつもりなんだけど……)


 この世界の神は応えてくれる。脅しをかけられたような気もして恐怖を抱くと同時に、つい甘えたくなってしまうから、危険だ。……いやいや、怖いのに甘えたいなんて一体どこのドメスティックでバイオレンスな被害者なのか。あれは、一種の洗脳なのだ。飴と鞭を使い分け、虐げる人間の心を縛るのである。甘美な飴を求めて、何度でも縋ってしまうのだ。

 それと同――不遜なことを考えすぎている気がする。同じにしてはいけないだろう。私は別に不利益をこうむった訳ではない。……いや、異世界召喚に巻き込まれたり、思ってないことが言えなくなったりしているけれど。それだけだ。

 さすがに神罰も下りそうなので、これ以上はやめておこう。この世界には本物の神がいるのだから。


(……うん、気持ちも結構回復してきた。神様ありがとう)


 私の精神を回復してくれたのが何の神かは知らないが、感謝をしておく。本当に多種多様な神がいる世界だ。もしかすると願う者が一人でもいれば、この世には神が生まれるのかもしれない。

 現代日本における神とは、もう殆ど希薄な存在だ。あちらでは信じる者が減る一方だから、神がいたとしてもその数を減らしていくだろう。人の信仰がなければ神もまた、人の世に存在し得ないのではないだろうか。人間と神は離れているようで、深い関係にあるのだと思う。


 ……仏は神とは全く違った存在なので、これには当てはまらないだろうけれど。仏は生物が存在している限り働き続けているというか。私たち人間が信じようが信じまいが、信仰心に係わらず存在するものであると聞いた。そしてそれは、生きている間に奇跡を起こして危険を払いのけてくれるようなモノではない。だからこそ、僧侶であるはずの私が異世界に連れてこられるのも止めてくれたり、元の世界に引き戻してくれたりもしないのである。


 私はこの世界の神に従って生きるしかないのだ。この世界の僧侶として。


(……薬、また作らないと、だな。軟膏も挑戦して……あと、もっと効果が高い傷薬もあったはずだから、そっちを作る練習もしなくちゃいけない)


 太陽に照らされて輝く緑の薬草郡を眺めながら、思う。この世界には魔物、魔獣といった危険生物が存在する。怪我は隣り合わせで、大怪我を治せる傷薬は必需品だ。先ほどのような重傷者がしょっちゅう出るなら、時間も人員も必要な人間の医療技術よりも、一瞬で傷を治す魔法医療技術が発達するのは頷ける。一人の僧侶が薬を作れば、何十人も一度に治すことができる。

 私のように医療知識のない人間でも特別な薬が作れるのだから、適正さえあれば誰にでもできるのだろう。それなら医者を育てるより時間も手間もかからず、効率がいい。


(私も作った薬を国に納品した方がいいのかな)


 この国は僧侶不足だと言っていた。それはつまり、薬が足りていないということ。魔物、魔獣が増え過ぎて手が回らないのだろう。

 ……私のような新米の薬に需要があるかは分からないが。リオネルに尋ねてみるべきだろうか。


(あ、そうだ。リオネルさんを待たせちゃいけないな)


 見えない位置だがすぐ近くで待機してくれているはずだ。もう気分はよくなったし、これ以上待たせるのは悪いだろう。

 立ち上がって軽く伸びをして、堂に戻ろうとした時だった。ガサリと、何か大きなものが草木に分け入るような音がした。



「な……」



 何が、そう声に出そうとして、言葉とともに息を飲んだ。全身をどす黒い赤、いや赤紫と言うべき針金のような毛に覆われた四足歩行の生物。額から生える黒い角は禍々しく、鋭い先端が何かで汚れているように見えた。

 それが、薬草畑の向こうに広がる森から顔を出したのだ。濁った黄色の目は、獲物を定めるように私を見て、瞳孔を広げている。


 ――――魔獣。いや、魔物か。どちらにせよ、それはこの世界で私が初めて見る、怪物だったのだ。


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