第24話 新人僧侶、目覚める



 目が覚めたら自分の部屋の布団に寝かされていて、しばし自分の状況を理解するのに時間を要した。私の記憶ではつい先ほどまで台所にてリオネルと結構大事な話をしていたはず。何故布団の中に居るのか。


(急に意識が遠くなって……気絶した?)


 バッと起き上がってまず自分の服を確認した。私が台所で意識を失ったなら、ここまで運んだ人物がいるはずで。そして、それはリオネル以外にない。

 意識を失う前と変わらず、ころも姿であったためとりあえずほっとした。優秀すぎる補佐である彼でもさすがに、気絶した人間の服を着替えさせたりはしなかったようだ。

 窓から差し込む光は既に月明かりとなっており、どう見ても夜である。一体どれくらいの時間気を失っていたのか。


(……今何時?っていうか、魔物討伐はどうなって……)


 時計を見ると絵柄の動物は鼠であり、刻針は真上を少し過ぎた頃。ちょうど日付が変わった時間だった。

 またリオネルに迷惑をかけてしまったらしい。反省しながら起き上がり、言葉には本当に気を付けなければと胸に刻む。……何度か刻んでいる気がするのは気のせいだろうか。


(それにしてもやたらとお腹がすいたな……何か食べないとやばい感じ……)


 片手で空腹を主張するお腹を押さえながらふらふらと部屋を出たら、すぐそこに白金の見慣れた人物が立ち尽くしていた。廊下で私が目を覚ますのを待っていたのだろうか。彼は私を見るなり目を見開いて、バッと手を伸ばしてくる。



「マコトさま!!」


「あ、え、はッ!?」



 リオネルの固い掌が私の頬を包み、普段はずっと上の方にある顔が鼻先十センチ程度まで迫っている。その顔は今にも泣き出しそうで全く余裕がなかったが、私にも余裕がない。


(近い、ほんとうに近い……!!)


 この綺麗な顔に迫られるとさすがに頬に熱が集まってしまう。ついでに心臓も割れるのではというくらい早鐘を打っている。うちの寺の鐘はどんなに頑張ってもこんなに早くは打てないだろう。いやそういうことを考えている場合ではなくて。



「お、落ちついてください……!」


「……!!私としたことが、失礼いたしました……っ」



 私の顔を一生懸命覗き込んでいた彼は私の言葉でようやく平静を取り戻したのか、直ぐに離れて行った。……離れたところで私の顔の熱と心臓の鼓動は直ぐには収まらないが。



「申しわけございません……マコトさまが一日経ってもお目覚めにならないので……取り乱してしまい……」


「……一日経っても……?」



 リオネルいわく私は昨日、いや、日付が変わっているので一昨日だ。その夕方に倒れたまま目が覚めなかった。彼は私の身を案じつつも、朝の礼拝を終えたら村人と共に魔物退治に出かけ、昼には討伐を終え帰還した。しかしまだ私は目覚めておらず、夜になって魔物鍋が振舞われる時間となっても起きてこない。村人には詳しい事情を話す訳にはいかないので、適当に誤魔化して鍋を分けてもらい、あとはずっとここで私が目覚めるのを待っていた、と。そういうことらしい。



「魔力を一度に使い過ぎると、二度と目覚めなくなることがあります。マコトさまが……もう目覚められなかったらと……」



 それはつまり、死ぬということだ。眠ったまま数日の後に静かに息を引き取る。この世界にはそういう死に方がある。リオネルは私がそうなるのではと、不安のあまりいても立ってもいられず、こんな時間まで眠りもせずに廊下に立っていたようだ。

 そこに私がふらふらしながら出てきたものだから、あれほど取り乱しながら体調を確認するように顔を覗き込まれた訳だ。これについて彼を責めることはできない。

 大事な相手に何かあれば辛いのだと訴えた私がこの有り様である。リオネルにはどれほどの心配をかけてしまっただろうか。この人が私を大事に思ってくれているのは、痛いほど分かるから。



「ご心配をおかけしてすみません……」


「……いえ……目覚められてほんとうによかった。それよりも早くお食事をどうぞ、魔物の肉は魔力が回復いたしますので、召し上がられてください」



 まだどこか不安げな顔をしている彼を見ていると大変申し訳なくなった。自分よりずっと背が高い人なのに、母親を見失った子供のように気が弱ってしまっている。

 当然、台所でも彼は私が魔力を使うことを良しとしなかった。一日魔力を与えていないのを思い出してあの卵に触れようとしたら、手を掴まれ泣きそうな顔のまま軽く睨まれたくらいだ。……取りあえず食事がすんでから魔力を与えようと思う。それまでは、大人しく椅子に座っていることにした。


(よっぽど心配だったんだな……本当に悪いことをした)


 目の前で倒れた上に全く目覚める気配もなく、原因は魔力の使い過ぎて目覚めないまま命を落とす可能性すらあって、本当に気が気でなかったことだろう。

 真剣な顔でこちらを見つめるリオネルを前に、食事を始めた。食べるだけでどこか元気になる気がしていたが、この魔物の肉は本当に魔力の回復する食べ物であったらしい。口にした途端に体が癒されたような感覚になる。

 そうすると思考能力も戻ってきて、心配そうにしている目の前の彼がどのように過ごしていたか、想像できるようになる。……なんとなくだが、私を心配して殆ど食事もとらず、眠りもしなかったのではないだろうか。



「リオネルさんは食べましたか……?」


「……いえ……食事も喉を通らなかったので」


「……本当に申し訳ないです。でも、もう大丈夫ですから貴方も食べてください」


「……分かりました。貴方さまに、心配をかけてしまうのですね」



 そう言ってリオネルは自分の分も用意すると、静かに食事を始める。普段なら何かしら言葉を交わしながら食べるのだが、今日は「ごちそうさま」と口にするまで無言のままであった。ついでに食器を片付けて、食後のお茶を楽しむ時間になっても無言のまま向かい合っている。……大変気まずいが、これは私が悪いので仕方ない。

 心配して、心配して、その気持ちが大きければ大きい程、発散できないと収まらない。迷子になった子供を必死に探した親がその子を叱るのは、大事に思うからこそ。

 おそらく今彼が抱えているのは私の目が覚めたことへの安堵感と、どこにもぶつけることができずに燻る気持ちだろう。



「あの……リオネルさん。自分で言うのもなんですけど……私のことをもっと、怒ってもいいんですよ?」



 怒鳴られても仕方がない、そういう覚悟はできている。迂闊な私が悪いのだ。神に祈ることは心のうちで何度もしてきた。それをそのまま、言葉にしてしまった私が悪い。私の言葉が神へ直接届く祈りであることは充分に理解していたはずなのに。



「そのような気持ちもないわけではありませんが……私はただ、怖かっただけで……まだ、怖いですよ。これは私の都合のいい夢で、貴方さまはまだ目覚めておらず……そのまま、冷たくなっていくのではないかと」



 随分と弱りきった顔だった。彼に笑っていて欲しいはずの私が今、この顔をさせている。この世界で私が信頼できるのが彼だけであるように、彼にとって私もまた、この世界で唯一の存在なのだろう。

 この村に来てから本当にずっと一緒に居るのだから、リオネルが初めて自分を否定しない私という人間に出会って、いつの間にか心酔に近い感情を抱いてくれるようになったことくらい理解している。

 私はそのような思いを抱いてもらえるほど高尚こうしょうな人間ではないと思うが、彼はそれくらい私を慕ってくれているのだ。私に何かあれば、酷く悲しんでしまうのは当然で……だからこそ、私は彼に心配をかけるようなことをしてはいけないと、思うのに。


 今彼の手が震えているのは、私のせいだ。そして私しか、その震えを止めることはできないのだろう。



「リオネルさん、手を貸してください」



 両手を差し出したらとても戸惑った顔をされた。……そういえば、同じ様に机で向かい合わせになって、手を握ってる間に倒れてしまったんだったと思い出す。リオネルからすれば軽くトラウマになっても仕方がない。

 ならば、と立ち上がり彼の隣の椅子に腰を下ろす。そして再び手を差し出した。



「夢ではないと実感できるまで握っていればいいかな、と思ったんですけど……」



 目を大きくして驚くリオネルの顔を見上げながら、ふと気づいた。そういえば、私は彼の隣に居るという経験が殆どない。思い出してみれば彼はいつも私の後ろにいるか、正面にいるかのどちらかであった。こうして隣に座るのは初めてである。

 恐る恐る手を握られて、私もそっと握り返す。彼の手はとても冷えていて本当に怖かったのだと、今でも怖いのだと伝わってくる。



「本当にすみませんでした。リオネルさんをこんなに……心配させるつもりは、なかったんです」


「……貴方さまは特殊な状態であられますから……その魔法を得てまだ、二月ふたつきも経っておりません。それを責めても、詮無きことかと……」



 力なくそう言われてしまえば、これ以上私を責めてくれと言うことはできない。それは私の自己満足になってしまう。……なじられた方が楽なことも、あるらしい。彼が辛そうにしている顔をみて、罪悪感に襲われるのは私の自業自得というもの。受け入れなければならない。



「……魔物退治は、上手くいきましたよ。久々に見る大物でしたが……色々と不思議なことが起こりまして。貴方さまの魔法のお力、でしょうね」



 現れた魔物は中々見かけない珍しい魔物、それも魔物退治のプロである騎士団が向かっても、怪我人を出さずに戦うことは難しいようなものだったという。それを村人とリオネルだけで、そして誰も怪我をすることなく退治し、戻ることができたのはひとえに魔法の力である。

 魔物の行動を制限するようにその足元の大地が突然崩れたり、魔物の巨体に大木が倒れ込んできたり、空は晴れているのに魔物に雷が落ちたり。自然の全てが魔物の行動を阻んだ。神々は私の願いを聞き届けてくれたらしい。



「貴方さまが倒れるほどの魔法ですから、当然でしょう。村人は困惑しておりましたが……貴方さまのおかげです」


「そう、ですか。……誰も怪我がなくて、よかったです」



 私が倒れた甲斐があったとは口が裂けても言えないが、誰も怪我をしなかったのは良いことだ。それでリオネルの心がここまで傷ついてしまったのは、全くよくないのだけれど。握っている手はまだ、冷たいままだ。

 


「……マコトさま、手を握っていただくだけでは……足りないかもしれません」


「そう、ですね。じゃあどうしましょう。あ、そうだ。抱きしめましょうか?」



 不謹慎かもしれないが、それは冗談のつもりだった。どうにかリオネルを元気づけたくて口にした冗談。だからまさか「そうですね」と、そんな返事がくるとは思わなかった。

 予想外の答えに驚いている間に背中に回された両腕が、私をぐっと引き寄せる。視界にはリオネルの肩口から見える向こう側の景色と、キラキラ光る白金の髪しかない。

 人間は自分の予想を飛び越える出来事が起こると、頭が停止してしまうらしい。暫く何がなんだか分からず呆けてしまった。その意識が思考を取り戻したのは、肩に温かく濡れる感覚を得てからだ。


(……泣かせてしまった)


 声もなく静かに。私を抱く腕を震わせながら、まるで縋るように。

 自分よりも大きな人が声を殺して泣いている。私は彼が落ち着くまで、大人しくしていることにした。彼は怒る代わりに、今泣いているのだろう。涙は感情を吐き出す手段のうちの一つだ。苦しい時はそれを吐き出そうとして、涙がでるもの。

 泣きたい人は、いくらだって泣いていいと思う。子供でも、大人でも、老人でも、女でも、男でも。誰にでも泣く権利はある。……たまに、それを許さない人がいるけれど。人間には泣きたい時があるだろう。私はそれを泣くなと、抑え付ける人間にはなりたくないのだ。他者でも、自分でも。



「貴方さまが目覚められて……本当に、よかった。もう、お会いできないのかと……」



 暫くして、体に伝わる震えが小さくなった頃。力のない声が耳元でそう呟いた。



「……はい。本当に、心配かけてごめんなさい」


「……ええ……本当に、心配いたしました。……ですから、もうしばらく……このままでいてください」



 小さく頷く。まあ、今離れれば泣き腫らした目を見せることになってしまうだろうし、流石にそれは恥ずかしいだろう。彼を泣かせたのは私なので、収まるまで待つことに異存はない。しかし。


(……この体勢は……なかなか……)


 抱きしめられて、すっかり腕の中に入ってしまっているわけで。私とリオネルの体の間に挟まれている掌から、彼のいまだ落ちつかない鼓動が伝わってくるような距離である。恥ずかしいのもあるが、それ以上に。……性別、ばれてやしないだろうか。



「……貴方さまはとても、細いですね」


「……普通ですよ」



 どういう意味で早くなっているのかよく分からない私の心臓の音が、聞こえていないことを祈るしかない。


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