番外
【Twitter企画SS】 オルビド村の結婚式
雲一つない晴天の日。暖かな日差しの中、オルビド村の教会では結婚の儀が執り行われる予定である。それはもちろん村人の結婚式であって、リオネルはその祭司を務めるマコトの護衛をする以外に関係がない。
リオネルとは違って神聖な儀式を執り行わなければならない僧侶のマコトは緊張した面持ちでため息を吐いていた。
「マコトさん、大丈夫ですよ。何度も練習されたでしょう?」
「……でもやっぱり緊張します」
彼女は今日のために毎日真面目に儀式の練習をしていた。それに付き合っていたのだから、リオネルは彼女の努力をよく知っている。危うげなく完璧にこなせるだろうと思えるほど何度も繰り返していても、この世界にやってきて初めて執り行う結婚の儀とあってはやはり緊張や不安が拭えないようだった。
そういうマコトの心を和らげるのも補佐であり恋人であるリオネルの役目だろう。
「……貴女さまの場合、成功を神に祈るという手段もございますが」
「その手がありましたか。……今日の結婚式が万事上手くいきますよう、神に祈ります」
黒い瞳を伏せ胸に手を当て、柔らかく温かみのある声で祈る姿がとても美しい。その横顔に見惚れそうになってしまうのは、この人に惚れ込んでいる限り仕方のないことだとは思うが護衛としては不適格だ。リオネルも目を閉じて己の心を律した。
「そろそろお時間です。参りましょうか、マコトさん」
「はい。行きましょう」
そうして儀式が始まった。教会の礼拝堂の中にはオルビド村の住人全員が集まっており、マコトは大地の神の像の前に立って、幸福そうな新郎新婦を出迎える。その姿を壁際に立ってリオネルは見つめていた。
黒の装束を纏った新郎と、白の装束を纏った新婦。二人を見るマコトの目がとても優しげて、慈愛に満ちている。
「これは神より賜りたる神聖な酒。この酒で盃を交わし、婚姻の契りを結んでください」
透明な酒の入った大きな赤の盃が新郎に授けられた。これは僧侶が結婚式のために作る特別な酒である。仕上がりにリオネルも味見を頼まれて口にしたが今まで飲んだどんな酒よりも美味だった。式が終われば村人たちに振舞われる祝い酒にもなる。きっと誰もが喜ぶことだろう。
一つの盃の酒を二人が交互に飲んで酒を減らしていくはずなのに、あまりの酒の美味さに新郎の方が飲みすぎたらしい。新婦の分の酒が少なく、盃はそれぞれの手に一度ずつ渡っただけで酒が尽きたようだった。これにはマコトも少し困ったように笑っている。
「神酒によってその言葉は神々へと届くものになりました。神の御前でお互いを生涯愛し、支え続けることを誓ってください」
二人がそれぞれの言葉で互いを愛し続けることを誓う。大地の神の像を見上げながら誓われた言葉は不思議と堂内に響き渡っているように聞こえた。
「お二人の誓いは神が聞き届けてくださったことでしょう。新たな未来を歩むお二人に、神の祝福があらんことを」
マコトの祝福の言葉の直後、大地の神の像が眩く輝いた。その光は床へと流れだし、礼拝堂の中を光で埋め尽くしていく。その後、光は新郎新婦の元へ収束していき、二人を光で包んでからゆっくりと消えていった。
シン、と静まり返っていた堂内に騒めき声が広がる。マコトだけは穏やかに微笑んでいるように見えるがあれは不測の事態に引き釣りそうになる表情を堪えている時の笑顔だ。
(……マコトさんの言葉は神へと届く言葉。祝福を願えばこうなるのも当然か)
騒ぎになったがそれはいい意味での騒ぎだ。夫婦となった両名はもちろん、村人たちも笑顔であり、興奮に目を輝かせながら儀式の流れ通り、礼拝堂を出て広場へ向かっていく。これからそちらで結婚の祝いである宴が開かれるのだ。
結婚の儀で本当に神の祝福を受けた夫婦など、今までこの世にいただろうか。少なくともリオネルが読み漁った文献の中には存在しなかった。
(この村の人間は……幸福、だろうな。マコトさんが僧侶をしているのだから)
いつか消える村。存在してはならない人間の村。新しい人間が入ってくることはほとんどなく、いつかの終わりが見えているような場所。それでもこの村の人々は満ち足りた顔をしていて、幸福そうだ。それはきっと、僧侶であり聖女であるマコトが与えたものなのだろう。……この世界に来てくれた聖女が彼女で、本当に良かった。
まだ日暮れ前で明るい時間帯だが村の広場ではすでに祝宴が始まり、にぎやかな声で溢れている。マコトはその祝宴に初めの方だけ顔を出し、リオネルと共に教会へと戻ってきた。……何故なら、祝福の光について興奮やまない村人に囲まれたマコトの心労具合が心配だったため、リオネルが適当な理由をつけて彼女を連れ戻したからだ。
「疲れた顔をしていらっしゃいますよ。少しお休みになられてはいかがですか?」
「ああ、いえ、大丈夫です。……皆さんの勢いにびっくりしただけでして」
村人が大喜びして彼女を取り囲むのも致し方のないことだとは思う。この村は彼女が来るまで僧侶のいない村で、正式な儀式など一切執り行われていなかったのだ。それが今日は、他のどんな教会でも見られないような儀式になったのだから喜ばないはずがない。
「……では、温かい茶をお淹れしますので落ち着かれてください」
「あ、それならお酒が飲みたいです。せっかくお祝いの日ですし」
彼女の希望とあれば叶えるのが補佐たるリオネルの仕事である。広場で振舞われている料理と酒はあらかじめ少量取り分けてあるため、直ぐに用意できた。
いつの間に、と不思議そうな顔をするマコトには微笑んで返す。隙を見て走り回っている姿はあまり知られたくはない。彼女がそれを知ったら「無理をしないでください」とリオネルの仕事を取り上げる言葉を使いかねないし、これはリオネルが望んでやっていることなのだから。
彼女の役に立つなら、彼女のためになるなら。何でもやってみせると心に決めている。そしてそれを、彼女に知られる必要はない。
(私はただ、マコトさんの支えになれるならそれでいい)
卓上に祝宴の料理を並べ、マコトの盃に徳利の酒を注ぐ。彼女の柔らかな目がほんのりと嬉しそうに細められて、普段よりももっと優しげな表情となる。……ふとした瞬間の表情の変化を見る度に、愛おしさを感じて胸が騒いでしまう。どうしようもなくこの人が好きで、たまらない。
「ああ……美味しいですね。お祝いの時しか作れないのが残念です」
普段から酒を飲むわけではないが、酒自体は好んでいるらしいと知ったのは大晦日の騒動後、一時期城で生活してからだ。あそこでは毎日酒が出されていたし、マコトはそれを喜んでいた。……あちらには歓待して城に居ついて貰おうという目論見があったようだが、それは徒労に終わった訳だ。彼女にとって大事なのは豪勢な暮らしではないというのが城の人間には分からないのである。
「リオネルさん、今日くらい一緒に飲みませんか?」
リオネルはマコトの護衛でもあるため、酔う訳にはいかない。何度か誘われているがそれを理由に断り、その度に残念そうな顔をさせてきた。それがいつも心苦しいけれど、彼女を喜ばせたくとも護衛をおろそかにすることはできない。
だが、ふと。今日の式を思い出し、彼女の手の中の小さな一つの盃に視線が向く。……少しくらいなら、酔うこともない。今日という日だからこそ、特別な酒が欲しくなってしまった。
「……では、一口だけいただけますか」
「! はい。じゃあもう一つ盃を」
「いえ。……マコトさんの盃で分けて頂けませんか?」
喜びで目を輝かせたマコトの顔が、リオネルの言葉を理解して段々と赤く染まっていく。同じ盃で酒を飲むことはすなわち婚姻の契りと似たようなものだと、今回は説明しなくても分かってもらえたらしい。
だからこそ彼女は赤くなりながらそっと視線を下に落としているのだ。……このように恥じらわれるとリオネルの中にも言いようのない感覚が沸き上がってしまう。
「……ど、どうぞ……」
「……ありがとうございます」
差し出された盃を両手で受け取り、盃の中に残っている酒を飲みほした。リオネルは酒に弱くはない、けれどその甘さに頭が痺れるような心地になる。……酒に酔っているのではなく、別のものに酔っているのだろう。己で言い出したことなのに頬に熱を感じた。目の前の彼女と同じように、自分も赤面しているに違いない。
「いつか……私と大きな盃の酒を交わしてくださいますか、マコトさん」
「……はい。もちろんですよ」
気恥ずかしさからかどちらも無言になったことで広場で行われている祝宴の喧騒がうっすらと聞こえるようになった。夜中までこの騒ぎは続くのだろう。誰もが幸福で、誰もが満ち足りた夜を過ごすのだろう。
いつか。リオネルとマコトの二人が結ばれる日も、そんな夜になるのだろうか。それとも、秘密の多い二人だからこそ、誰にも知られずにひそやかに式を挙げることになるだろうか。
どちらにせよ、リオネルの胸に満るものが変わることはなさそうだ。
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