第19話 新人僧侶と拾った卵



 いつまでも思考放棄するわけにもいかない。まずは大きな卵の観察である。真っ白で、特に特徴のない卵だが何故か存在感だけは異様にある。……いや、大きな卵が一つ畑の傍にドン、と置かれていたら当然存在感はあるだろうが、そういうことではなく。昨日の蛇に似た強い存在感を放っている、ということだ。



「……あの蛇の卵ですかね」


「可能性はあるかと。……マコトさま、迂闊に近寄らないでください」



 またもやふらふらと卵に近寄りそうになり、両肩を掴んで止められた。あの蛇は居ないが、私の意識はまた妙なものに突き動かされているようだ。そうだと思っていても、何故か卵を拾いたくなるのである。



「拾った方がいい気がして……」


「マコトさま、私が誰か分かりますか?」


「リオネルさんです。そしてここは薬草畑ですね。意識はハッキリしてますよ」



 質問に先回りで答えられるくらいには意識は確かである。それでも上からじっと覗き込まれたので笑顔を向けておいた。両肩も掴まれたままなので、余程心配されているらしい。

 私には特別な魔法があるが、戦闘能力があるわけじゃない。卵を持ち帰ろうというこの気持ちも、昨日の白蛇影響なのだろうと分かるけれど。



「あの卵をどうしても連れて帰った方がいい気がするんです。そうしないと、多分大変な事になるというか……だから持って帰りたいんですけど、だめですか?」


「…………私がいくらお止めしても、夜中に起き出してまで拾いに行かれそうな気がいたします」



 何故わかったのだろう。と思いながら見えない顔を見上げていたが、やがて彼は諦めたように一つ息を吐いた。



「わかりました。その代わり、私が拾います。そして、私が保管いたします。それで、よろしければ」


「ありがとうございます」



 彼は本当に私を心配してくれているのだが、卵に関してはやはり大丈夫な気がしてならないのだ。洗脳されている可能性のある私の感覚など、信用できないかもしれないが。

 リオネルは私から離れ、恐る恐る卵に近づいてそれを拾おうとした。……拾おうとしたが、卵を彼の手が素通りした。



「……触れられませんね」


「え、じゃあこれは幻覚ってことでしょうか?」



 私も近づいて卵に触れてみた。しかし、私の手がすり抜けることはない。つるつるとした卵の殻の感覚が手の平に伝わってくる。それを見たリオネルがまた卵に触れようとするが、やはり彼の手はすり抜けてしまった。



「マコトさまだけ、触れられるのでしょうか。…………まさか、これは……」


「……リオネルさん?」


「…………いえ。持ち帰っても問題ないと思いますが、念のため目の届くところに置いてくださいますか」



 リオネルの反応が明らかに変わった。先ほどまで危険物として見ていたはずの卵を急に受け入れだしたのだ。何か卵について思い当たるものがあったように思えるが、それ以上口にしようとしない。言う必要がないことなのだろう。

 私はこの卵を持ち帰れればいいので、彼の気が変わらないうちにと卵を抱えて持ち上げた。大きさの割に重さを殆ど感じない。



「目の届く所、というと……台所がいいでしょうか」


「……食べないでくださいね」


「流石に食べませんよ」



 そんな訳で、卵は台所の一角に安置されることになった。人の手どころか物もすり抜けそうになる卵は、どうやら大地と私の魔力だけは通過しないらしい。

 大地を通過しないは神の力だとして、私がすり抜けないのは蛇に薬草を与えたことが原因かもしれない。とりあえず、薬草を巣のように集めてその上に置くことで、卵が地面まで落ちていかないようにしてある。

 毎日触れて魔力を与えればそれだけでこの卵は育つ、と何故か私は知っている。……色々おかしいのは分かっているのだが、何故かそうしなければならないとも思っている。私はまだ蛇に洗脳されているのかもしれない。



「マコトさま、国からの連絡がございました。明日、隊商が村を訪れます。申請した道具も隊商が運んでくるようです」



 不思議な卵をぼんやり眺めていたら、リオネルからそう告げられた。彼は卵を気にしないことにしたのか、もう目もくれない。別に愛情をあたえなければならないものでもないので、いいのだけど。

 切り替えが早さは流石リオネルといったところか。相変わらずの優秀さである。



「それなら、もうすぐ学校も開けそうですね」



 今のところ、悩みを相談されてはいない。そもそもずっと僧侶のいない村であったので、そういう習慣がないというのもあるかもしれないし、この村は小さいが住人が助け合う穏やかな場所で、僧侶相手にするような大きな悩みが出来にくいのかもしれない。

 まあしかし、何があるか分からないので文字を広め、筆談型の相談形式にするのは決定事項である。嘘が言えない身の上であるからして。



「……マコトさま。一つお願いがあるのですが」


「え、なんでしょうか。何でも言ってください」



 リオネルから何かを頼まれるなんて珍しい。驚いたが、それ以上に嬉しくなった。私に出来る限り面倒なことをさせないようにしようとする友人だ。私の恩が溜まっていくばかりだったので、何か手伝えることがあるなら喜んでやりたい。



「私にも文字を教えていただけませんか。あのカンジ、という文字を」


「それくらい、お安い御用ですよ。今からやりますか?」


「いえ。夜の空き時間にでも、教えていただけたら」


「分かりました。夜ですね」



 私は機嫌よくリオネルを見ていたのだが、彼の様子が少し気になった。何故か、まるで出会った初日の頃のようにこちらをじっと窺う気配がしたのだ。しかしあの時のように、嫌悪する感情を持って見ている訳でもない。鎧で隠れた顔が見られればもっと何か分かったかもしれないが、見えない表情から何かを察することはできなかった。

 リオネルの感情がよくわからなかったのは久々で、それがとても不思議だった。



「……どうかしましたか?」


「いえ、何もございません。それよりも、朝食にいたしませんか?」


「あ、はい。そうします。では私はお茶を淹れ……」


「貴方さまは座ってお待ちください。卵に魔力を与えてお疲れでしょう」



 お茶を淹れようとする私の言葉を遮り、仕事をさせまいとする態度はいつも通りのリオネルである。先ほどの様子は気のせいだったのかもしれない。

 結局何もさせてもらえないまま準備された朝食を摂ることになった。食前の言葉を唱えて、一緒にいただきますと口にして、いつも通りの食事風景だ。



「あ、そうだ。私、作った薬を国に納品した方がいいんじゃないかって思ってたんですけど……隊商の人たちが持っていってくれるでしょうか」


「……そうですね。しかし、マコトさまの薬は、難しいかもしれません」


「え、そうなんですか?でも、この国は薬不足なのでは……?」



 この国では薬が不足しているはずだ。しかし、私のところでは結構余っている。薬草畑の薬草が簡単に育ってしまうので、薬が不足するということはほぼあり得ない。この村に来て使った薬は傷薬と、村人が欲する除草剤くらいだろうか。余っているなら他所に流した方がいいと思う。

 薬は時間がたつと効力が薄れてしまうが、それでも欲しいと思う場所はあるかもしれない。僧侶が常駐していない場所や、人が多すぎて僧侶の作る薬の数が足りない場所などには、商人が薬を運んで売っているのだ。この村も、私がくるまではそうだったはずである。



「貴方さまの薬は、特別ですから」



 私がこのオルビト村にやって来てから育てた薬草で作った薬は、他の薬とは一線を画すものであるらしい。それはおそらく私が「大きく美味しくなるように」魔法を使って育てた薬草を、「効果が強く出るように」魔法を使いながら作るからだ。

 本来、飲む傷薬は口にしなければ効果を発揮しない。しかし私の薬は時間があれば魔物に抉られた傷を修復できるだろう力を持っていた。二重に魔法がかけられて作られた薬は、特別なもの。

 これは誰が作ったのか。どこから出て来たのか。何故、このような薬が作れるのか。閉鎖され情報が外に出ない村の中でなら問題ないが、外に流れてしまうと薬について調べたがる者が出てきてしまう。そして、聖女以外の異世界人が居ることが知られてしまう可能性があると、リオネルは言った。

 


「たしかに、それは問題ですね……やめておきます」


「ええ。ここに来る商人は口が堅いですが……できれば、彼らの前で薬を使うこともない方がいいでしょう」



 村人が皆明るく楽しそうに暮らしているから時々忘れそうになるが、この村は隔離された場所だ。国が信用している商人だけが、来られるのであろう。もし何か見てしまっても口外はしないはずだが、万が一の可能性を考えれば私の異様さは出来るだけ晒さない方がいい。



「私では考えが足りない事が多いので、やっぱりリオネルさんが居てくれると心強いですね」



 やはり常識の違いは一か月やそこらでは身につかない。何かを始めようとするときはやはり、リオネルに相談するのが一番だ。性別のことは言えないが、それ以外の事情は全て分かってくれている。この国で私の状態に一番詳しいのは彼といっても過言ではないだろう。

 彼が私を補佐しようと心から思ってくれているから、私は安穏と日々を過ごすことができている。もし、私のことが嫌いで害を成そうとするような人間が補佐についていたら、私の様な迂闊な人間は身を滅ぼしてしまうだろうから。



「私は何があっても貴方さまを補佐し、お護りいたします。……ご安心ください」



 柔らかく笑うリオネルの顔はいつも通り、優しい。本当にそう思ってくれているのが伝わってくる。けれど、何故だろう。何かが違うような気がしてならなかった。



「……リオネルさん、何かありました?何か、いつもと違うような」


「いえ。私はいつも通りです。ただ、貴方さまをより一層補佐し、護らなければと思っているだけです」


「……急にどうしたんですか」



 どことなく、リオネルがおかしい。もしかして私が卵を拾ったから、彼にも何か影響が出てしまったのだろうか。不安になりながら彼の表情を窺っていると、それまでも微笑んでいたはずの顔が更に一段と笑み崩れて、彼の表情の中では見たことのない類の笑顔になった。



「私が居ないと、貴方さまは得体の知れないものに確認もせず近づこうとされますので」


「…………それは、すみません」


「いえ。私が貴方さまの行動に注視していればよいだけですから」



 この笑顔はいうなれば、諦めを含んだ笑顔というか、何かを受け入れた笑顔というか、そういうものなのだろう。そしてそれは、私のせいである。……いや、私としては白蛇と卵以外にはそこまで突飛なことをしていないつもりなのだが。そしてこの二つの件に関しては、私の理性ではどうにもらない部分の問題であるので許してもらえぬものだろうか。



「……もしかしてちょっと怒ってます?」


「いいえ、怒りなどありませんよ」


「……今後、気を付けようと思います」



 怒ってはいないが、呆れているかもしれない。リオネルに見捨てられると私は大変困るので、本当にこれ以上彼に迷惑をかけないようにしようと心に誓った。……蛇と卵のような不可抗力の事態が起こらないことを切に、祈る。


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