第7話 新米僧侶と鎧騎士の素顔



 午後は調合をしよう、そう思っていたのに。

 リオネルの作ってくれたお昼ご飯を食べてお腹いっぱいになり、猛烈な眠気に誘われて布団も敷かず畳の上に転がって昼寝をして、目が覚めたら。何故か窓から月明りが差し込んでいる。


(……どうみても、夜ですね……)


 寝すぎた。完全に寝すぎた。畑仕事は大したことをしていないというのに、思ったより疲れていたのだろうか。

 まあしかし、過ぎてしまった時間は戻らない。とりあえずリオネルが起きているようなら謝ろう。彼は無口だが多分、とても気真面目な性格をしている。共に過ごした時間は短いが、短くてもそう思うくらいには真面目だと感じる。

 だからきっと、晩御飯を用意してくれたり、お風呂を用意してくれたり、していると思う。私がぐーすかと寝ている間に……。


(まず、お風呂に入ろう。……お湯、まだ温かいかな)


 この世界の風呂は魔力を使って沸かす。そういう魔法道具を使っている。温かいのは魔力が供給されている間だけであり、エネルギーが切れれば熱する力もなくなって、中の湯は冷めていく。

 まあ、魔力さえあればいつでも温かい湯にできるのだ。真面目なリオネルならば、風呂の中に水を張るくらいはしてくれていると信じている。


 さっそく風呂に入る準備をして浴室に向かった。午前中は畑で働いたのだし、お風呂には絶対入っておきたい。


(お、明かりがついてる。さすがリオネルさんだ……!)


 脱衣所へ続く扉から明かりが漏れている。気の利くリオネルがいつでも風呂に入れるように準備していてくれたに違いない。

 まだ一緒に過ごして二日目であるが、補佐として彼はとてもよく働いてくれる。補佐というが、もうお母さんかというくらいのことまでやってくれる。ごはんをつくったり、お風呂をわかしたり、掃除をしたり、多岐に渡って補佐してくれているのだ。

 思い返すと私は何もしていなくて、なんだか申し訳ない。というか気づいたら全て用意されていて、どうぞ使ってくださいと言われてしまう状態なのである。これでは家事も何もしないヒモになった気分だ。

 ……いや、一応僧侶として働いてはいるのだが、まだは殆ど仕事らしい仕事してないし……。


 今日は寝てしまったが、明日は私も何か手伝おう。というか、もっとまじめに働こう。そういう決意を胸にしながら脱衣所の扉を開こうとした。しかし私が手を伸ばす前に、扉は開き始めた。


(なんで勝手に開……)


 脱衣所の明かりに照らされて、キラキラ輝く濡れた髪がまず目に入る。白、いや、白金だろうか。プラチナブロンドともいう。薄っすらと金に色づいた、白に近い髪。とにかく羨ましいくらいに綺麗な色だ。それを辿ってゆっくり顔をあげれば、大きく見開かれた翡翠の瞳と目が合った。髪と同じ色の睫毛に縁どられた、切れ長で少しつり上がり気味の目である。元々の肌は驚くほど白いのだろう、風呂に入って血行が良くなった肌は赤みがよく目立っていた。


 まあ、あれだけ全身を覆い隠すような鎧を着て普段を過ごしているなら肌は白くて当然だ。風呂上がりの彼はまだ鎧を身につけておらず、肌にピッタリと沿うような黒の肌着を身に着けている。鎧の下に着るならそういう服の方が邪魔にならなくていいのだろう。普段は鎧で分かりにくかったけれど、やはり細身でよく引き締まった体をしている。

 というか、この人も風呂に入るのだなと漠然と思った。人間なのだから当たり前だが。鎧を脱ぐ姿が想像できなかったというか、普通に考えればありえないのに鎧のまま風呂に浸かっているイメージすらあったというか。


 ……その、つまり、ちょっと現実逃避してしまったが、状況的にどう考えてもリオネルという名の私の護衛兼補佐の青年の素顔がそこにあったわけで。

 私も驚いたが、彼も心底驚いたのだろう。私たちは見つめ合ったまま数秒の間、固まっていた。



「あの、リオネルさ……」



 私の口が「ん」という形になる前にパタリと扉が閉められた。なんだろう、この見てはいけないものを見てしまったような気持ちは。しかし私が見てしまったのは上半身と髪と顔だけだ。人に晒してはいけない部分、すなわち足は見てない。問題ないはずだ。



「……私の髪を、ごらんになりましたか」



 扉の向こうからいつも以上に暗く、低い声が聞こえてきた。あれだけ目を合わせていたのだから見てないはずはない。しかしきっと彼は見られたくなかったのだ。綺麗な髪だと思ったとしても、見ていないことにするべきだと、私は慌てて口を開く。



「綺麗な髪でした。……ッ!?」



 バッと口を塞いだが、出てしまった言葉は回収できない。今、私は何故か自分が言おうと思った言葉以外のものを口にした。

 意味が分からない。見ていないとそう言おうとしたはずなのに、勝手に口が動いてしまった。何で思ってることが意思と関係なく口から出てくるのか?


(扉の向こうの無言が怖い、とてもとても怖い)


 この世界の基準でいえば、彼の髪の色は自慢できるものではない。私が綺麗だと思ったのは本当だが、とてつもない嫌味に聞こえたことだろう。だから言うつもりなどなかった。本当になかったのに。


(口が勝手に動くなんて呪いか何かか?私が信仰心もなくこの世界で僧侶として働こうとしてるから?)


 混乱を極めた頭でそのようなことを考え始めた時だった。コンコン、と扉の向こうから軽くノックする音が聞こえてきて、ビクリと肩が跳ねる。私がここに居てはリオネルは外に出られない。早くどこかに行かなくてはと、足を踏み出そうとしたのだが。声を掛けられて踏み留まった。



「まだ、そこにいらっしゃいますか」


「あ、はい。すみません直ぐ退き……」


「お食事の用意は出来ております。冷めても味が落ちない物ですので、よろしければどうぞ。入浴の準備もしておきますので、こちらは暫くお待ちください」


「あ、はい……すみません、ありがとうございます」


 また言葉を遮られてしまった。やはり怒っているのだろうか。……嫌味としか思えない発言の後だ、怒って当然である。

 肩を落としながらとぼとぼ歩いて炊事場に向かった。台所と食事場を兼ねているそこには、真新しい木のテーブルがある。その上にはリオネルの言葉通り、一人分の食事が埃を被らないよう、籠を掛けて置かれていた。


 食事を前に座り、籠をとれば異世界の料理が現れる。見慣れない色と形の食材が沢山入った煮物と、お米に良く似た穀物のおにぎりと、黄色ではなく真っ白な卵焼き。そしてメインは肉の揚げ物。まるでお弁当のようなラインナップだ。冷めても充分美味しいであろうことは、見ただけで分かる。


(リオネルさんには後で謝ろう。……私のために用意してくれたご飯だし、しっかり食べなきゃ)


 先ほどまでなかった食欲は、美味しそうな食事を前にしたらすぐ湧いてきた。現金だな、と自分でも思う。自嘲的な笑みを浮かべながら手を合わせた。


 宗教的食事の挨拶というものがある。元の世界では勿論、自分の宗派にそった文言を唱えていた。しかしこの世界の宗教にいまだ馴染みがなく、こちらの神に信仰を捧げられない私は、まだこちらのソレを口にするべきではないと思っている。では元の世界の言葉を使うべきかといえば、それも違うだろう。


 しかし頂く命への感謝はどちらの世界にも共通している。中にはお金を払ったからという理由で「いただきます」を言わない、言わせない人がいると聞いたことがあるが、不思議な話だと思う。

 私達は他の命を頂いて、生かされているのだ。それから、食材になるまでに係わった全ての人の労力と、食事を作ってくれた人の力があって初めて料理が出来る。自分だけでは絶対に得ることが出来ない糧。それに感謝することを否定する気持ちは、私には理解できない。

 異世界でもどこでも、どんなものでも、食べるならば感謝を込めて。



「いただきます」



 食べ始めてみると思ったより空腹だったようだ。リオネルの料理が美味しいのもあるかもしれないけれど、気づけば皿が空になっていた。大変満足である。

 皿を片付けて、今度は食後のお茶を楽しむことにした。保温の魔法が込められた容器で用意されていたもので、まだ温かい。湯のみに注いだ茶はもちろん緑色ではなく、その名の通りの茶色である。味わいとしてはウーロン茶に近い、この世界で一般的に「お茶」と呼ばれる飲み物だ。

 それを飲んでほっと一息吐いていたら、突然正面の扉が開いて輝く白金が視界に入ってきた。驚いた私は口に含んだお茶を噴出しはしなかったものの、慌てて飲み込んで思いっきりむせた。



「……大丈夫ですか?」


「だ、だいじょうぶ、ですッ」



 軽く涙目になりながらリオネルを見たら、困惑気味に眉尻が下がっていた。驚かせて申し訳ないが、暫く待ってもらうしかない。気管に水分が入り込むとほかの事に気を回す余裕などなくなるのである。

 しばしの間を頂いて、どうにか落ち着いた。それまで目の前の青年は私の正面に座ってじっと待っていたわけだが。


(……それにしても、何で鎧姿をやめたんだろう。本当にびっくりした)


 どうして、という疑問を持ちながらそっとリオネルの顔を見てみたら、目が合う。じっと私を見ていたらしい。……醜態をさらしていたので出来れば目をそらしていて欲しかった。



「何をお考えですか?」


「どうして鎧を着ていないのかと」



 何も考えていません、そう言おうとしたのにまた口が勝手に動いた。なんだこれ、やっぱり私は何かに呪われているのだろうか?

 口を押えながら恐る恐る、正面の顔を窺い見る。彼はどこか困ったように笑っていた。……この人は、こういう表情をする人だったのか。



「僧侶さまは、言葉の魔法をお持ちなのかもしれませんね」



 朗らかな声で、彼はそう言った。

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