第10話 新米僧侶、学校を考える
昨日は大量の薬草を処理するだけで終わってしまい、結局薬を作れていない。今日はストックとして必要な分を作っておかねばならないだろう。
そして昨日決めた、文字を
さて、筆談型の相談形式にすると言っても色んな問題がある。まず、識字率の確認。そして匿名性を重んじるべきか否か。できるだけいい形になるように考えたい。無論、村人たちの望む形でないならこの案は破棄とするつもりだ。
しかしそういったものがこの世界の常識から考えてありえないことであるのかどうか。私だけではわからない。こういう時は、補佐役のリオネルを巻き込むものである。
「ここは、元々貴族であった人間が居たこともありますので他の地域よりは、字の読み書きができる者が多いかと思いますが……全員とはいかないでしょうね」
「まずは字の普及が先ですか」
そうとなると時間がかかりそうだ。まあこの世界ではひらがな以外使われていないようなので、それを教えるくらいならそう難しくはないだろうと思う。……私の「文字を覚えて欲しい」という要望を、村人たちが受け入れてくれるかどうかは問題であるが。
「字を教える、って提案したら嫌がられますかね」
「いえ、聖女さまの世界から伝わった文字ですから。皆、覚えられるなら喜ぶでしょう」
この世界において聖女はそれはもう偉大な存在である。聖女から伝えられたものを積極的に取り入れながら文化が形成されているほど。聖女の言うことは絶対である、と言っても過言ではないかもしれない。
おかげで私もそこまで苦がなく生活できているわけだが。特に言葉と文字という点で。
「じゃあ、ここで文字を教えるとして……これはまさに寺子屋、ですね」
「……テラコヤ……?」
リオネルが不思議そうにしている。自分が寺生まれ寺育ちの僧侶であるのでついそういう発想になってしまったが、違った。ここは寺ではなく異世界の教会だ。残念ながら寺小屋とは言えない。
「……いや、寺じゃないですね。教会小屋……はやっぱり変だから、教会学校とでも言いますか。向こうの世界では昔、僧侶が学問を教えていたことがあるんですよ」
「ああ、なるほど。
「あ……」
大人は働いている。働かなければ生活が出来ないからだ。必要な物資を支援してもらえる私とは違って、村人たちは毎日懸命に働いているのだ。考えが足りていなかった。恵まれたボンボンの現実が分かっていない甘えた発想、みたいなものをしてしまって恥ずかしい。
「……向こうでも、学ぶのは子供が中心でした。時間があるから、でしょう」
子供は働く義務がなかった。だからこそ学校という場所で勉学に長い時間を費やせる。大人でも、学べるのは時間とお金が確保できる者だけだ。この世界でもそれは同じである。いや、子供もただ遊んでいるだけではなく、家の手伝いをして働いているだろう。
何も見えていなかった。こんな状態ではいけない。私はもっと村人の生活に寄り添わなければ。……今日薬を作って時間があれば、村を見て回ろう。今日が無理なら明日でも。教会に引きこもっていたら、見えないことが多すぎる。
「なら、まずは子供たちが文字を学ぶことが出来る状況であるのか。それを調べるところからですね。……子供から大人に伝わるかもしれませんし、伝わるような方法を考えれば良いのです」
「リオネルさん……!」
彼はまったくもって良い補佐である。積極的に私を助けようとしてくれるので、かなり有難い。こんな有能な男を左遷するなんてお
「しかし、まずはお仕事をされてください。僧侶さまのお役目に大事なものが、まったく足りていないようですので」
「……そ、そうですね。調合、してきます」
初日から作るべきであった薬類がまったく作れておらず、与えられた立派な薬棚はすっからかんと言って差し支えない有様である。リオネルに軽食やお茶を差し入れてもらいながら、一日中薬草を向き合うことになった。魔力の消耗も激しかったため、その夜は早くから気絶するように眠った。
(そのおかげで、今日は村の様子を見て回れる)
薬は作ってから暫くは品質が保たれるので、効力が落ちる頃にまた新しい物を作れば良い。それまで本格的な調合はお休みである。忘れないためにも復習したり、少量の薬を作ったりはする予定ではあるが。
そういうわけで、本日はリオネルを伴って村の中を歩くことにした。目的は主に村人たちの生活の様子を見たり、子供たちがどのように過ごしているのかを確認したりすることだ。
(と言っても、この村は子供が少ないんだよね)
少子高齢化。その言葉が当てはまる。ここは、世間から隔離された村だ。外に出ることは許されず、新しく入ってくる者も殆どいない。独り身のまま一生を終える者も当然居て、少しずつ人口が減っていき、いつかはなくなる村なのだ。……いつかは、なくなるように作られた村とも言える。
「マコトさま」
「あ、はい。何でしょう?」
「下を向いておいででしたので、危ないかと」
考え事をするとうつむいてしまうのは、私の悪いくせだ。リオネルにも心配を掛けてしまっただろうか。軽く謝ってから前を向き、ちゃんと辺りを見る。女性が手を振っていれば、軽く振り返す。老人が頭を下げれば、私も下げ返す。老人以外の男性は殆ど村の中に見当たらない。魔獣猟のために森へ出ているのかもしれない。
(この時間帯は老人と女性と、子供だけが村の中にいるわけか)
この状態の村を襲われたらひとたまりもないな、と不穏なことを考えた。そういう危険はないのかと護衛役である鎧騎士に尋ねてみたところ「ほとんどありえない」という答えが返ってきた。
「森の中は魔獣や魔物が居る分、植物たちが宿す魔力も濃いのです。人が作る作物よりも豊富な餌が森の中にはありますから」
「なるほど」
日本でも山を降りて人里に現れる野生動物は、山に餌がなくなったから出てきただけだ。住む場所に豊富な餌があるならば、わざわざ移動してまで少ない養分の餌を食べようとは思わないだろう。
だからこそ若い男たちは安心して狩りに出かけられるのだ。この村は世間から隠されているから、外から盗人のようなものがやってくることもないだろうし。それなら私もこの
(さて、そろそろ誰かに話を聞いてみようかな)
手頃な人物は居ないかと、視線を巡らせる。洗濯物を干す女性、畑を弄る麦藁帽子の老人、地面を熱心に見つめる少女。この中なら、少女に話しかけるのがいいかもしれない。
「こんにちは、何を見ているんですか?」
愛想よく笑いながら、彼女の近くにしゃがんで目線を合わせ、出来るだけ優しい声で話しかけてみた。少女は驚いたように顔を上げ、私を見るとどこか照れたような笑みを浮かべる。
「あのね、ここにお花のタネをうえたの。はやく出てこないかなって思って。だいちの神さまが、お花にちからをくれて、大きくなるんでしょう?」
「そうですね。大地の神様のお力は貴女のお花もきっと、育ててくれるでしょう」
実体験であるのでその言葉は淀みなく口から出てきた。大地の神から力を与えられた植物は一日で急成長したり、本来以上の大きさになったりするのである。正直、私は大地の神とやらに対して感謝や親しみよりも恐怖に近いものを抱いているのだが。
「貴女のお名前を訊いてもいいですか?」
「うん!あのね、ルルっていうの。そうりょさまは?」
「私は真といいます。よろしくお願いしますね、ルルさん」
早速ルルという少女の話を聞いてみることにした。少し恥じらいながらも色々と質問に答えてくれる、素直で可愛い子供だ。つい私の頬も緩んでニコニコしてしまう。
そんな彼女の話によれば、文字は親に教わって少しだけ知っているらしい。でもまだ完璧ではないので、教会で私が教えるならば、喜んで学びに来てくれるという。
「あ、でも……こういうのは、おじいちゃんに聞かないと」
「おじいさん、ですか?」
「うん、おじいちゃんは色んなことをきめるの。おじいちゃーん!!」
パッと駆けだしたルルは、近くで農作業をしていた麦わら帽子の老人の元へ近づいていく。色々なことを決める人ということは、つまり。そう思いながら麦わら帽子の人物を見てみれば、予想通りの顔がそこにあった。
(あの子はオルロさんの孫なのか)
今思い出してみれば、彼女が教会に来るときに一緒に居る父親らしき男性は、柔らかい顔付きでどこかオルロに似ていた。成程な、と納得しながら立ち上がり、私もオルロの元に行こうとしたのだが。歩き出してもリオネルがついてこないので、振り返って首を傾げる。
「どうかしましたか?」
「……たしかに、彼女は成長すれば美しい娘になると思いますし、貴方さまの年齢を考えればよい年頃かもしれません」
「……えっと……何がです?」
ちょっとリオネルが何を言っているか分からない。というか、分かりたくない。
ルルは可愛らしい女の子である。少し垂れ目で綺麗な空色をした瞳が印象的で、濃い青色の髪も綺麗で、表情も明るく大事に育てられているのが分かる子供だ。小学校低学年くらいに見える幼い子。素直な子供は可愛いものであるが、ただそれだけで何の他意もあるわけがない。私は女なのである。というか、私は一体いくつに見られているのか。
(もしかして、男が女の子に声をかけるのは何か問題が……?)
私は一応、男と思われているのだ。この世界の常識的にまずいことだったのかとドキドキしながらリオネルの返答を待ったが、彼は中々返事をくれない。しばし無言の時が流れる。
「……今までで一番……柔らかい顔で笑っていらしたので……」
ぼそり、と呟くように言われたのはそのような内容であったのでほっとした。また裸足の時のように「嫁にしなくてはいけない」的なルールがあるのかと思ってしまったが、そうではないらしい。
「子供は可愛いじゃないですか。それだけですよ」
「……そうですか」
何故だろう。あまり納得していないように見えるのは。貴方さまも子供です、とでも言いたいのか。いや、でも少し元気がないように見えるから、別のことを気にしているのかもしれない。じっと見つめていると、黒い鎧から観念したように声が漏れてきた。
「貴方さまもやはり、柔らかい顔立ちがお好きなのですか?」
……そういえば、彼は前にもそういうことを言っていた。私の髪色のほかに、柔らかい顔立ちが羨ましいと。柔らかいというか、垂れ目で少し抜けたような顔をしているだけなのだが。
この世界ではこういう目が好かれる、ということだろうか。リオネルは少しつり目気味だったから、それを気にしているのかな。
(容姿に相当なコンプレックスがあるんだもんな、リオネルさんは)
こればかりは根深い問題である。この世界の美的感覚で美少女に該当するルルを見て、思うところがあったのかもしれない。黒い鎧がどんよりとした空気を纏って、さらに暗い色に見える気がする。
「私はどちらかといえば少し鋭いくらいが好きですね」
大きな猫目の女優さんが羨ましかった時期もあったくらいだ。この世界で垂れ目がもてはやされているとしても、私のそういう感覚は簡単に変わるものではない。私の美的感覚でいえば、リオネルは充分美形である。
(元の世界に生まれたら、リオネルさんは幸せだったかもしれないな)
さぞモテることであろう。街を歩くだけで人の目を集めたに違いない。聖女の傍に居たならば、彼がその愛を掻っ攫うことは大いにあり得た。それを考えれば、リオネルに万に一つも聖女を渡したくないと左遷した誰かの思惑は当たっていたともいえる。
……ところで、顔が見えないはずの鎧の背後に漫画なら花が咲いていそうな空気が流れているのは気のせいだろうか。何故鎧なのに感情が分かりやすいんだ、この人は。
「僧侶さま、教会で文字を教えられるとルルからお聞きしましたが……」
こちらから向かおうと思っていたのに、リオネルと立ち話をしている間にオルロ自身がやってきてしまった。申し訳なく思いつつも、学校をやってみようかと思っていることを話す。
良い案だ、と村長からのお墨付きもいただいたので、彼の仕事が終わったら詳しい内容を話し合おうと決めた時だった。
「大変だ!!つよい魔物が出て!!ロランが大怪我を……!!」
和やかだった雰囲気は、ガラリといっぺんした。ロランという名を聞いた途端に顔色を変えたオルロとルルを見れば、それが彼らの関係者であることは想像できる。
平穏とは、破られるものであるらしい。
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