第13話 新米僧侶と夜の宴
殺生と肉食は、現代のほとんどの僧侶にとっては当たり前のことになっている。少数の一部の宗派以外では、365日精進料理を食べているということはない。
だが精進料理ならば無殺生なのか、といえばそうでもないと私は思っている。植物もまた生き物であるし、そもそも現代社会で人間として生活をしていて無殺生であるというのは不可能なのだ。私達は数多の野生生物の犠牲の上に今の暮らしを得ている。先人の努力と苦労と沢山の命のおかげで、今の生活があるわけで。何も奪いたくないなら、山奥に籠り霞を食べて生きる仙人にでもなるしかない。
生きるために何かしらの命を頂いているのが人間だ。そうしなければ生きられないからこそ、自分の命もまた大事にしなければならない。命を無駄に消費することだけは、してはいけないと思う。
さて、なぜこんなことを考えているかといえば。それは目の前でぐつぐつと煮られている鍋の中身が原因である。
(いかに色がグロテスクとはいえ、これもまた命……残すなんてことは僧侶として……)
リオネルに倒された魔獣。その毒々しい紫色の肉が今まさに、私の椀に注がれた。うむ、禍々しい気配を放っている。しかし村人たちは大喜びである。それに水を差すような真似はできない。私は引きつりそうになる頬を堪えながら笑みを貼り付けるしかないのである。
これは宴だ。魔物という高級食材を手に入れた村人たちが、大喜びで村の広場に会場を作りあげた。簡易なテーブルと椅子が並べられた、青空食堂。その中央ではどこから持ってきたのかという大鍋で
「大地の神よ、自然の神々よ、全ての神々よ。その慈悲深き御心の恵みに深き感謝を。尊き魂が迷いなく神々の元へ辿りつけるよう、祈り奉る」
村人が口にしているそれが、この世界の食前の言葉である。私もそれにならい、同じ言葉を口にした。……多分、魔物の魂は間違いなく神の元へ行くだろう。
この世で命を落とすと、魂が肉体から抜け出して神の元に導かれる。たいていの生き物は土に還るので大地の神の元へ行くが、人の場合は行き先を葬送の仕方で選ぶ。土葬されれば大地の神の元に、火葬されれば火の神の元に、という風に。
それがこの世界の考え方なのだが。彼らがずっとそう信じてきたならば、魂はそういう在り方をするのだろう。世界のルールがそう作られている、と言ってもいいかもしれない。そして神の元で暫く休んだ魂は、また肉体を得たくなったら新しい命として生まれてくる、という。
(生まれ変わりとかあるのかな。向こうでも輪廻転生って考えはあったけど)
魂は何度も廻るもの。生まれることが苦しみであるというのが仏教の考えであり、この輪廻から離れるのが解脱、つまり
この魔物の魂もいつか地上に戻ってくるのだろう。次は魔物以外のものに生まれるのだろうか。私ならこういう色の肉体を持ったものには生まれたくない。
(……考え事をして逃避するのはそろそろやめたほうがいい。皆美味しそうに食べてるんだし、美味しいはずだ。美味しいはず……)
味覚の違いはそんなにないはずである。リオネルの料理は問題なく美味しいのだから。紫の肉がごろごろとを入った椀を前に、手を合わせた。食前の言葉は口にしたものの、やはり「いただきます」と言わなければ落ち着かない。
「……い……いただき、ます」
覚悟を決めて、震える箸先で弾力のある肉をつまんだ。こういうのは
まず、舌の上に広がるのは味噌の風味である。聖女から持ち込まれた知識なのか、この世界にも味噌や醤油が存在するのだ。慣れ親しんだその味わいにほっとしながら、噛まねば飲み込めないサイズの肉片をかみ締めた。
「……!」
思わず目を見開いた。想像より、遥かに美味しかったからである。歯ごたえはあるのに噛めば繊維が崩れるようにやわらかくなり、噛むほどの甘みと旨みを内包した肉汁が溢れてくる。臭みもなく、味噌と反発しない優しい風味が広がって……似ている料理をあげるなら豚汁だが、肉の風味が格段に良い。
(色はこんなに……ポイズンクッキングって感じなのに……)
これは確かに、ご馳走だ。見た目がどうであれ、美味しいと分かれば喜んで食べられるのが人間というもの。しかも食べているだけで体の調子がいいというか、元気になるというか。不思議な感覚を得られる。
実のところ、先ほどまで虫の幼虫を喜んで食べる部族の中で、その虫を振舞われているような気持ちだったのだが。日本にも結構、ウニとかイカとかタコとか、外国人からすれば理解でいないと思われている食べ物があるが……異文化というものは、実際に体験してみなければ理解できないんだなと実感した。
ちなみにリオネルは兜部分を脱がないと食べられないので、一切料理を口にせず私の正面に座っている。皆には護衛の任務中であるためだと説明してあるので、彼の分は先に取り分けて家の方に持ち帰らせてもらった。皆が美味しそうに食べている中自分だけ食べられなくて辛いのではないか、と思うのだが様子を見る限りは楽しそうにしている。
美味しいのですぐにぺろりと一椀を平らげてしまった。おかわり自由の魔物鍋だ。もう一杯もらおうかと考えていたら、私の元へ向かってくる人影が見えた。立ち上がるのをやめ、その場で待つことにする。リオネルもそれに気づいたのか席を立ち、私の背後に回った。
「僧侶さま、お礼を申し上げたくて参りました」
オルロとその息子ロラン、そしてルルの三世代家族である。それぞれの奥さんの姿は、見えない。それについては深く考えないことにした。……人は、思ったよりもあっけなく、早く。亡くなるものだから。
「この度は命を救っていただき、まことにありがとうございます」
「いえ、私は僧侶として当然のことをしただけで……本当に、ロランさんが無事でよかったと思います」
まだ全種類の薬を作ったこともない、一人前とは呼べない僧侶だ。それでも私は他人の命を預けられる立場にある。自分の薬で彼の命を救えたことで自信とまではいえないが、なんとかやっていけそうだという気持ちは抱くことができた。助けられてよかったと、心底思っている。
「傷を受けた時はもう、ダメかと……本当にありがとうございました」
「そうりょさま、お父さんを助けてくれてありがとう!」
「どう、いたしまして」
人にここまで感謝をされたのは初めてかもしれない。嬉しいのに、でもどこか泣きたくなるような。胸が詰まって上手く言葉が出てこない。
ここは異世界で、私はこの世界に突然紛れ込んでしまった異物だ。世界に望まれて呼ばれたのは聖女であり、私ではなかった。この国の偉い人たちも最初は困惑していて、でも呼んでしまったものは仕方ないと快く援助してくれた。リオネルも初めはしぶしぶ受け入れた護衛と補佐だったけれど、打ち解け始めてからは積極的に助けてくれるようになった。
それでも私は、本当にここに必要なのかとどこかで思っていた。居場所などないのに、無理やり入り込んでしまったかのような感覚。無理やり居場所を作ってもらったような申し訳なさがあった。
だからこの世界の僧侶になろうと必死だったのだと思う。自分の居場所を作ろうと、ここに馴染もうとして。
(……私は、ここに居ていいんだな)
三人の顔を見れば分かる。私が異世界人だとは知らない彼らだが、素性など詳しく知らなくても、私を必要としてくれている。それだけは、この笑顔を見れば分かるのだ。
私は、私を必要としてくれる彼らのためにもこの世界の僧侶になろう。彼らの役に立てるよう、努力しよう。ここに己を根付かせて、生きていこう。そう思うことができた。
「目が覚めた時に僧侶さまのお顔を見たときは、ついに母なる大地の神の元に召されたのかと思いました。大地の神様は美しい
「……ハハハ」
穏やかな笑顔で、おそらく冗談のつもりなのだろう。ロランが口にした言葉には笑って返すしかなかった。
ついでに、私が男だと思われる原因がもう一つ解明した。どうやら黒い服というのは男性が着るものであるらしい。そういえば、女性が黒い服を着ているのは見たことがない。図らずも男装状態になっていたようだ。
「ロラン、冗談がすぎる。僧侶には男しかなれぬと定められているだろう。立派な僧侶さまであるお方に失礼だぞ」
「うっすみませんお父さん……僧侶さま、大変失礼いたしました」
「いえ、失礼とは思いませんので」
そもそも私は女である。女に間違われるというのは失礼ではない、と思う。内心冷や汗ダラダラではあるが。……ばれてないだろうか、後ろの護衛に。
しかしなるほど。この国での僧侶は「男」と決まっているらしい。異世界から現れた「僧侶」で「男の恰好」をしていて「男の髪型」であり「変声期のような声」をしていた私を初めてみた人々が、総合的に私を「男」だと判断するのはおかしなことではなかったということだ。
女顔の少年だとそう思われたのだろう。こちらの常識では、私の姿形は女としてあり得なかったのだ。決して私の顔が男っぽいとか、私の体に凹凸が足りないとか、そういう理由ではなかったのである。
……今一瞬頭を何かが横切った。何か今、引っかかることがあったような。
「ところで僧侶さま。魔物を回収する際に畑を見たのですが、たった数日であんなに薬草が育つなんて、一体何をなされたのですか?畑には水を引く管も設置されておりませんでしたが……」
何かを考え始めたはずの私の頭は、一瞬で切り替わった。何と言い訳するべきか、私は今日一日で働き過ぎの表情筋を総動員して、またもや笑顔を貼り付けたのであった。
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