第21話 新人僧侶と鎧騎士の勉強会




 教会学校の道具は隊商が持ってきてくれたので、もういつでも学校を始めることができる。いきなりという訳にはいかないから、取りあえず三日後の羊の刻、つまり午後二時頃にルルともう一人の生徒に集まって貰うようオルロに伝えた。


 教室は存在しないので、教室の前に机と椅子と黒板の様な魔法道具を設置した青空教室となる。雨が降った場合は翌日に延期すると決めた。礼拝堂でやってもいいのだろうが、なんとなく神に祈る場で私が教鞭をとるのがはばかられた。……神様は怖いのだ。

 現在私は届いた道具の点検と、その使い方の確認をしている。といっても変わったものといえば、黒板のような何かだ。元の世界にあるもののような深緑ではなく真っ黒な板であり、畳二枚分ほどの大きさはあるが、私一人で持ち運べる程度の重さである。簡易な組み立て式なので何処でも使えるのが利点だ。



「チョークは、ないし……これはどうやって文字を書くんでしょうか」


「魔力で文字を書きます。指でも文字が書けます、付属の筆を持てば魔力が伝わりますのでそちらでも可能です」



 この黒板モドキの名は魔法文字板である。指を走らせればそれに沿って白い線ができた。放っておくと一刻ほどで全て消えるのだが、早く消したい場合は魔力を吸い取る布が貼られた道具を使えばいいらしい。まあ、黒板消しのようなものだ。しかしこの魔法文字板の場合、いちいち消さなくても触らなければ文字が消え、黒板消しを粉まみれになりながら掃除する必要もない。



「便利ですね……リオネルさんに漢字を教えるのも、これを使えばいいでしょうか。今夜さっそく使ってみましょう」



 夜の勉強会は、リオネルが鎧を脱ぐことを考えれば外でするわけには行かない。とりあえず広いテーブルのある場所といえば台所兼食堂のあの部屋である。現代ならダイニングキッチンと呼ぶのだろうが、この世界だと上手い呼び名がない。台所もしくは食堂である。



「場所は、台所の机でいいですかね?」


「そうですね。あの部屋は広いですし文字板も持ち込めるでしょう」



 そういう訳で、夜。食事と入浴を済ませたらリオネルのための勉強の時間だ。机に向かい合わせで座り、私の背後には文字板を設置する。一対一の授業であるので、家庭教師の気分である。相手は自分よりも年上だが。



「漢字って本当に沢山あるんですけど、リオネルさんが知りたいものってありますか?たいていの言葉には漢字があると思います」



 小学生の漢字ドリルなどは持っていないし、勿論小学校教師の資格も持っていない。漢字を教えるといっても、書いて見せて覚えてもらうしかないと実際にやってみようとして気づいたのだ。子供向けではないだろう、さすがに。

 そして教えるどんな文字を教えるかという問題もあった。私があちらから持ち込んだのは仏教辞典であり、これは仏教語の解説をする辞典なので常用漢字でないものも大量に書かれている。そもそも仏教用語など一般的でないものばかりで、「自業自得」や「立ち往生」のような日常に組み込まれた言葉の方が少ないし、この本はほとんど参考にならないだろう。ちなみに辞典の一番最初の言葉は「愛」であった。……なんとなく見るのをやめた。



「マコトさまにはジングウジという家の名もあったと記憶していますが……その名にも漢字が使われているなら、教えていただきたいです」


「……よく覚えてましたね、私の苗字……じゃあ書きます」



 一文字ずつ大きめに書いてみせる。神はともかく、宮、寺という文字の意味が伝わる気はしない。理解してもらえるよう、努力してみよう。



「一文字めは神様のカミです。私の文字の場合はジンと読みますが、ほかにもシンとかカンとか色々読みますね」


「……神、ですか。貴方さまの名前には、神の文字が使われているのですね」


「あちらではそこまで珍しくないですよ。それで、宮というのは……」



 宮と寺はそれぞれ建物のことを指している。こちらの建造物でないので分かり難いかもしれないが、宮は神を祀る場所であり、寺はあちらの僧侶がいる場所であると説明した。リオネルはまじめな顔でじっと考え込んでいるが、理解できただろうか。



「……マコトさま、カミサカという家の名は、どのように書きますか?」


「神坂さんですか。それなら先ほどの神に……」



 彼があちらの苗字を口にするのは不思議だったが、この世界にはあちらから聖女を何度も呼んでいる。いくつか苗字が伝わっていてもおかしくはない。神坂、と文字板に書いた後ふと気づいた。



「カミサカさんだと……こっちの可能性もありますね」



 上坂、と続けて書いて見せる。漢字は同じ読み方の文字がいくつもあるので、音だけでは判断しきれないのが難しいところだ。

 それぞれの文字の説明を続けるが、リオネルは私の説明を聞いているのかわからないほど深く考え込んでいるように見えた。



「……聞いてます?」


「ええ、聞いております。一字一句、間違いなく繰り返せますが、お聞きになりますか?」


「……ハイスペックですね、リオネルさん」


「はいすぺっく……?」



 私は必死に書き取りをして何度も復習しないとものを覚えられないが、彼は一度聞いただけで覚えられるらしい。いちいち漢字のつくりなど説明しなくても、漢字の形を覚えてしまえるに違いない。彼の手元の紙には私が書いて見せた漢字が一文字ずつ、教えた読み仮名とともに書いてあるだけだ。意味はしっかり頭に入っているのだろう。

 魔物を一太刀の元に切り捨てるだけの力があって、一度聞いた言葉を一言一句違わず繰り返すだけの記憶力があって、私からすれば完璧超人かといいたくなる人間であるのに、差別されている。天は人に二物を与えずということわざが元の世界にはあったが、まさにそれなのだろう。能力に恵まれたのに、それをすべて無かったことにされる特徴を持って生まれてしまったのだ。



「マコトさまは時々、私の知らない言葉を使われますね」


「ああ、和製英語は伝わってないですもんね」


「ワセイエイゴ……」


「あちらの世界の、私たちが住む国から離れた国から色んな文化が入ってきて、言葉も増えたんです。これは漢字じゃなくてカタカナって文字を使って表現しますけど……」



 一応、ハイスペックと書いてひらがなで振り仮名をつけて見せた。リオネルは興味津々で、文字に見入っている。今度カタカナの五十音表を作って渡してあげたほうがいいのだろうか。彼なら喜んで覚える気がする。



「お願いすれば、教えていただけますか。私は貴方さまのことが……マコトさまの世界が知りたいのです」


「私が教えられることならなんでも教えますけど……リオネルさんって勉強熱心ですよね」


「いえ。このような気持ちになったのは初めてなのですよ。私は今まで、己の隙をなくすために学んでおりましたので……新しいことを知るのが楽しいのは、初めてです」



 ニコニコとなんでもないように、裏側に重たいものを抱えたような言葉を放つ。リオネルは自分の欠点を、誰かに付け入られるような隙を全て排除してきたのだろう。そうしなければ何処から蹴落とされるか分からないから。でも、彼がなんでもない顔をしていると私の方が苦しくなってしまう。私には想像できないような人生を歩んでいるのだろうし、私が胸を痛めるのはおかしなことかもしれないけれど。それでも悲しくなるのだ。



「……そういえば、リオネルさんに渡したいものがあるんでした」


「私に、ですか?」


「ええ。とってきます」



 勉強の途中なのは分かっている。ただ、表情が崩れてしまいそうだったから少しだけ、その場を離れたかったのだ。一度部屋に戻って、目的の物を手に取った後に軽く深呼吸をした。最近の私は、リオネルに心を寄せすぎている。彼が泣くわけでも、悲しそうな顔をするわけでもないのに、私が泣きそうになってどうするのか。

 心を落ち着かせてから台所に戻る。何故か魔道具の上にヤカンが乗っており、お湯が沸かされようとしているところだった。



「マコトさまがお疲れの様子でしたので、お茶でもお淹れしようかと。……お仕事の後に私にまで教鞭をとられるのは、大変でございましょう。申し訳ありません」


「リオネルさんこそ、働きすぎですよ。それに、謝られることじゃありません。私も好きでやってるんですから」



 リオネルが自分が好きで私の世話とまで言えるようなことをしているのと同じだ。私だって彼のためにできることがあるなら何でもやりたいと思う。……今から渡す物を喜んでもらえるかは、分からないが。



「これ、リオネルさんに使って欲しいと思って買ったんですけど」


「……それは、お守り石ですか?」



 そう、隊商から買ったお守り石だ。リオネルの目に似た色の石も使われている、厄除けの願いがこめられたものである。

 あまり自分でお金を出して買ったという気はしないのだが、それでも彼に持っていてほしい。あちらの世界でパワーストーンや神社で貰うお守りのようなものを信じたことはなかったけれど、この世界には神がいると知っている。それならば、きっとこのお守りにも何かしらの効果があるのではと、そう思ったのだ。



「リオネルさんに降りかかる災厄が、少しでも退けられますように」



 リオネルに差し出した掌の上で、一瞬緑の石が光ったように見えた。窓から入ってくる月明りを反射しただけなのか、言葉の魔法がかかって本当に何らかの効果を得たのかは分からない。

 そしてリオネルは、私の手の上に乗せられたお守り石を、呆然ともいえる表情で眺めていた。なんというか、いつも大体笑っているので初めて見る顔である。



「……あの、リオネルさん……?」


「…………ああ、いえ…………私が頂いてもよろしいのですか」


「はい。迷惑でなければ」



 恐る恐る伸ばされたリオネルの両手は、お守り石ではなくそれを乗せた私の手を包むように掴んだ。細く見える長い指だが、触れられてみればとても固く、それはたくさん剣を握ってきたからだと想像できる手だった。

 何故お守り石ではなくて手を掴むのかと吃驚しながらリオネルの顔を見つめたら、何故か泣きそうな顔をしていて二重に驚かされた。どこに泣く要素があったのかまったく理解できなくて内心焦り始めた時、ようやく彼は口を開いた。



「……お守り石は、誰かに結んで貰わなければ身に着けることができません。結んでいただけますか」


「え、はい。それはいいんですけど……結び方、知りませんよ?」


「お教え、いたしますので」



 リオネルに指導されながら、彼の左手首にお守り石を結ぶ。あまりにも複雑な結び方で、初挑戦の私では上手いとはいえない、不出来なものとなってしまったがリオネルは嬉しそうに手首の石を見つめている。

 確かにこれは一人で身に着けることは不可能であろうと思った。……一人で身に着けられないということは、誰か結んでくれる人がいないとこれを着けることはできないということである。



「誰かに贈り物をされるというのは、初めてです。……それに、お守り石とは一生無縁だと思っておりました。誰かにこの身を思っていただける日など、来ないものと……」


「…………何言ってるんですか、友達のことを思うのは当然でしょう」


「そうですね。……この世で私を思ってくださるのは、きっと貴方さまだけでしょう」



 悲しいことをそれ以上言わないでほしい。せっかく落ち着いた気持ちがまた揺さぶられて、泣きそうになってしまうではないか。

 沈みかけた私の気持ちは、次のリオネルの一言で一気に他の方向へと動かされた。



「本来ならこれは特別な異性に贈る物ですが……私の説明が足りませんでしたね」


「え」


「特別な意味がないことは、重々承知しております。貴方さまにはこちらの知識がまだ、足りておりませんので。これを贈り合うと、将来を誓い合ったことになるのですよ。村の娘たちに、貴方さまの好む石を訊かれたでしょう?」



 思い返せば、何やら期待したように女性たちに好みの石を訊かれたような気がする。そんな特別なものだから、売っている商人も女性用の石を勧めていた訳か。



「でも、私も男物が買えました……よね?」


「ああ、それはなんといいますか……貴方さまのように、容姿の整った方は異性除けとでも申しますか……交際の申し込みに辟易として、恋人がいるように見せかけるために買うのです」



 お守り石の正しい使い方は特別親しい異性、大事な相手に贈って結婚を約束するようなものだという。いわゆる婚約指輪のようなものだ。あとはまあ、恋人ではない異性に送って「結婚を前提にお付き合いしてください」という告白にも使われるとか。たった今、私はそれをやってしまったところである。……やらかしてしまったところである。

 そういう意味のある装飾品なので、身に着けていれば大事な相手がいると思われて交際の申し込みをするような人間は居なくなるため、モテる人間は自分用に買うという。そしてそういう人間は信頼できる家族や友人に結んで貰うらしいが。



「ご、ごめんなさい。まさかそんな大変なものだとは思わず」


「いえ。貴方さまは純粋に、私の身を思ってくださったのだと分かっております。そのお気持ちがとても嬉しかったので……それに、私にこれを贈るのは貴方さま以外に居ないでしょう。ですから、大事にさせてください」



 私もこのお守り石がそのような意味のあるものだと分かっていたら、わざわざこれをリオネルに贈ろうとは思わなかっただろう。ただ単に、その名の通りのお守りであり、贈り物として一般的だと思ったからこそ贈ったのだ。

 男だと思われているからこれだけで済むのだが、私が女だと知っていたらどういう反応をしていいか分からなかったに違いない。しかし、今更返してくれとも言えない理由がある。



「マコトさま、ありがとうございます」



 リオネルの肌は日に焼けておらず、本当に白いのだ。だから、赤みがよく目立つ。目元や耳の先が色づいて、目には薄っすらと涙の膜が張っているように見えた。嬉し泣きという言葉は知っていたが、見るのは初めてだ。

 本当に喜んでくれているのだと、今までに見たことがないくらいに嬉しそうな顔で笑っているのを見れば分かってしまう。まったく、ずるい笑顔だ。これを見て返してくれなどと、言えるはずがない。

 この顔をするのが女だったら、大抵の男はくらりとくるに違いない。残念ながらリオネルは男であり、それを正面から見てしまった私をドキッとさせただけだが。



「そういえば、マコトさまの手は随分小さいのですね。驚きました」


「……そんなことありませんよ、普通です」



 ニコニコと笑いながら言われた言葉に、引きつりそうな頬をなんとか笑顔に保ちながら返した。今度は違う意味でドキドキしている。

 いままでリオネルが私の手を握った時は、籠手をつけていたので手の大きさなど気にならなかったのかもしれない。今回は素手だったから、大きさの違いがよくわかってしまったのだろう。

 男女の差、というやつだ。性別がばれてはいないかとかなりヒヤヒヤしたが、リオネルは何も言わずに笑っているだけだった。……何も言われないから、きっとばれていないのだろう。

 

(心臓に悪い、ほんとうに)


 迂闊なことはやるべきではない。その日はもうドッと疲れてしまって、リオネルの漢字の勉強を続けることはできなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る