第30話 聖女僧侶と会議



 睡眠。それは切り離せない煩悩の一つ、体の生命活動維持に大切なもの。日本で最も有名な妖怪漫画家は、どんなに忙しくても睡眠時間だけはしっかり確保して、大往生と言われる年齢まで長生きされた。寝るのは体に良い事なのだ。そして、寝ないのは悪いことである。

 睡眠が足りなければ人間の思考力はとことん低下する。理屈の通らない理論を振りかざしてしまったり、それを実行してしまったりするのである。……そして私は眠たいのに魔力を消費するという馬鹿なことをやらかして、意識を保てず眠ってしまったのだ。


(……寝る前の行動を殆ど思い出せない……リオネルさんに魔法使った以降記憶がない……)


 つぶらな赤い瞳で見つめてくる馬の顔を撫でて、体を起こす。見覚えのない部屋だが、寝台の傍の台には衣が丁寧に畳まれていた。寝落ちそうな私がこんなに綺麗に畳めるとは思えないので、リオネルがやってくれたのだろう。



「……リオネルさん、は……」



 部屋の中には見当たらない。見える場所にリオネルが居ない。それだけで不安に襲われた。ここは王都の、王が住まう城。色素の薄い髪色の貴族に対する差別が当たり前に存在している場所。私が眠ってしまっている間に、何かあったのではないだろうか。

 そんなことを考え始めた時、突然扉が開いたことに肩を跳ね上げる程に驚いて、現れたのが見慣れた黒い鎧であることに心底ほっとした。彼は何やら籠を抱えながら部屋の中の小さなテーブルにむかっていく。



「お目覚めでしたか。起こさぬようにと合図をしなかったのですが……」


「ああ、いえ。大丈夫です。すみません、自分だけ寝てしまって」



 体は起こしたがまだ寝台の中である。だらしないことこの上ないので、リオネルが背を向けている間に寝台から降りた。すぐ傍に草履がきちんと並べられていたので、それを履いて立ち上がる。



「マコトさんの魔法で私には疲れがありません、ので……」



 振り返ったリオネルは一度固まった後、そっと顔をそらした。裸足を見られた時と似たようなリアクションだが、今回はきちんと足袋を履いているはずだ。



「……お召物が少し、乱れていらっしゃるようです」


「あ、すみません。直します」



 普段眠る時は作務衣さむえに着替えるが、今回は衣を脱いだ白衣はくえ姿である。これは昔ならば下着姿に相当するが、ここまで露出のない服を着ていて下着を晒している、という感覚は現代人にはないものだ。

 僧侶は衣の下にこれを着るものだけど、腰の位置で帯を巻くためその位置が括れる女性が着ると崩れやすいのである。……寝ている間に少々着崩れたようだ。それでも肌が露出するほどではないのだが、不恰好なので手早く直すことにした。

 私が帯に手をかける前にこちらを見ないよう背を向けるあたり、リオネルは大変紳士である。


 一度帯を解き、白衣の合わせ目をキッチリ整えて着付け直す。私もリオネルも喋らないので衣擦れの音だけが部屋を支配していた。

 この着替えにかかる時間など微々たるものである。慣れてしまえばこれを着るのには一分もあれば充分だ。そのあとは畳まれていた衣にも袖を通した。……性別がばれてしまっているのでもう隠す必要がない分、気が抜けてしまっているようだ。申し訳ないことをしてしまった。



「軽食を作ってまいりましたので、どうぞ」


「ありがとうございます、いただきます」



 リオネルが持ってきた籠の中身はおにぎりだった。魔力を消費したあとは睡眠と栄養を体が欲するので、素直に頂くことにする。白馬が物欲しそうな顔をしている気がしたので、そちらには薬草を与えておいた。

 目が覚めた時彼が居なかったのは、この食事を用意していてくれたからだろう。本当にまったく、痒いところに手が届くというか、いつもありがたい。



「……リオネルさんが居ないと気づいた時は心配しました。私が眠っている間は何もありませんでしたか?」


「何もなかった、という訳でもございませんが……」



 私が眠っていた数時間の間に、事態は結構動いていたらしい。それをリオネルに聞かされながら食事をしたが、なんというかまあ、せっかく美味しいおにぎりの味がぼやけてしまうような話だった。

 リオネルは上層部に呼び出され報告を怠ったことで苦言を呈されたものの、私が彼を気に入っていると理解させられた宰相は特に罰則を与えることができなかったようだ。ひたすら嫌味と皮肉を聞かされたくらいであったと笑って言われたが、私にとってはそれでも大変不愉快な話である。……罪にならないのはよかったけれど。


 聖女、もとい上坂聖という女の子も事情聴取のようなことをされたらしい。彼女は私と同じ様に、特別な魔法を持っていた。それはどうやら愛に関するものであったようで、六名の勇者はすっかり彼女の恋奴隷……盲信者となっており、彼女が聖女でないことを受け入れられない状態だという。私に飛び掛かろうとしたイフリーオの様子を考えれば、他の五名も推して知るべしというものだ。

 そして彼らの魔法は解くことが出来ずお偉いさん方は頭を抱えている、とそういうことらしい。いくつもの条件をクリアした優秀な六名が使い物にならないのは確かに大変困るのだろう。



「それに、彼女はもう聖女としてのお披露目を済ませてしまっているので……」



 それもまた問題だ。聖女は既に盛大なパレードでお披露目され、絵や写真で顔が知れ渡っている。いまさら実は間違いでした、と簡単に済ませられる問題ではない。

 今、上の方では責任の擦り付け合いすら起きているとリオネルは言う。つまり、何故私の性別を確かめなかったのかとか、聖女である可能性を考慮しなかったのかとか、まあそういう話だ。私が大変紛らわしい格好であったのも原因なので、少しばかり申し訳ない。あれは不幸な偶然が重なったのだ。私の胸がもう少し大きければ……いや、これは私のせいではない。断じて違う。



「目覚めたら今後について話し合う会議に参加していただけないか、と国王の仰せですが」


「それなら行きますよ。私にもお願いしたいことがありますしね」


「では、そのように伝えてまいります」



 私の意見を聞いてくれるというのはありがたい。私にも望みがあるからだ。

 そしてその一時間後に、小さな部屋で会議は開かれた。参加者は国の最高位である国王と、進行役の宰相、前にも見た護衛の騎士と、私とリオネル、そして元聖女の少女だった。ちなみに六名の勇者は私を前にすると危害を加えかねない状態であるので、隔離されているという話である。……愛の魔法とはなんと恐ろしい力であろうか。



「我々としては聖女さまには今後この王城に住み、聖女さまとして過ごしていただきたいのですが……しかし、まあ、その、こちらの方が聖女さまとして国民にも知られておりますので……今後も、年明けの宴などには参加していただかなければ信用問題になり……」



 宰相が言いにくそうにするのも分かる話だ。つまり、国は聖女を間違えたという事実を隠したいわけである。私を表舞台に立たせるのは都合が悪いので、これからも聖に表の聖女を務めさせて何もなかったように振舞ってほしいのだ。そして私に表に出て欲しくはないが、聖女としての役目は果たして欲しい、と。国としてはそれが一番良いのだろうが、誠実さを欠いた話でもある。



「もちろん、聖女さまの望みにはできうる限りお応えいたしますし、不自由は一切させるつもりはございませんので……納得していただけないかと……こちらの方には表舞台に立っていただくだけで、普段は聖女さまとして扱いはしませんので……」



 先ほどから汗をぬぐう手が止まらない宰相も中々に可哀想に思えるが、私は下を向いて震えている少女の方が心配だ。彼女は妊娠初期の不安定な状態でもあるわけだし、あまりストレスがかかる状況にいてほしくない。


(表舞台に出ないのは大賛成なんだけど、王城に居るのはちょっとな……リオネルさんが苦しいだろうし)


 彼にとっては針の筵のような場所だ。私はそんな場所を歓迎することはできない。どうにか上手い提案はないかと考えていた時だった。



「私が聖女だって、貴方たちが言ったんじゃないですか!だから、私は……!」



 勢いよく立ち上がった少女が、目に涙を溜めながら叫ぶように言った。聖が言う通り、この国の人たちがまず彼女を聖女だと言ったのだ。彼女はその通り振舞っていただけで、聖女という広告塔になってしまったことに責任はない。

 この子が取るべき責任とは、六人と関係を持ってしまったということ。これは大問題ではあるが、彼女が聖女として広められたことは彼女の責任ではない。



「けれど、貴女では聖獣を育てられないのです。聖獣は、聖女のもとにしか現れないのですから」



 宰相のその言葉を聞いたとき、私の中に一つの疑問が浮かんだ。聖女の役目は二つあると聞かされているが、そのどちらも本当に国を救う聖女としての使命なのかと。



「……すみません、一つ確認させてください。聖女の使命、というのは……聖獣を育てることと、子供を成すこと、でしたよね」


「ええ、そうでございます」


「聖獣のことは分かるのですけど、子供は何故ですか?聖女の子にもまた、聖獣を育てる力がある、ということでしょうか?」



 リオネルの話では、聖獣というのは聖女の前にしか姿を現さないという話だった。そもそも子孫の前にも現れるなら、何度も聖女を呼び出す必要などないはずである。



「いえ、そういう訳ではございません。ただ、魔力の強い聖女さまのお子もまた、強い魔力を持って生まれるのです。ですから……」



 聖女の子を王族や貴族に取り入れることで強い魔力を残しやすくなる。つまりは貴族の魔力を保つために、聖女の子が欲しいという話であった。聖女にしかできない魔を払うという行為とは、まったく別次元のことで拍子抜けしてしまう。それは、この国の貴族達の都合だ。……まあ、それが分かってるから無理やり結婚させるのではなく、六人もの精鋭を揃えてお膳立てをする形なのだろうが。



「聖獣はその人に育ててもらって、私が子供を産めばいいじゃないですか!私だって、私だって強い魔力があります!!私の魔力は歴代聖女のなかでもずば抜けてると、貴方たちがそう言ったじゃないですか!!」



 ボロボロと涙を零す聖をどこか面倒くさそうに見遣る宰相の顔を眺めて、思う。国の上層部にも責任があるはずだが、彼らは全てをこの少女に押し付けようとしてはいないだろうか。

 聖女でない異邦人で、しかも良家の男子六名を彼女以外に従えないような状態にしてしまったのだから良い感情をもてないのは当たり前かもしれないが、それでも彼の態度はあまり良いものではない。問題を起こしていなければ真摯に接していたのかもしれないが、これではあまりにも無責任に見える。



「聖さんがそれでいいなら、私もそうしたいですね。それなら私がここに住む必要もないでしょうし」


「せっ聖女さま!?それは、一体」


「私はあの村で僧侶として今までどおり生活したいのです。聖獣は王都でなければ育たない訳ではないようですし、あの村でもその役目は果たせるでしょう」



 今も私の傍で寛ぐ馬の顔を撫でてやる。私にずっとついてくるのだから聖獣にとっては場所なんてものは関係なく、ただ聖女の傍に居るのが大事であるのだろう。そして聖獣さえ無事に育つなら国の魔物は減っていくのだ。

 私の発言に宰相は取り乱していたが、聖はぽかんとした顔でこちらを見ていた。理解できない、という表情だ。……彼女にとっては聖女という立場が、ここで暮らすことが、華々しいものに思えているのかもしれない。けれど私はそれを望んでいないのだ。



「村の人々には私が聖女と悟られぬように致します。まあ、もし気づかれたとしてもあの村に住む人は、元々居ない人間ということになっていると聞きましたし、さほど問題はないのではありませんか?」


「それでは、お子が……!!」


「子供は国を救うことには関係がないのでしょう?事態をややこしくしてしまった責任はそちらにもありますし、多少の不都合は飲み込んだらいかがですか?」



 正直、付き合いきれないという思いで胸がいっぱいだ。彼らが最初私に親切にしてくれたのは、贖罪であっただろう。それは本当にありがたかったし、感謝している。けれどこれ以上の醜い内側の事情を見てしまうと、私はこの国を嫌いになってしまいそうだ。

 私は聖女としてちゃんとこの国の魔を払う仕事をすることに異論はない。だからその他は好きにさせてほしい。



「聖女さまの望みは……オルビド村で暮らすことなのですか」



 それまでずっと黙り込んでいた、国王の発言に場がシンと静まり返った。宰相はとても分かりやすい人間だが、この国王は正直よく分からない。その茶色の目はただ静かに私を見つめている。



「はい。私は今までどおり、オルビド村で暮らしたいと思っています」


「では、伴侶はどうなさるおつもりでしょうか。聖女さまは体の時が止まっております。聖女であることを隠し、僧侶として暮らされるなら……性別もまた、隠し続けるのでありましょう。それでは、時を動かすことができませぬ」



 僧侶になれるのは男だけだ。今の発言はそれを黙認してもよい、という意味にもとれる。ただしそれは村人に隠しきれるならば、という条件付きなのだろう。そして時を動かせなければ誤魔化し続けることはできないぞ、と言われているのだ。



「伴侶となる方はもう、既に決まっております。村人でもありませんし、ご心配なく」


「お待ちください聖女さま!それは、つまり、聖女さまと婚姻するのは、リオネルということではないですか……!?」



 私の事情を知っており、村で共に生活し、村人でない人物となればリオネル以外に存在しない。それに思い当たって慌てて声を上げたのは、王の側に控える護衛の騎士であった。この会議以前、王と面会した時もリオネルを睨んでいた人物なので、まあその反応は妥当である。思いっきりこちら、というか私の背後の黒い鎧を睨んでおり、距離がなければ今にもつかみかかりそうな勢いだ。



「リオネルは報告の義務を怠り、自分だけが聖女さまに取り入ろうとしたのでしょう。このような男を傍に侍らせておくのは聖女さまのためになりませぬ」



 ああ、なるほど。リオネルが私に会わせたくないと言っていたのはこの騎士だ。それからどうにか私を説得しようと、私にとって一番大事な人への悪態を垂れ流す口を王も宰相も止めようとしないのは、私の気が変わった方が良いと思っているからだろうか。……全く、逆効果なのだが。



「口を閉じなさい」


「ッ……!?」



 普段、そのような言葉遣いを人にすることはない。私は偉くもなければ敬われるような人間でもないからだ。それでも命じるように言ったのは、明確に魔法とするため。それ以上聞くに堪えない言葉を発することができないようにするためだ。

 口を閉じろと言ったのだから、その騎士はこのままだともう口を開けることはできない。私が許すまでは。



「私の魔法は、言葉の魔法であるそうです。このように命じれば、人はその通りに行動するしかなく……人以外、自然にも干渉できます。あらゆる事象を、口にするだけで思うままに起こすことができると」



 もちろんデメリットもある。嘘が言えず、意識していない時でも魔法が発動してしまい、自分で使う魔力の調整が出来ず意識を失うことだってある。けれど重要なのはそことではない。私が願えば何でも、人の命すら容易く手折ることができてしまうということ。



「あ、もう口を開けて良いですよ」


「っ……は、……せ、聖女さま……私は、ただ……」


「もし、この方に何かあった時は……私も、何を言ってしまうか分かりませんね。人を、国を滅ぼす様な呪詛を、この口が零すかもしれません」



 これは脅しだ。こんなことをするのは柄じゃない。笑顔を貼り付けているものの、心臓はバクバクと音を立てている。けれど、ここでリオネルを護ることができるのは私だけだ。

 彼はずっと私のためを思って行動してくれていた。たしかに彼が逐一私の様子を報告していれば、私はこちらに連れ戻されて性別がばれるのも早かったかもしれないが。私はあの村での生活を望んでいて、リオネルはそれを護ってくれていたのだ。それを悪しざまに罵られるのも、それを理由に遠ざけられるのも納得がいかない。

 脅しも聖女特権もすべて利用して、これが悪業でいつか己に返ってくるものだとしても甘んじて受け入れよう。いつも支えてくれる彼を、私だって護りたいのだ。



「それで、私の望みは叶えてくださいますか?」



 決定権を持っているのは騎士でも、宰相でも、元聖女の少女でもない。真っ直ぐに見つめた国王は、穏やかに微笑んで見せた。



「聖女さまの、おおせのままに」



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