第4話 新米僧侶、新天地にて




 私がこれから異世界の僧侶として生きていく村は、木々に囲まれた小さな村だった。重たい空気と長時間座りっぱなしの姿勢から開放され、清清しい気持ちで馬車から降りた瞬間。熱烈な歓迎を受けた。



「僧侶さま!ようこそオルビド村へ!」


「ようこそおいでくださいました!僧侶さま!!」



 村の住人総出でのお出迎えであると後に聞かされるのだが。とにかく唐突に五十人程の人間に囲まれ、その大合唱ともいえる歓迎の言葉とキラキラ輝く期待に満ちた目を一身に受けた私は、呆けながら半笑いするしかなかった。

 いやほんとうに。降り立った途端に目に飛び込んでくる人、人、人。耳に飛び込んでくる僧侶さまコール。心の準備ができていなかった私にはかなりの衝撃だった。

 私が馬車から降り立って直ぐ固まってしまったせいで出口を塞がれ、降りるに降りられなかったリオネルから声を掛けられるまで、すっかり意識が彼方に飛んでいた。いかんいかん、しっかりせねば。



「はじめまして、神宮寺 真です。新米の僧侶ですが、よろしくお願いします」



 どうにか浮かべた愛想笑いで軽く挨拶をしておく。半歩さがって私についているリオネルは無言のままである。……私が紹介した方がいいのだろうか。した方がいいんだろうな。



「こちらは私の補佐をしてくださるリオネルさんです。今日から二人でお世話になります」



 背後からとても視線を感じる。余計なことをするなという意味だろうか。でも挨拶は大事だろう、私はここで暮らすのだし、私の補佐をしなければならないリオネルだって長期の滞在は避けられないはず。印象は悪いより良い方がいいに決まっている。

 しかし、何故だろう。若い娘さんたちからの視線が熱い気がするのは。……気のせいだと思いたいのだが。


(声も元に戻ったのに、男に見えるのかな……何でだろう……)


 集まっている村人を観察しながら、ふと気づいたことが一つ。男女の関係なく全員の髪が長めである。短髪と呼べる人はいないようだ。

 彼らの髪は様々な色をしているが、日本人に多い暗い茶や黒色は見当たらない。非常にカラフルである。そして男は皆、高い位置で髪を結っており、女は皆髪をおろしているか、肩より下で結わえている。

 これを見る限り男女で髪型に決まりがあるように思えるが……そうだとしたら、ポニーテールの私は男に寄り分けられてしまう訳で。


(……あとでリオネルさんに訊いてみよう。ついでに女だって言えたらいいけど)


 頬を赤らめてこちらを見る若い娘さんたちと、それを見てちょっと悔しそうにしている若い息子さんたちを見ていると少し、というかかなり厄介な事態になっている気がしないでもない。……これ早くどうにかした方がよいのでは?



「わたしは村長をさせていただいております、オルロと申します。僧侶さま、リオネルさま。以後お見知りおきを。さあ、さっそく教会までご案内しましょう。こちらです」



 村人の集団の中から柔和な顔をした一人の老人が歩み出た。顔の皺にはしっかりと年月が刻まれているが、背筋はピンと伸びていて足取りもたしかなものである。年齢を感じさせないおじいさんだ。

 リオネルは名前を呼ばれるのに私は「僧侶さま」呼びである。毎度自己紹介はしているのだけど、この世界に来てから名前を呼ばれていない。馴染みがないから呼びにくい名前なのだろうか……少し寂しい。


 そんなオルロ村長に案内され、私とリオネルは村の中を歩く。出迎えてくれた村人たちはそれぞれ仕事に戻り、城から来た御者も帰路についたので、私たちの後ろについてくるのは荷車を引く男衆だけだ。人が少なくなったことに少しほっとした。大勢に見つめられるのはやっぱり緊張してしまう。



「この村にはいままで僧侶さまが滞在することがありませんでしたので、本当にありがたいと……」



 道すがらオルロが村の話をしてくれた。この村は外との交流がほとんどなく、月に一度商人が訪れる以外に外部の人間がやってくることも殆どないという。この世界の医者であり、薬を作る「僧侶」も勿論いない。魔法薬は新鮮なほうが効き目が高く、時間が経つと効力が落ちていくのだ。買い置きができるものではない。……そんな中で暮らしていくのは大変だっただろう。

 それを感じさせないような明るい笑顔で、心底嬉しそうに話をする老人に相槌を打ちながら私も笑う。後ろについてくる鎧の中の人は顔も見えなければ声も発しないので、どういう状態なのか不明だ。少しは会話に入って来てくれてもいいと思うのだけど。



「この村に教会が出来ると聞いた時は、それは嬉しゅうございました。毎日大地の神に祈りは捧げておりますが、やはり教会の礼拝堂で祈ることができるというのは、特別な気がいたしますなぁ」



 この世界の僧侶は医者であり薬剤師であるが、僧侶の住む教会は宗教の場でもある。ここの人々はとても信心深い。信仰されている宗教は多神教であり、日本の神々のように多くの神が存在するが、その中でも特に大地の神が敬愛されている。裸足になっていいのは風呂と寝具の上だけ、などという価値観が存在するほどなのだから相当なものだ。

 私としては正直、面倒なことこの上ない。信仰がではなく、裸足になってはいけないという部分が、である。……家では靴下なんて履かないで裸足で過ごすほうが多かったし、靴下があまり好きではないのだ。


 私が今履いている足袋や草履も、元々使っていたものではなく職人が同じ様な物をこしらえた物。大地を踏んでも許される、魔力の篭った特別製だ。むこうから履いてきた魔力が籠っていない足袋と草履は処分されたらしい。それでも、元の物と遜色ない出来であるので文句はない。

 歴代聖女の影響か、ところどころに和風な文化が窺えるこの世界では和服を作る技術もあるのだろう。この足袋と草履に違和感はまったくない。むしろ履き心地はこちらの方がいい。


 話がそれた。とにかく、彼らはみな信心深い。おそらく毎日教会に通って、神に祈りを捧げるのであろう。それを静かに見届けるのも僧侶の仕事の一つである。


(ただ、私はまだこの世界の宗教がよく分かってないし、神に祈りを捧げる……っていうのもピンとこないんだよねぇ)


 私は元の世界でも僧侶だったけれど、本当に神や仏の存在を心の底から信じていたわけではない。宗教は心のよりどころであり、神や仏は居ると思う人にとっては居るのだろう。それが救いになる。……ただ、私にはそれがピンとこない。……元の世界に神や仏がいるなら、巻き込まれて異世界に連れてこられた私を引き留めてくれてもよかっただろうに。

 いや、まあ、神仏がそういうことをしてくれる存在じゃないのは分かっているけど。いないのかもしれないわけだし。


 しかし、この世界にはきっと本当に、神がいるのだろう。そうじゃなきゃ、魔法なんてものをないと思っていた私が魔力という不可思議な力を使って薬を作ったり、突然異世界につれて来られたりするはずがない。そんなことあってたまるか、と思う。こんな理不尽に巻き込んでくれた存在が神でなければ呪ってしまいそうだ。


(……いかんいかん。前向きにいこう。暗くなったって何も解決しないんだから)



「ここです、僧侶さま。リオネルさま。立派な教会でございましょう?」



 オルロの明るい声で顔を上げた。真新しい木造建築の、小さな教会がそこにあった。和風文化がそこかしこに見えるので、寺や神社のような建物をちょっとだけ期待していたのだけど。さすがにそこまで日本式とはいかないらしい。



「中を見て回ってもよろしいでしょうか?」


「ええ、勿論です。その間に居住区の方に、荷物の運び入れも進めておきましょう」


「すみません、お願いします」



 城から来た御者はもう帰ってしまったので、大量の荷物はこの村の人々の力を借りて運ぶことになる。荷解きは自分でやるつもりだが、運び入れだけは力のある男の人にやってもらうとしよう。私は生物学上女であるからして。力仕事は不得意分野なのだ。


(教会のお堂に畳を使ってもらえるようにお願いしたんだけど、どうなってるかな?)


 少しだけ期待を胸に、いざ教会の扉を開いてみる。そこには確かに畳があった。あったのだけれど。



「……タタミ椅子とは、変わった物を所望されましたね」



 ここまで無言だったリオネルがぼそりと漏らすくらいには、妙な光景だったらしい。座る部分と背もたれが畳で出来たような長椅子がずらりと並ぶ礼拝堂の中は、畳に使われたであろう植物のにおいに満ちていた。イグサとは違うがこれはこれでいいにおい……と現実逃避をしてみるけれど、目の前の現実は変わらない。

 誰がこんな変な椅子を所望したというのだ。私か、私なのか。



「私の想像ではこう……もっと…………いえ、やっぱりいいです」



 この堂の床は一面石で出来ていて、おそらく靴を履いたまま上がり、正面にでかでかと置かれている像に向かって祈るのだろう。近づいてみてみれば、その像だけは石ではなく粘土を焼いて作った物であるように見える。リオネルに尋ねれば、それが大地の神であるという答えが返ってきた。


 ここは私が暮らしていた世界ではない。ここは寺ではないし、仏像や畳の敷き詰められた本堂があるわけがない。似たような物が存在していても、ここは元の世界と同じではない。似たような物が存在するからこそ、私の言葉は別の意味で解釈されてしまう。そのことが、まったく別世界であることを突きつけられたような気がして、急な不安に襲われそうになっただけだ。

 私はこの世界のルールに従って、この世界の価値観を覚えながら生きていかなければならない。受け入れなければならない。そうしなければ、おかしくなってしまう。生きていけない。


(大丈夫、大丈夫。この国のお偉いさんも出来る限りのサポートをしようとしてくれている。私はここでも生きていける)


 小さな溜息をついたのだが、無口な護衛は何も言わなかった。それはありがたいような、寂しいような。私はこの人と仲良くやっていけるだろうか。



「さて、見学はこれくらいにして……家の方に行きましょう。荷解きをしなきゃいけませんしね」


「……それが終わりましたら、お話がございます」


「ええ、分かりました。じゃあ早く終われるように頑張りましょうか!」



 努めて明るく、笑顔を浮かべて。元の世界のことは、頭の隅の方に追いやって。忘れるように、忙しなく動くことにした。

 しかしそれでも荷物は多く、教会と扉続きになっている居住区が家と呼べるほどの体裁を整えられたのは、すっかり日も暮れた夜になってからだった。



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