第5話 新米僧侶、秘密を抱える



「あー……頑張ったなぁ……」



 夜である。この世界の夜は月が明るく、窓を隠さなければ明かりは小さくても困らない。

 どうにか荷解きを八割方終えて、食事と風呂を済ませてようやくゆっくりできる時間が訪れた。私の部屋は希望通りの畳部屋だ。扉を開けたら靴を脱ぐ土間のようなスペースがあり、その奥に畳が六枚敷き詰められた――つまり、六畳間の和室である。

 ここは寝たり、ごろごろしたり、だらだらしたりするためのプライベート空間で、その他仕事部屋などは別に用意されていたので、この広さでも充分快適に過ごせる。


 そして寝具はベッドではなく布団が用意されていた。なんと粋なはからいだろうか。早速敷いてその上に寝転がる。この世界に布団がある、ということは畳と同じように過去の聖女が布団を作らせたのだろう。布団で眠れるのは普通に嬉しい。いやほんとうに嬉しい。


(しっかりストレッチして寝よう。明日筋肉痛にならないためにも!)


 足袋を脱ぎ捨て、開放感に満たされながら作務衣さむえによく似た寝巻きの紐をしっかりと結ぶ。作務衣は甚平の長袖版というか、上下で分かれいて着るのが簡単であり、なおかつ動きやすく、ついでに脱ぐのも軽々というとても便利な和服である。

 この世界で僧侶が着る服は黒色と決められているのか、寝巻きであるこの服も真っ黒だ。私に僧侶の講義をしていた講師も真っ黒な服を着ていたし。多分、そうなのだろう。


(流石パジャマ代わりにされてるだけあって楽だなぁ。ずっと僧衣そういでいるのは疲れるんだよね)


 この世界に来る時に着ていた僧衣はカッチリしたつくりの物ではなく、動きやすく軽いころもだった。普段着として支給されたのは、この衣を真似してこちらの世界で作られたものである。箱の中に大量に収められていた。


(でも、作務衣の方が仕事しやすいんだよなぁ)


 動きやすいといってもそれは僧衣の中では、という話。足首までの長さで足に纏わりつくようなロングスカートよりも、膝丈くらいでふわりと広がるスカートの方が動きやすい。しかしパンツスタイルとは動きやすさを比べるまでもない。そういう話なのである。

 寝巻きとして支給されたこちらの作務衣のような服の方が動きやすいだろう。僧侶も掃除をする際は衣を脱いで、作務衣に着替えて庭掃除などの作業をする。この作務衣は伸縮性のある布で作られているようで、ストレッチも難なくこなせるのだ。

 この寝巻きで動きまわるのが常識はずれの恥ずかしいことでなければ、ぜひこちらで活動したいのだが。それはリオネルに訊いてみなければ分からない。


(そういえば、話があるって言ってたような……)


 バタバタしてすっかり忘れていた。などと考えながらも足を揃え、体を前に倒す。誰でも一度は経験しているだろう長座体前屈のポーズになった時、扉が控えめにノックされた。

 この家には私の補佐であるリオネルも当然住んでいるわけで。こんな時間に訪ねてくるのは彼以外にない。きっと昼間に言っていた話とやらをしに来たのだろう。ちょうど訊きたいこともあったし、何も考えずに「どうぞ」と返事をした。そしてゆっくり開かれた扉から、黒い鎧が見えたわけだが。


 彼はドアを開けたまま一瞬固まって、くるりと背を向けた。



「……足をお隠しください」


「あ、すみません。少々おまちを」



 この世界で裸足を他人に見せる行いは、春先によく現れる裸にコートだけを着た変態の行いに近いものである。この世界特有のそういう感覚は普通の日本人であった私にはまったくないもので、足を隠さなければならないなんてことはすっかり忘れていた。

 だが、考えてもみて欲しい。習慣や価値観が一ヶ月もせずに変わるだろうか。それが出来れば苦労などしないと思う。

 ちょっと慌てて足袋を履きなおしながら、今後はこれも気をつけねばと心に刻んでおく。リオネルには悪いことをしてしまったが、常識の違う異世界人なので許して欲しい。



「すみません、もう大丈夫です」



 もう一度こちらを見る彼の目は鎧で見えないが、軽く睨まれているような気もする。顔が見えないので例え睨まれていたとしても怖くはない。

 というか、夜でも全身鎧で疲れないのだろうか?これが私の護衛のための義務だったら大変申し訳ないけれど。



「……僧侶さまにお話があってまいりました」


「ええ、お昼にもおっしゃってましたもんね。よかったら靴を脱いで上がって……」


「いえ、このままで」



 言葉をさえぎって断られてしまった。やはり分厚い壁を感じる態度である。立ち話は疲れないかな、と思いながらもリオネル自身がそう望んでいるなら無理やり畳に上がらせるわけにもいくまい。

 ならばせめてと正座で背筋を伸ばし、相手の話を聞くことにする。そうするとリオネルは相変わらずの力ない声で話はじめた。



「この村は、いわば世間から隠された村です」



 それはこの村の成り立ちだった。ここに住んでいる人たちは、いわば世の中から消えたとされる人たちの子孫。訳あって国が処分した「居てはいけない人」である。

 例えば冤罪。国のために罪を被り表向きは大罪人として処刑されたが、この村に隠されて生きていた。

 例えば逃亡者。何らかの理由で己の国を失った王族や貴族が、住む場所を求めてこの国にやってきて、かくまわれた。

 そのような人々が暮らしてきた、隠れた村。それがこのオルビド村である。そして、聖女でないのに異世界からやってきてしまった私も、ここで隠れて暮らすべき人間だということだ。


(……まあ、私が居たら大変だろうからね)


 この国の事情に詳しい訳ではないが、なんとなく想像ができる。聖女と共にやってきた、聖女の世界の人間。いくらでも政治的に利用することができそうだ。私はこの村で一生を終えろ、と。そういうことなのだろう。

 そして、私の補佐として送られたこのリオネルも。暫くは、表舞台に立つことが出来ない。異世界人の存在は重要機密であり、そんな私と共にこの隠された村に派遣されるくらいだから、国が信頼できる程の地位にいた人物のはずだ。適当な人間を送るわけにはいかない。国にとっては苦渋の決断かもしれないが、当人からすれば左遷されたも同然ではないだろうか。


(それならこの人の暗さも、私に対する壁も理解できる……)


 むしろ当然の事だろう。私という存在がなければ、彼はまだ表舞台で輝かしく生活していたのかもしれないわけだし。なんだかとても申し訳なくなった。しかし、私には事情を知っていて手助けをしてくれる人間が絶対に必要なのだ。せめて、出来る限り迷惑をかけないように努力しよう。



「僧侶様の髪色は、黒に近い大地の色。そして女性のように柔らかい顔立ちをしておいでですので、この村の娘からの求婚が相次ぐことと思いますが」


「えっと……?」



 唐突に話が変わったので戸惑う。そもそも私は女であるので、女性から求婚されても応えられないのだが、たしかに若い女の子たちの視線は熱かった。理由はよく分からないけれど。



「……濃い髪色は好まれますので。魔力が強い証だと」



 私の戸惑いが、理解できていないこの世界の常識に基づくものだと気づいたリオネルが少しだけ補足してくれた。覇気のない声が、普段以上に力なかったように思えるのは気のせいだろうか。


(黒や茶の髪がモテる、っていうのは……外国人の髪色にあこがれるようなものかな)


 私の髪は現在暗めの焦げ茶だが、本来は真っ黒だった。黒い衣を着るとそれはもうあまりにも黒黒しているので、それが嫌で染めたのだが。元の世界だと明るい茶髪が流行っていたけれど、こっちだと黒い方がいいらしい。

 濃い髪色が一種のステータスとなっているという訳か。元の世界の男なら高い身長であったり、女なら胸の大き……これ以上考えると私の精神が傷つけられそうなのでやめておく。

 とにかく濃い髪色は身体的特徴として誇れる部分であるということだ。たしかに、ずらりとならんだ村人たちの中でも、髪色が濃い者は比較的長髪の傾向にあったように思う。見せつけるために、伸ばすのであろう。


 しかし、だ。そもそも元の世界だと黒髪や暗い茶髪が日本人の髪色であったので、私からすれば馴染みのない感覚である。色とりどりのカラフルな頭が並ぶ光景を見ても、やはり異世界だなぁ……と思うくらいで。その色の濃淡はどうでもよい。

 まあ、私が若い娘さんたちに熱い視線を送られた理由はこれで分かった。これから性別を明かした場合は、若い息子さんたちに熱い視線を送られることになるのだろうか。……居心地の悪い想像をしてしまった。考えるのをやめよう。



「……ですから裸足を見ないようにお気を付けください。女性の裸足を見てしまうと、男はかならず娶らなければならないので。それが出来ない場合、罰として体の一部を切り落とします」


「……え」


「二人きりにならないよう、注意された方がいいかと。足を晒し、無理やり嫁ごうとする者がいないとも限りません。……それから、嫌がる相手を嫁がせようと同意なしに靴をはぎ取ることは禁忌ですので、そちらもお気を付けを」



 衝撃で固まる私を残して、リオネルは部屋を出て行った。訊こうと思っていたことは重大な事実を知ってしまったせいで吹き飛んだ。

 男が女の裸足を見たら、結婚しなければならないとかいう理不尽な決まり事がこの世界にはあるらしい。そして私は今さっき、リオネルに裸足を見られたばかりである。


 つまり、私が女であることがリオネルに知られた瞬間、彼は私を娶るか、(どの部分かは定かでないが)体の一部を切り落とすかを選ばなければならないわけで。……迷惑をかけないようにしようと思った矢先にこれだよ。一体どんな冗談だ。



「ハハハ……」



 乾いた笑いが零れた。私の不注意が原因だが、笑うしかない。人間は自分の許容量を超えた出来事を前にすると、呆然と笑ってしまうものなのだなぁと頭のどこかでぼんやり考えた。


 この日、私は決意した。私が女であることは、絶対に隠し通してみせる。何故か皆私を男だと思ってくれているのだから、このまま勘違いしていてもらおう。そうしよう。それがいい。というかそれしかない。


 がっくりと項垂れたら、布団に頭がついた。今日はもうこの布団で寝てしまおう。



「明日は……いつもどおりの時間に目が覚めますように」



 私の起床時間は基本、朝の六時。まあこれは元の世界の時間であって、この世界の時間に換算すると別の名称になるのだが。明日も元気に働くためにはもう寝たほうがいい。

 しかし、慣れない場所だからなのか、それとも秘密を抱えることになったからなのか。中々寝付けないまま、夜は更けていった。


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