第23話 新人僧侶と再びの魔物



「魔物って……怪我人は!?」


「いえ、怪我は大したことありません。皆かすり傷程度で……」


「それでも怪我は怪我です。薬をもって直ぐに行きますから、礼拝堂に集まってください」



 以前、魔物が出た時は酷かった。今でも鮮明に抉られたロランの傷を思い出せる。今回はそんな重傷者は居なかったとしても、それでも落ち着くことはできなかった。

 液体傷薬、軟膏傷薬のどちらも用意して箱に詰め、礼拝堂に向かう。リオネルは無言でそれを手伝ってついてきてくれた。



「傷薬です。どちらでもお好きな方をお使いください」


「ああ、僧侶さま……ありがたいことです」



 礼拝堂に集まっている村人の中で怪我をしていたのは五人で、五人とも自力で動ける程度の怪我であったようだ。ただ、元の世界なら何針か縫うことになるであろう怪我をしている者もいる。流れる真っ赤な液体からは、思わず目をそらしてしまう。……これは、すぐ慣れられるものではない。



「僧侶さまのこの薬、美味しいんですよね……」



 しかし怪我をした当の本人たちは余裕の様子で、そんなことを言いながら飲む傷薬を持っていく。私がこの世界に来て最初に作り、そして自分で飲んだ傷薬は驚くほどの不味さだったのだが。美味しくなれと育てた薬草のおかげか、味は大幅に改善されているらしい。……私も一度飲んでみるべきだろうか。



「皆さんが無事で何よりでしたが……魔物は」


「魔物を狩る準備は足りておりませんでしたので、逃げてまいりましたから……まだ、森の中をうろついているでしょう」


「こんなに魔物が頻繁に出るなんて……はやく、聖女さまの力で魔が払われると良いですねぇ」



 隊商が来た時に村人たちも聖女召喚の話を聞いたようだ。この世界では聖女が召喚され、その力が世界に満ちると魔物が減ると言われている。何か聖女にしかできないことがあるのなら、あの女の子にはがんばってもらいたい、と思う。

 彼女も色々と大変かもしれないが、聖女でない私にはできないことだ。こればかりはあの子頼みにするしかないのである。



「近くに魔物が出てしまいましたから……討伐隊を組まなければなりませんね」


「討伐隊、ですか」


「はい。魔物は強いですから、こちらも準備が必要です。そうでなければまた、私のように怪我をするか……命を落とすものだって、いるでしょうし」



 そう話すのはロランだ。今回は怪我をせずに戻ってきていた。前回の傷は誰かをかばってのことだったと聞いたので、狩人としては結構な実力者であるのかもしれない。

 そんな彼は父親譲りである柔和な顔を厳しく、鋭いものにして考え込んでいる。魔物とは、それだけ危険な存在だということだ。……私は、目の前にしただけで動けなくなってしまった。



「僧侶さまが来られる前にも、魔物が出たことがありました。その時に、何人かが命を落としまして……狩人の数が足りないのです。僧侶さまの薬があるとはいえ、少々村の人間だけ魔物を狩るのは厳しいです、ね」



 そう言いながら、ロランの視線は私を見て、そしてゆっくり後ろに流れていった。無言で私の護衛をしている、黒い鎧の騎士がそこにいるはずだ。



「リオネルさまの手をお借りすることはできないでしょうか」


「……リオネルさんの?」


「はい。リオネルさまは前の魔物を一太刀で倒されたというお話で……大変強い力をお持ちなのですよね。そのお力を借りられれば、きっと魔物も倒せるはずです」



 振り返ってリオネルを見遣る。鎧の彼は一言も発することなく、微動だにせず立っているだけだ。ロランの問いに答える気はなさそうであった。

 再び私がロランに視線を戻したとき、彼は困りきったように眉をハの字にしていて、なんというか私が申し訳なくなった。リオネルからすれば、護衛対象である私から離れる気になどなれないだろう。それなら私も一緒に行けばいいのかといえば、そうでもない。護衛として離れないために私が危険な討伐隊に同行するなんていうのは本末転倒である。


 私だって皆の危険が排除できるならそれがいいとは思う。しかし、短い時間だが離れている間に私が魔物に襲われそうになったことを、リオネルは悔いている。そんな彼に護られるだけの存在である私が「行ってくれ」などと言えるはずがない。しかも、危険だと分かっているところへ。

 ……危険な場所へ行ってほしいなんて、願うものじゃない。そこへ行くことを決めていいのは、本人だけだ。



「だめ、ですか……仕方ありません……王都へ、嘆願書を出してみましょう。騎士団を派遣してもらえるように」



 誰かが死ぬと分かっていて、勝てない可能性が濃厚だと分かっていて、勝負に出ることほど愚かなことはない。

 王都から魔物退治専門の騎士団が派遣されるなら、そのほうがいいだろう。そちらはプロであるのだろうから、村人だけでいくよりもずっと安全なはずだ。

 ただ、そういう魔物狩りのエリートを無償で送ってくれるほど世の中は甘くできていないのだろうけれど。だから村人たちもできる限り自分たちの力で対処しようと、しているのだ。



「お待ちください。私が行きましょう」



 それはいつもより幾分か硬い声であったが、聞きなれたリオネルの声で間違いなかった。私は驚いて振り返りそうになったけれど何とか堪える。突然気が変わるなんて、一体全体どうしたというのだろうか。


(……騎士団、かな)


 喜ぶロランの顔を眺めて笑顔を貼り付けながら、思い当たることはそれだけだと考える。リオネルは以前騎士団に居たと言っていた。確執があるだろうことは簡単に想像できる。



「僧侶さま、お話がございます。よろしいでしょうか?」



 普段はマコトさまと名前で呼ぶ彼だが、人前であるからかそのように呼ばれた。やはり声色もまだ硬い。話というのは私も聞きたい内容で間違いないだろう。ならば直ぐにでもこの場を去って、何があったのか教えて欲しい。



「……分かりました。では皆さん、お先に失礼します。余った薬は回収しますね」


「ええ、僧侶さま。私どもも魔物討伐に向けて準備いたします。リオネルさま、どうぞよろしくお願いします」



 軽くなった薬の箱を持って礼拝堂を後にした。直ぐに薬を棚に仕舞い、話すならいつもの台所だろうとそちらに足を向ける。とりあえず入るなり扉に鍵をかけて、誰も入ってこられないようにした。

 さて、話し合いとくればやはり飲み物が必要だろう。まずはお湯を沸かすかとヤカンを手にとって――それを、手にすることができたということに驚いた。いつもなら黒い手が伸びてきて私からヤカンを攫っていくから。

 振り返って見れば、リオネルはまだ台所の入り口で立ち尽くしていた。



「リオネルさん、とりあえず座ってください。お茶、私が淹れますので」



 静かに着席する鎧姿を見てから湯を沸かす。といっても先ほど村人に呼び出されるまでは沸いていたものであり、まだ温かいので魔力も時間もほとんど必要としない。私にできるのは「美味しくなれ」と呟いて、本当に美味しいお茶を淹れるくらいである。

 二人分の熱い茶を運び、私も席に着いたがリオネルはまだ無言である。鎧兜を取ることもなくただ座っていた。仕方がないので、私は一人で茶を啜る。……魔法を使ったのにリオネルが淹れてくれたお茶の方が美味しい気がした。


(やっぱり、他人ひとに淹れてもらうお茶の方が美味しいってことかな)


 私が淹れても確かに味はいいのだが、不思議なことに誰かに淹れてもらった方がお茶は美味しいと感じるものだ。

 そしてそれを“若い女の子に淹れてもらうのが美味しい”と言い出せば、現代でいうセクハラにあたるようになる。誰かに淹れてもらうお茶は確かに美味しいが、それを若い女性に限定するからおかしくなる。誰かに何かしてもらうということに性別も年齢も関係ないはずなのに。

 ようは思いやりの問題なのだ。強制されるものではなくて、誰かが自分のついでに他の人にも配り、それを色んな人間がやればいい。というか、本来はそういうものであるべきだろう。そうやって人の好意は回っていくのだから。

 暫くそのようなどうでもいいことに思考を巡らせて私の湯のみが空になった頃。鎧で顔が見えないまま、リオネルはようやく口を開いた。



「私は、貴方さまの傍を離れたくありません」



 第一声がこれである。ただ、それは私もよく分かっていることだ。机の上で両手を硬く結ぶ姿を見ればそれが心底不本意であろうことは見てとれる。それを見なくても、普段の彼の言動を知っているのだから私がわからないはずがない。



「それは充分分かっているつもりです。リオネルさんが私を護ろうとしてくれていることを、疑ったことはありませんよ」


「…………はい。この度は勝手なことをしてしまい、申し訳ありません。私が離れる間、貴方さまを一人にしてしまうことは……本当に、心苦しいのですが……私はどうしても、この村に……貴方さまに、騎士団を近づけたくはないのです」



 騎士団は私が来る前にリオネルの所属していた、いわば古巣である。そこにいる人間のことは彼がよく知っているのだろう。国に嘆願すれば派遣されるであろうメンバーの中に、どうしても私に合わせたくない人間がいるらしい。



「あの男は……私を傍に置く貴方さまを傷つけるようなことを口にするでしょう。それは、耐えられません。貴方さまが傷つく顔は、見たくない」


「私のため、ですか」



 ……いつもいつも、私のためだ。いつも私を、自分より優先しようとする。そうして自分が傷つきながら危険な場所に行こうとするなんて、やめてほしい。私だってリオネルには傷ついてほしくないのに。

 でもきっと、彼にはそれが分からない。自分を大事に思う誰かが居たことがなかったから。



「私はそれくらい大丈夫ですよ。だから、リオネルさんが自分だけ危険に飛び込む必要なんて」


「いいえ。それだけでなくて、私は……貴方さまに、見られたくないのです。私が、どのように扱われているか……」


「……それは」


「貴方さまにだけは、見ていただきたくない。私のわがままを、お許しください」



 何も言えなくなった。私はリオネルがどのような扱いを受けてきたのか、彼の話を聞いてはいるが実際に目にしたわけではない。彼はその姿を情けないと、だから見られたくないとそう思っているのだろうか。

 顔は見えないけれど苦しそうなのが分かってしまう。見られたくないと言うものを、わざわざ見ようとは思わないし、見ても平気だとも言えない。……本人が望んでいないことを無理やりやらせる気にはなれない。



「……分かりました。でも、リオネルさん。一ついいですか?」


「……はい、なんでしょうか」


「私も、貴方には傷ついてほしくないんですよ。心も体も、どっちもです」



 顔は見えないがそれでも彼が私の言葉に戸惑っていることは伝わってきた。私がこの人を大事に思っていることが、それほど伝わっていなかったのかもしれない。



「貴方が私に傷ついて欲しくないと、私を大事に思ってくれる気持ちと同じですよ。私だってリオネルさんが大事なので、傷ついてほしくはありませんし……貴方が傷つくと悲しいですよ」



 大切に思っている相手が傷つくと自分も傷つくものだ。自己犠牲なんて言葉があるけれど、私は好きではない。自分が傷つくことを平気だと思う人は気づかないのかもしれないが、それをするのが身近な人であればある程、見ている方もつらく悲しい思いをする。

 私にとってはまさにリオネルがそういう相手。自分が私に大事に思われていることを自覚してほしい。そして、自分をもっと大事にしてほしい。



「……貴方さまは……嘘が、吐けないお方ですから、本当に……そのように、思ってくださっているのでしょうね」



 見えない顔は、今どんな表情を浮かべているのだろう。声が震えそうで、手は固く結ばれたままで。笑顔には程遠い顔をしていそうだ。

 誰かに大事にされた経験のないこの人は、初めて大事だと口にされて混乱してしまっているのかもしれない。私は彼ではないから本当のところは分からないけど。気持ちが落ち着かないのはたしかだろう。

 


「手を握りましょうか?」



 両手を差し出して笑ってみせた。以前は断られてしまった提案だったが、今回は暫くの間を置いてゆっくり解かれた手がそれぞれ私の手に重ねられた。

 分厚い籠手に包まれているのに、いつもは私を護ってくれる手であるのに、今日はとても頼りない気がする。でも、それでいいのだと思う。いつもは私が頼りっぱなしなのだから、たまにはこうして頼ってほしい。

 弱くない力で重ねられた手を握ると、少しだけ握り返された。



「……貴方さまの手はこんなに小さいのに、安心いたしますね」



 見えないけれど、きっと今彼は穏やかな顔をしている。それが分かってほっとした。リオネルにとって過去の差別は根深い傷で、消えるものではない。簡単なことですぐに開いてしまう、治りきらない傷なのだ。

 私は出来るだけ、その傷が痛まないようにしたい。出来るだけ思い出さなくて済むようにするにはどうすればいいのだろう。やっぱり、楽しい時間を過ごしてもらえばいいのだろうか。でもそれは、魔物退治が終わらないと訪れないものだ。



「リオネルさん、本当に気を付けてくださいね。私は貴方が怪我をしたら嫌ですよ」


「貴方さまこそ、私が居ない間はこの家を決して出ないでください。この村でこの家が最も安全ですから」



 真剣な声だ。私だけ安全そうな場所に引きこもっているというのは気が引けるのだが、そうしなければ私の事が気になってリオネルが戦いに集中できないのだろう。彼に怪我をしてほしくない私としては、その言葉に従うよりほかにない。



「分かりました。私は家にいます。そして、リオネルさんと村の人達が全員無傷で魔物を倒し、帰ってくるように神に祈ります」


「…………マコトさま、それは……」


「え?……あ……れ……」



 リオネルの困惑する声を聞いたと思ったら、急に意識が遠くなり始めた。マコトさま、と叫ぶような声が聞えた気がするが、よくわからない。あとはついでに、したたかに額を固い板にぶつけたような気もするが、とにかく何もわからなくなって、意識は暗闇の中に沈んでいった。



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