第22話 温かい朝食

 20××年 6月19日(日) 23:40


 今日の午前中に山萩たちはやってきたがすぐに仕事が近いと荷物をリビングに運んで出ていった。

 1時間前に角浦が帰宅し、今は入浴中だ。

 

「さて、そろそろかな」


 仕事を終えた連絡を受けていた彼はソファから立ち上がり、玄関に向かう。ここの鍵は当然山萩たちは持っていない。そのため、事前に開けておく必要がある。

 チェーンを外し鍵を開けたその瞬間、タイミングよく帰ってきていた彼女たちによって勢いよく扉が開かれる。


「ただいま」

「おかえり。仕事お疲れさま。今、絢奈が風呂入ってるから先に荷物部屋に置いてきな」

「はーい」 


 前にいた山萩が指示に従い彼の横を通り過ぎていく。

 後ろで鍵を閉めていた夕波はまず丁寧に頭を下げた。


「本日はお世話になります。どうぞよろしくお願いします」

「そんなかしこまらないでください。ここでは普段の夕波さんでいてくださって構いませんから」

「宏一くんがそう言ってくれるのは嬉しいけれど、皆がいるときは遠慮させてもらうわ。距離感を誤って絢奈ちゃんの機嫌を悪くしても申し訳ないからね」

「その心配は無用かと思いますけど、まあ、そうですね。二人のときだけでもそうしてくれるなら助かります」

「じゃあ、そういうことで。私も荷物運ぶから」 


 そう言ってリビングに向かおうとした夕波の腕を貝賀は掴んだ。

 突然ことに驚いた彼女であったが表情は崩さず、何かまだ用があるのかと目で訴える。 


「夕波さんの荷物は先に俺の部屋に運んでおきました。事前にそういうことで決めていたと言えば多少なりは納得してくれるでしょうし、荷物を俺の部屋に運んでいるところを見られて山萩が口うるさく言ってくるよりは話を進めやすいでしょうし、なんせ話を早く終わらせるに越したことはないでしょう」

「そうね、ありがとう。一応聞いておくけど、中身を勝手に見てないでしょうね?」

「そんなことしませんよ」

「なら、いいわ。まあ、見られて困るようなものなんて下着ぐらいしかないんだけどね」 


 夕波は話を終えると彼の制止が解けた左手で貝賀に向けて手を振りながらリビングへと入っていった。

 廊下に一人になった彼もその後に続いて歩いていく。

 それから山萩の入浴中に話の理解が早い角浦に部屋割りのことを伝え、特に気兼ねなく了承を得た。さすがに3対1という構図になってしまっては山萩も対抗する術なく、その後渋々ではあったが従い、問題なく話をつけることに成功した。

 その夜、もちろん夕波と寝たわけだが彼の心が落ち着くことはなかった。


 20××年 6月20日(月) 9:20


 本日も授業のある角浦が家を出て、仕事が11時からの山萩が目を覚ましてやってきたリビングでは貝賀と夕波が話をしている。


「おはよう」

「おはようございます」


 二人が椅子に座りながら挨拶をすると、まだ寝ぼけている山萩は夕波にいつものように話しかけた。


「んー、静、紅茶淹れて」


 角浦がいないため、口調を隠す必要もないかと夕波は切り替えて話す。


「はいはい、わかったから清恋は早く顔洗ってきなさい」

「はーい」

 

 終始貝賀の存在には気付かず、リビングから出ていった山萩。

 そのようすがおかしく、必死に笑いをこらえていた貝賀はその姿が見えなくなると声を出して笑った。


「あんな感じなの、いつも。可愛いでしょ?」

「ええ、とても。妹がいたらあんな感じなんだろうなと思いました」

「仕事で自分を作ってる分、素がどんどん甘くなってきてるのよ。もうすこししっかりとしてもらいたいんだけどね」

「俺からすればああいう山萩って新鮮ですごくよく見えますけどね」

「好きになるほど?」

「それは……まあ、なんとも言えないですけど」


 そんな雑談を交わしていると、しっかりと意識の戻った山萩が帰ってくる。


「はあ……朝から貝賀の顔見るのって新鮮ね」

「ため息ついて言うなよ」

「ごめんごめん、べつに嫌ってわけじゃないから」

「そう言われると逆に嫌われてるのかなって思うだろ」

「本当に違うって」

「そうよ。清恋は宏一くんのこと好きなんだから」

「そうそう、貝賀のことが好き──って、なわけないじゃん!」


 横から入ってきた夕波に乗せられる形で口を滑らせた山萩は勢いよく否定した後に貝賀の方を向いて念を押すように否定する。


「そこまで言われるとさすがに落ち込むな……。前に会ったときからすこし仲良くはなれたと思っていたんだが…………」


 慌てふためく山萩の姿が面白くてわざと意地悪な返事をした貝賀は肩を落とし、傷ついた演技をする。

 それに見事に引っかかった山萩はなお焦りを増していく。


「ちょ、ちょっと本気にしないでよ!」

「もういいよ」

「本当に誤解なんだってば! 私もあんたと仲良くなれて嬉しいし、友達として好きなのは間違ってないし、とにかく嫌いだなんて今はもう思ってないから!」

「……そこまで言われるとなんだか気恥ずかしいな」

「なに照れてんのよ! あんたが言わせたんでしょ!」


 詰め寄る山萩に身体の前に両手をかざしてなだめる貝賀はいつも通りだ。

 そのやりとりを見て夕波は満足である。ちなみに今、吹っかけたのはわざとだ。もちろん、二人は気付いていないが。


「朝から声出させないでよ」

「まあまあ。ていうか、部屋着変えたのな」

「ああ、うん。よく分かったね」

「まえ、映画観たときに隣に居たからな。機会がないだけあって頭に残ってるんだよ」

「そ、そうなんだ……」


 なんとも気にしていないようすを演じているつもりの山萩であるが、見るからに嬉しそうに笑みをこぼしているのは夕波から丸見えだ。

 山萩は彼女の視線に気付き、こっちを見ないでとアイコンタクトを送るがこの状況が楽しくて仕方がない夕波はいたずらに口角を上げ、話を加速させる。


「ちなみに他にも前と違うところあるんだけどわかる?」

「髪の長さとかじゃないですよね?」

「それはさすがにわかりやすいでしょ。そうじゃなくて顔よ」

「顔?」


 夕波のヒントに習って山萩を見つめる貝賀。

 近くでまじまじと見られることに仕事の上では慣れているとはいえ、その相手が好きな人となれば緊張なり、恥ずかしさなりでなにか変なところはないかと気が気でない。山萩の頬は紅潮していく。けれど、それを全く気にしない貝賀は答えが分からず、ただ呟いた。


「綺麗な顔ってことぐらいしかわからないですね」


 その瞬間であった。

 山萩の顔は全体が真っ赤になり、まさに恥の絶頂。頭のなかの意識が全て綺麗な顔という4文字に集中し、他のことがなにも入ってこなくなった。

 キッチンで朝食を作っていた夕波もクスッとたしかに笑ってしまう。


「俺、なんかおかしいこと言いました?」

「ううん、むしろ大正解よ。たしかに今日も清恋は綺麗ね」

「ですよね」

 

 貝賀による口撃は止まらない。今、彼が山萩の方を向けばその赤さに驚き、潤んだ瞳に慌てるだろう。だが、幸運にも会話の矛先である夕波のほうを向いているため、そう上手くはいかない。

 その間になんとか心を落ち着かせようと、自分に暗示をかける山萩は心のなかでただただ同じ言葉を繰り返す。


「それで答えは何だったんですか?」

「それは隣に居る本人に聞いたら?」

「えっ」


 夕波に振られた山萩は小さな呟きと共にどうして今話題を振るのかと彼女を睨む。しかし、立場で優位に立つ夕波はそんなことを気にも留めず、催促する。


「清恋、鈍感な宏一くんに教えてあげなさい」

「え、えと、それはその……」

 

 貝賀の視線をはっきりと感じている山萩は極力そちらに目を向けないようにして、どもりながらも続ける。

 

「い、一応、前と違うリップ使ってるんだけど」

「本当? もう1回こっち向いてくれよ」

「べ、べつに確認しなくてもいいから」

「そうなのか?」

「そう! そんなの普通好きな人じゃないと気にしないし、貝賀からしたら私なんてただの知り合いの一人ぐらいだろうし、本当に気にしなくていいから」

「それは違うだろ。俺にとってお前は大事な友人なんだ。色々あったが、それも含めて思うところはあるんだから、そんな風に言うなよ」

「ご、ごめん。そっか、うん、そうだよね」


 顔を逸らす山萩は微笑んでいる。

 真剣な表情で話した貝賀の気持ちがそのまま直接伝わったのだ。言い終えてから彼自身も照れくさそうに視線を外してそこにはなんともいえない空気が漂った。

 それを見ていた夕波は胸やけもいいところの甘さにため息をつく。


「朝から重すぎ。ほら、ご飯できたから食べなさい。宏一くんも準備手伝って」

「えっ、もう先に食べてたんじゃないの?」

「宏一くんが一人で食べるのは寂しいから待ってようって提案してくれたの」

「ちょっ、それは言わない約束だったでしょ!」

「あれ? そうだったかしら?」


 わざとらしくとぼけた夕波をジト目で見る貝賀も、そんな彼の優しさに触れて思わずにやけてしまっている山萩も初々しく、甘ったるい。たしかにそこには温もりがあり、まるで恋人というよりも新婚夫婦のような華々しさがあり、見ている者を幸せにする力が生まれている。

 それは紅茶の入ったカップであったり、ナイフとフォークを共に並べている二人を見つめる夕波の笑みに現れており、そこにはなにも邪険なものがなく、ただただ微笑ましく温まる心から生まれた自然な笑みであった。


「それじゃあ、いただきます」

「「いただきます」」

 

 テーブルを挟んで夕波の対面にはまだ頬の赤みが引いていない山萩と思わぬ暴露による恥辱から同様に顔を赤くしている貝賀が他愛ない話をしながら食事を進めている。

 そんな二人を見て彼女はたしかに思う。

 この二人は誰の介入がなくともいずれ結ばれるであろうと。だからこそ、角浦の行動を止めなければならないと。

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