第19話 真相の形
20××年 6月13日(月) 6:00
陽が眩しく部屋に差しこむ。
いつもより早く起床した貝賀はすぐそばで昨日の泣き疲れのためにまだ夢の世界にいる角浦を見て静かに頭を撫でる。愛おしい。このまま時間が止まればいいとさえ思えた。
「あと3週間、頑張ろうな」
目覚める様子のない彼女を優しい瞳で見つめてそう口にした。
その姿は他人から見れば愛に満ちていただろう、紛れもなくたしかな。
20××年 6月10日(金) 22:10
夕波は仕事帰りのタクシーのなか、いつものように車酔いでぐったりとしている山萩を横目にスマホを触っていた。現場で貰ったお茶を飲みながら。
「静さん、こんばんは。今日はいつもと違ってお聞きしたいことがあります」
相手は貝賀であった。
山萩と連れて知り合ってからこちらに戻ってきた後も、密かに二人は連絡を取り合っている。その全てが貝賀の質問から始まる相談会のようなものなのだが、まるで違った文面を見て一瞬眉をひそめた。
「なんでしょうか?」
「実は先週の日曜日から絢奈と疑似恋愛をすることになりました」
口に含んだお茶を噴きだす勢いで画面に顔を近付けた夕波はあまりにも想定外の展開に頭が混乱した。
肩に身体を預けていた山萩が支えがなくなったことでシートに頭をぶつけ、痛がっているのを気にしないほどにだ。
「どういうことか教えて頂いてもよろしいですか?」
「はい。経緯を説明しますと──」
そこから先日のことが事細かに書かれたものが送られてきた。
「どうしたの、静」
痛みに目を覚ました山萩は珍しくスマホに夢中になっている彼女を見て興味本位で覗こうとする。だが、それに気付いた彼女はすんでのところで電源を落とし、ポケットにしまう。
「ちょっと、どうして隠したの?」
「べつになんでもないわよ」
「なんでもないなら教えてよ」
「嫌」
「じゃあ、なんでもないわけじゃないじゃん」
こういうときの彼女は面倒だとため息をついた夕波は目を見つめてもう一度言う。
「嫌」
「静がそんなに避けるってことは……もしかして新しい彼氏?」
「まあ、そんなとこ」
「なんだ、それなら最初からそう言いなよ」
「本当、安直ね」
「ん? 何か言った?」
「いいえ、なにも」
聞き逃した山萩は気にすることはなく、勝手にいもしない彼氏像を想像し始めた。
誤魔化すことに成功した夕波は誤解させたままの方が楽だと考え、また携帯を取り出して貝賀に返事を送る。
「よろしければ今晩お電話させて頂いても?」
「はい。23時には絢奈も寝ていると思うので、時間はそれ以降であれば」
「わかりました。またご連絡します」
「ありがとうございます」
「はあ……」
短時間で2度目の溜め息。
何も知らない山萩がからかうように話しかける。
「また難のある男の人? 本当、静は見る目ないなぁ」
「うるさい。今日は私、自宅に帰るから先送るわよ」
「えっ、もしかして、怒ってる?」
「怒っても難のある男に困ってもないから。せっかくあっちから電話したいって言ってきたのに断れるわけないでしょ」
「ああ、そういうこと。良かったじゃん、お節介焼きたい静からしたらいい人かもね」
「そうだといいけどね」
なにを暢気にと思いながらも、彼女を応援すると決めたのはそのお節介女なのだから不満の一つも言えやしない。夕波は改めて自身の情けなさにため息をついた。
「お待たせしました」
山萩を送り終え、自宅マンションのフロントに着いた彼女は時間を確認してから貝賀に連絡を入れる。
すぐに返信が来た。
「電話いいですか?」
「どうぞ」
そうして通話を始める。
「お仕事お疲れさまです」
「そのお疲れのところに凄く頭使いそうな案件を持ってきたのは宏一くんだけど?」
「すみません」
「ふふっ、許してあげる。それでその疑似恋愛の経緯なんだけど、宏一くんは本心から志願したのね?」
「はい。絢奈の言ったことも納得できますし、これ以上絢奈や他の誰かにも同じ思いはさせたくないと思ったので」
「そう」
うまく乗せられちゃったか。
夕波は心のなかでそう呟いた。まさかここまで早く角浦が動くとは思っていなかったため、予定が狂ってしまう。山萩から聞いていた結婚式後に匂わせ始めるものだと想定していた。
加えて、貝賀の角浦に対する信頼と罪悪感が増してきていることにも驚いた。しかし、焦る様子はなく、早くも軌道修正を始めている。
「わかった。期間はまだあるんだから一つずつ確実に変えていきましょう」
「わかりました。ちなみに他の人にもこうやって相談したほうがいいですか?」
「信頼できる人ならいいんじゃない。相手が一人だと結局視界は狭いままだから、中核を私とするなら他の人を参考程度に、良いところだけ足せばいいわ」
「なるほど。そうしてみようかと思います。本当は自分で考えないといけないことなんですけど、こういうのに疎くて……助かります」
「私も経験豊富ってわけじゃないから話せることなんてしれてるわよ」
「それでも嫌な感じを出さないで丁寧に対応してもらえるだけで天と地の差の俺からすればすべてがありがたいことなんです。また今度、二人でどこかいきましょう」
「なに? 今は角浦さんの話をしているのに他の女とデートの約束?」
「あっ、そういうわけじゃなくて!」
「ふふっ、わかってるわよ。またそっちに行く機会があればお願いしようかしら」
それから貝賀はファッションのことを聞き始めた。
おすすめのブランドやこれから流行りそうな夏コーデなど、多くのことを質疑応答という形で話したので時間は気が付けば1時前だ。
仕事のことも絡んでいる分、ミスリードが出来なかったことが夕波にとって不利な点であったが、一回目を敢えて成功させる方針でいこうと切り替え、ひとつ区切りの付いた今問う。
「思ったけど、自分で当日まで詳細分からないようにしておいて私に相談するってそれはどうなの?」
「一応、パソコンなり、雑誌なりを見て自分なりに勉強はしているんですけど、なによりもたしかな情報は経験者の言葉だなと思って、知り合いのなかで誰が一番他人に漏らさずに済むうえで信頼できるかと考えたときに夕波さんが初めに思い浮かんだんです」
「それはありがとう。宏一くんって案外交流少ないのね」
「いろいろありまして、あまり得意じゃないんです」
「そう。まあ、なんにせよ、詳細を知ってからもし空いた時間があれば連絡入れておいて」
「わかりました。今日はありがとうございました、こんな遅い時間まで」
「気にしないで。私が世話焼きなだけだから。むしろ、お節介って思ったら言ってね」
「そんなこと思うわけないじゃないですか。実際、俺はその世話になっているわけですし、人の優しさほど触れて温かみを感じられるものはないですよ」
「そう言ってくれるなんて嬉しいわ。それじゃあ、またね。おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい」
通話が切れる。
すこし強引ではあったかと思い返して大丈夫だったかと不安になる。夕波にしては珍しく最後までペースを握りきれなかった。
「これはちょっと苦労するかも……」
自室のリビングでソファにぐったりと背を預け、天を仰ぐ。
貝賀には山萩の知らないなにかがまだある。それを知ることができたが、山萩にすら教えてないことだということも確認できた。それはあまりよろしくない。
想像していた以上に複雑に絡み合っている3人の意図。そこに手を加えることは当然容易ではないとわかっていたはずだ。だが、今更抜けることなどできないほどにすでに自分もその糸に身体を絡めとられてしまっていることに彼女はようやく気が付いた。
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